大学は、オルタナティブな存在に気づく場所 明治学院大学教授・高橋源一郎さん[PR]

  • 2017年3月17日

高橋源一郎さん

  • 高橋源一郎さん

  • 横浜キャンパスの図書館で

  • 白金キャンパスの図書館と合わせて約120万冊もの蔵書が並ぶ

  • チャペル(横浜キャンパス)

  • チャペルでは毎年、入学式・卒業式が行われる

  • インターナショナルラウンジ

  • グループワークがしやすい環境が整ったアクティブラボ

 グローバル化が進むとともに、世界情勢が複雑化する昨今。そんな時代に対応すべく、大学に求められる役割も大きく変化、社会に出て即戦力になる人を育てることなどに焦点が当たっています。
 しかし大学とは、本来どのような場であるべきなのでしょうか。学生がそこで学ぶべき、大切なものとは? 明治学院大学国際学部で教授をつとめる、作家の高橋源一郎さんにうかがいました。

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みんな、自分で学ぶしかない

――明治学院大学で教鞭(きょうべん)を執られて丸12年になります。

 まさか自分が大学で教える立場になるとは思ってもいませんでしたが、12年やって、教育は僕の中で大きなテーマになりました。そもそも僕は大学を卒業していないし、学生時代はろくに授業にも出ていなかった。若い学生諸君と向かい合うのがおもしろくて引き受けましたが、始めは試行錯誤もありました。

 僕が担当する主な授業は二つ、「言語表現法」と「現代文学論」です。これってはたして「教える」ことができるものなのだろうか、という疑問にまずぶち当たりました。そもそも人は何のために教えたり教えられたりするのか。誰かに教えるっていう権利はあるのか。考え出したらきりがありません。

――何か結論にたどりつきましたか?

 これまでやってきてわかったのは、誰にも何も教えられない、ということです。みんな自分で学ぶしかありません。僕は小説家ですが、文章の書き方も、小説の書き方も、誰かに教わったわけではないし、最初から自力で書けたわけでもない。どうしてきたかというと、いろんな人の本を読んで、その人のまねをしたんですね。先生は、つまり本ですが、一切教えずに黙っている。仕方がないから、自分であっちを見たりこっちを見たりして、この人はこう言おうとしてるんじゃないか、って勝手に解釈して。それが物事を学ぶ根本的なやり方だと思います。だから僕も、一冊の本のような存在になろうと考えました。

――目標は「日本でいちばん教えない先生になる」ことだとうかがいました。

 でもね、やってるとね、教えたくなっちゃうんですよ(笑)。「いや、違う、そうじゃないんだよ」って口出ししたくなる。そこをどれだけ我慢できるか。だって僕が、正しい、「いいこと」を言うとそれをまねしちゃうでしょ。そうしたら正しいことをするだけの人になっちゃう。失敗しないし、痛い目にも遭わない。それはよくないですよ。できるだけ失敗しないとね。本が相手なら試行錯誤できるけれど、生身の先生だと頼ってしまう。

――先生が何もしなくても、学生たちは自ら学びに来るものでしょうか?

 来ませんよ(笑)。そこが難しいところです。つまり、教えないけど、学びに来てもらわなきゃいけない。そういう場所と環境をセットするのが教員の仕事ですね。学生が、何かを知りたいという意欲を持って、こっちに向かってくる。そのためには一人ひとりに違ったレシピが必要なんです。だから僕の授業は、どんな学生が現れるかわからないから、会って顔を見て話してから決めるんです。そういう意味では、教育の現場はものすごくスリリングな場所だと思います。

――1回1回が真剣勝負である、と。

 これは、作家と読者の関係も同じです。読者って結構難しい存在で、読者のためにおもしろいこと書こうとしてもだめ。かといって、自分の好きなことを書いていればいいってわけでもない。全部説明しすぎず、この人は何を言おうとしてるのかな、って近づいてきてもらわないと。作家と読者の中間ぐらいに球を投げる必要があるんです。

――先生のゼミは、国際学部の人気ゼミです。

 最初はね、希望者を全員入れてたんです。そしたら増えすぎちゃったので、面接することにした。でも、会ったら結局全員入れちゃって(笑)。ここ3年ぐらいかな、涙を飲んで絞っています。君はどこでもやっていける、大丈夫、っていう子には泣いてもらって、うちのゼミに入らないと生きていけないような(笑)子を入れますね。卒業できるかわからないような子とか。うちのゼミは、要するに中世でいう”アジール”、聖域であり避難所なんです。そこに逃げ込んだらどんな権力や社会の同調圧力からも保護される、そういう場所ですね。

