MUSIC TALK

はっぴいえんどが燃え尽きるまで 細野晴臣(前編)

  • 2017年2月10日

撮影/山田秀隆

 日本のロック、ポップスを切り開き、創り上げてきた。先頭を走り続けてきた。しかし、「伝説」という肩書はしっくりこない。あまりにも軽やかな存在。細野晴臣さんの「根っこ」はどこにあるのか。自身の音楽のルーツをたどる。(文・中津海麻子)

    ◇

トランジスタラジオを耳に突っ込んで、布団の中で音楽を聴いた

――幼いころの音楽の思い出をお聞かせください。

 叔父や母が音楽や映画が好きで、家にSP盤がたくさんありました。5歳ぐらいになると電気蓄音機で自分でかけるようになった。軍歌あり浪曲あり、歌謡曲に映画音楽、ディズニーまでと、和洋折衷そろっていて。ジャズもありました。ベニー・グッドマンとか、ポピュラーなジャズバンドのリズムが子どもながらに楽しくて、よくかけてましたね。

 あとはラジオ。最初のラジオ体験は落語です。祖母が落語好きで、冬になるとコタツでウトウトしながらよく聴いていました。志ん生、圓生といった名人がいた時代でね。おもしろいというより、耳にすごく心地よかった。

 小学校の高学年になると父親がトランジスタラジオを買ってきました。ソニーが開発した大ヒット商品で、あのころ世の中のお父さんたちはみんな買ったんじゃないかな。父は野球や相撲ぐらいしか聴かないから、ほとんど僕のものみたいになって。そのトランジスタラジオで深夜放送を聴くようになったんです。二人で聴けるようにだったのか、イヤホンの出力ジャックが二つあった。それを僕は両耳に入れて。もちろんステレオではないんだけど、完全に音楽の中に入り込めるんです。真っ暗な部屋の布団の中で、ラジオを聴きながら眠りに落ちる。そこから始まりましたね。音楽っていうものをラジオからどんどん吸収していきました。

――忘れられない曲はありますか?

 番組のテーマ音楽に心引かれてね。そのときは誰の曲だかわからなかったけれど、のちにザ・スリー・サンズっていう1940年代から活躍していたインストグループの音楽だと知って。夜にぴったりな、異国情緒が感じられる曲でした。

 そのうちFENのヒットパレードを聴くように。土曜日に放送されていたトップ20という番組は、文字どおりラジオにかじりついて(笑)。英語だから何言ってるんだかよくわからないんだけど、必死に曲名をメモしたなぁ。当時は録音できなかったからね。

 60年代はアメリカのポップスが一番生きがよかった時代。毎週同じような曲がかかるんだけど、時々とんでもないのがヒットチャートに飛び込んでくる。最初にびっくりしたのがビーチ・ボーイズでした。「サーフィンUSA」。それまでとはぜんぜん違う音楽で、衝撃だった。その後高校時代にはサーフィンをやろうと思ったり。結局やらなかったけどね(笑)。音楽だけでなく、アメリカ西海岸のカルチャーに強く憧れたんです。

銀座の山野楽器で、コートのボタンがひっかかって

――自分で演奏するようになったのは?

 小6のクリスマスに家族で銀座に出かけたとき、レコードを買ってもらおうと4丁目の山野楽器に行きました。1階にアコースティックギターがザーッと並んでいて、僕は分厚いコートを着ていたので、袖のボタンか何かがギターに引っかかってしまった。そしたら、ポロンと素晴らしい音がした。感激してね。急きょギターを買ってもらうことに。教則本も一緒に買って独学で勉強しました。指2本、3本で押さえられる簡単なコードで弾ける曲、たとえば当時よくラジオから流れてきたハンク・ウィリアムスの「カウライジャ」というカントリーミュージックをよく真似ていました。

 中学に上がると同級生に音楽好きが何人かいて、みんなエレキギターを持ってた。ベンチャーズブームだったから。なんかやってみようとうちに集まり、オーディオアンプにつないで練習し始めたらだんだんおもしろくなってきて。「ブレッツメン」なんてバンド名をつけて。弾丸男たち、ですよ(笑)。ベンチャーズをやりました。入り口は全部ベンチャーズだった。

 でも、世の中のベンチャーズ好きとはちょっと違っていた。みんなが知ってるベンチャーズは実はカバーが多いバンドで、オリジナルは僕らと同世代の15、16歳の連中がやっていた音楽なんです。テケテケテケ、も。それをFENで聴いてすごく触発されて。僕らはそのオリジナルのほうをコピーしてた。彼らは結局、一発屋で終わっちゃったんだけどね(笑)。

 高校に入るとフォーク。クラスメートと音楽部に入部したんですが、そこではハワイアンしかしてなかった。そこで、フォークグループをやりたいと申請し、文化祭に出たりしました。

――オリジナルをやるようになったのは?