大学は社会と一体化しないほうがいいと思う

――大学の役割をどのようにお考えでしょうか。就活予備校化していると危惧する声もあります。

 いま、大学の役割は社会的に変わりつつありますよね。社会の要請が強く、大学の持っていた可能性が削り取られていっています。大学は社会と完全には一体化しないほうがいいと僕は思っているんです。社会という巨大な流れの中に取り込まれてしまうと、いいも悪いもわからなくなってしまう。大切なのは、社会で流通している価値観とは異なる考え方、つまり“オルタナティブ”を示すことです。ものを考えたり、行動したりするときにやり方がひとつしかないと、何も考えてないのと一緒でしょ。社会全体はあっちに向かっているけど、大学はこっち。それでいいんです。全部一緒の方向に向かったら、潰れるときに全部潰れる。人間もそう。みんなと同じ方向に向かうことは、楽ちんですけど、集団で倒れてしまう。オルタナティブが、別の選択肢があるから、立ち直ることができるんです。

――オルタナティブの存在に気づく場所こそが、大学である、と。

 僕の文学の授業が科目として国際学部にあるのって、おかしいと思いませんか? でもそれは国際学のほかの学問に対するオルタナティブと考えることもできます。普通、専門では、国際なんとか学っていうのをやるでしょ。国際学部ができた30年前にカリキュラムを作った人たちは、そこに文学と哲学を入れた。学問のあり方自体に疑問を呈したってことです。なかなかおもしろい考え方です。たとえば医学の哲学なら「医者はこういうとき治すべきか」とか、経済学の哲学なら「そもそも人は豊かになってもいいのか」といった問いがあります。こうした問いはその学問自体からはなかなか出てきません。それを問うのは、その「外」にある文学や哲学の役目。その学問ではOKかもしれないけど外から見たらアウトだよ、ということがあるかもしれない。

 真実に気がつくためには他者、すなわち批判的存在が必要です。僕は、実は教育でいちばん大切なのはそのことじゃないかと思っています。自分がやっている以外のやり方、考え方、生き方があり、違うことを考えている他人がいると気づくことですね。

――授業もそうした意図で企画されているのですか?

 昨年、学生たちと『読んじゃいなよ!』(岩波新書)という本を作りました。特別授業をまとめたものですが、このときのゲストは、哲学者の鷲田清一さん、憲法学者の長谷部恭男さん、詩人の伊藤比呂美さん。びっくりするような、僕の知らない世界を知っている人たちです。僕だけが教えていると、僕の知識の限界内の学生になってしまう。刺激を受け、僕と一緒にびっくりしてもらいたい。それが学ぶきっかけ、考えるきっかけになりますから。

その先の人生を生きていくためのものを得る

――明治学院大学についてどういう印象をお持ちですか。

 リベラルで寛容な空気があると感じます。大学というのはつまり空間です。空間って、急には変わりませんからね。いろんな人たちが作り上げてきた知的な伝統が、カリキュラムや、人々の作り出す雰囲気のなかに残っている。やわらかい、とげとげしくない空気が。「明治学院」の第1期生には島崎藤村もいて、当時の闊達(かったつ)な雰囲気もいまだに残っているような気さえします。今のような、格差と貧困と不寛容の時代に、明学みたいな空気のある大学はなかなか得難いのではないかと思いますよ。

――大学という場所だからこそできる体験もあります。

 もちろん、本を読んだり、ほかの場所でも「学ぶ」ことはできます。でも、同じことを話せる友達がいるとか、自分が言ったことを理解してくれる友人がいたという大学での体験は、きっとその後の支えになってくれる。大学はそういう経験や友人を得る場所でもあります。同調圧力が強い日本社会で、「自由」が制度的に保証されているほぼ唯一の場所ですからね。大学時代はまさに「わたしたちに許された特別な時間」です。その時間にたまたま僕も居合わせている。4年で卒業してバイバイ、じゃなく、その先の人生をタフに生きていくための何かを与えられたらいいなと思いながら教えています。

(文/高橋有紀 写真/山田秀隆)

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高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。作家。明治学院大学国際学部教授。1981年『さようなら、ギャングたち』で群像新人長編小説賞優秀作、1988年『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、2012年『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。2011年4月から2016年3月にかけて朝日新聞の「論壇時評」を担当。論壇時評の記事は『ぼくらの民主主義なんだぜ』『丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2』(朝日新書)に収録されている。

教育理念“Do for Others”を実現するために

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今から150年以上前の1863(文久3)年、J.C.ヘボン博士が横浜に開設した英学塾「ヘボン塾」が明治学院の淵源です。建学の精神「キリスト教による人格教育」のもと、ヘボン博士の生涯を貫く信念である“Do for Others(他者への貢献)”を教育理念として、時代を切り拓く人々を育ててきました。明治学院大学は国際交流、ボランティア、キャリア教育など、さまざまな取り組みにも力を入れ、これからも社会への貢献をめざします。


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