 ずっと目論見はあったんだけど、全然できる感じがなくて。ようやく作れるようになったのは大学生になってからです。

――その立教大学時代、日本の音楽史で「伝説」として語り継がれる出会いがたくさんありました。

 今じゃ信じられないけど、みんなクチコミでつながっていったんだよね。見ず知らずのある男との出会いもそんな感じでした。どこで調べたのか家に電話がかかってきて「会おう」と呼び出され、指定された場所に出向くと、結構名の知れた慶應のバンド「バーンズ」のドラマーだった。それが松本隆です。僕のことはうわさで聞いてたみたいでね。「バンドのスタイルを少し変えたいからベースをやってくれないか」と誘われ、参加するようになりました。

 ちなみに、慶應のほかのバンドから声がかかり、バーンズとして毎週末ダンスパーティーで演奏するために軽井沢にあった三笠ハウスに通っていた時期がありました。そこに出演していた高校生バンドに、高橋幸宏がいた。主催者の一人が幸宏の兄貴だったから出てたわけだけど、見てると僕らよりいいんですよ。なんだ生意気だな、と(笑)。そこから幸宏との交流が始まりました。

はっぴいえんどが日本語ロックをやった理由

――大学在学中の69年「エイプリル・フール」でデビュー、70年に「はっぴいえんど」を結成します。「はっぴいえんど」は日本語ロックの先駆的存在として、その後の音楽シーンに大きな影響を与えました。

 エイプリル・フールは完全にコピーバンドだったけれど、やけに演奏能力が高かった。そこでベースプレーヤーとして修行したようなものでした。

 はっぴいえんどではオリジナルをやろう、と思いました。そこで僕が好きなアメリカのウエストコーストのバンドに目を向けてみると、どんどん奥が深い音楽をやるようになって飛躍的に進化していた。必死に後を追っていくと、彼らはルーツをすごく大事にしているということがわかってきて。自分たちのルーツを見つけてそこに戻っていかないとああいう音楽はできない、そう教えてもらいました。

 ところが、自分たちの音楽的なルーツってなんだと見回しても、何もない(笑)。とりあえず日本語がある。文学としての詩の世界がある。そこを松本隆と共有していきました。日本語でやるというのは、実はアメリカのロックバンドの影響だったんです。それはチャレンジだったけれど、おもしろかったし、実験的な刺激があった。ワクワクしましたね。どんなものができるのか、やってみなきゃわからない、と。

――松本さんはのちのインタビューで、日本語でやることに細野さんは反対した、とおっしゃっていますが?

 反対したかなぁ……よく覚えてない(笑)。

――(笑)。ほとんどの楽曲は、松本隆さんの詞が先にある「詞先」で曲を作っていったそうですね。

 松本が書いた詞が僕や大瀧(詠一)くんに振り分けられて。それは予想してなかったことでした。どうしてそうなったのかね? それも覚えてない(笑)

 曲に詞を当てはめていく作り方しかやったことがなかったから、詞先は難しかった。でも、難しいなりにできるようになってくる。すると、自分で予想していないメロディーが生まれたり、言葉が持っているリズムが曲を作らせたり。新鮮な体験でした。詞先がなければ、自分の中からは生まれなかったメロディーや曲があったかもしれない。

――はっぴいえんどはわずか3年で解散します。理由は?

 実験的な試みで挑戦してきたことが、『風街ろまん』というアルバムで成果が出たと、みんながそう感じたんです。一つのプロジェクトが完成した、と。燃え尽きたと言ってもいいけど。特にそれを感じていたのが松本隆だった。そうなったときって、次は違うことをやりたくなる。バンドとしてのモチベーションが変わっていった。だから、続けることが難しくなったんだと思います。

後編へつづく

    ◇

細野晴臣(ほその・はるおみ)

1947年東京生まれ。音楽家。1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年「はっぴいえんど」結成。73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、歌謡界での楽曲提供を手掛け、プロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを探求、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。
2016年5月、神奈川・横浜中華街の同發新館で開催したライブイベント「細野晴臣 A Night in Chinatown」の模様をおさめたBlu-ray / DVDを同年12月にリリースした。
細野晴臣オフィシャルサイト:http://hosonoharuomi.jp/

【ライブ情報】
「細野晴臣 初夏ツアー2017」
6月25日(日)沖縄・桜坂セントラル
7月10日(月)東京・浅草公会堂
7月15日(土)大阪・ユニバース
7月17日(月・祝)京都・磔磔(女性限定)

初の沖縄でのライブ、70歳の誕生日前日の東京でのライブ(スペシャルな演出があるかも)、女性限定(男性も女装ならOK)の京都でのライブなど。全会場で子ども同伴可能、小学生料金が設定されている。詳細はこちら

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