東京の台所

<143>「美しく見せるための料理」で、人生が一変

  • 文・写真 大平一枝
  • 2017年4月26日

〈住人プロフィール〉
会社員(女性)・44歳
賃貸マンション・2DK・JR総武線 両国駅(墨田区)
入居6年・築年数30年・長男(12歳)との2人暮らし

    ◇

 6年前、夫の元を離れ、現在のマンションに入居した。保育園が空いているところを探したらこの地になった。

 限られた友人にだけ事情を話し、引っ越しを手伝ってもらった。すると友人の父親が突然、保温できる便座シートを買って持ってきてくれた。

 「自分も転勤でいろんな家に住んできたからわかる。水回りのレベルを落とすと、気持ちが沈むからこれを使うといいよって。どれだけうれしかったことか。どんなにお礼を言っても足りないと今でも思います」

 しばらくして、生協のカタログをメインで制作する会社に入った。
 面接で「食に興味がありますか」と聞かれたので、深く考えずに「はい」と答えた。そこから人生が思いがけない方向に動き出す。

 「商品を使ったアイデア料理や、季節のメニューを考え、専門家に作ってもらって撮影をし、誌面を編集するという仕事の担当になりました。これがすごくおもしろくて! 料理を“食べる”という目的以外で考えたことがなかったのでなにもかもが新鮮でした」

 とりわけ、おいしそうに見せるという行為にひかれた。湯気を強調したり、霧吹きをかけて色味を鮮やかにしたり。器との組み合わせやランチョンマットなど小道具を考えるのも楽しい。同じ料理が、見せ方を変えるだけで数倍魅力的になる。最初はキッチンスタジオでも見学だけで、自分の提案もなかなか通らなかった。が、アイデアが採用されるようになると、ますます張り合いが出る。

 「そのうち、私も自分の料理をすてきに撮りたいなと思うようになったのです」

 外で食べるときも、器や盛りつけ方、料理の組み合わせなどを観察する。仕事で出会うプロたちの、おいしく見せるテクニックを自宅で再現することも。

 「私の料理は完全に見た目から入っているので、味はたいしたことがないんです」と謙遜する。

 料理好きになるきっかけは、いろいろあっていい。見た目だろうが、自己満足だろうが、暮らしのなかに、心が躍る瞬間が何度もあるのはとてもすてきなことだ。

 あるとき、せっかくおいしそうに作れたのだからと、おそるおそる卵焼きのレシピと写真をクックパッドに載せた。自分の覚書程度のつもりだった。すぐアクセスがあり、2週間後には「私も作ってみました」という感想がアップされていた。

 「自分が認められているような気持ちになってうれしかったですね。反応がすぐわかるのでやりがいもある。そこからどんどんビジュアルに凝りだし、クックパッドに載せるようになりました」

 それから5年。身近な食材で、手軽に作れて見栄えのする料理を得意とする彼女の投稿は人気が高く、テレビや雑誌、料理サイトに取り上げられることも。

 「簡単というワードはよく検索されるので、料理名に入れたり、ふわふわなどの擬音も効果的です。撮影用の造花やカトラリー、スキレットなど小道具をそろえるのも楽しいです。今は、まず敷物と器を選び、それから料理を作り始めます」

 フェイスブック、インスタグラム、料理アプリなど発表の場も増えた。レシピより「美しく見せる」という感動を表現したいのだと目を輝かせる。最近一番うれしかったのは、長ネギとちくわのあえ物が、クックパッドの「副菜」人気検索で1位になったことだ。27歳の時に他界した母が良く作っていたおかずで、酢じょうゆと砂糖で調味する。

 「お母さんの味が認めてもらえたようで格別な気持ちでした。何でもない料理なんだけど、これ子どもの頃から大好きだったんですよね」

 ただ、小学校6年の息子はひとつだけ不満があるようだ。作るとまず撮影をするので母と一緒に「いただきます」ができない。でも、母の味を自慢に思っている。その証拠に「ママのお菓子、学校で配るって約束しちゃったからあしたまでにクッキー30人分作って」と突然言い出したりするそうな。

 急に言われるから、ほんと困るんですよーと、ちっとも困っていないふうに、彼女は笑った。そして穏やかな表情でつぶやく。

 「離婚前後は人生どん底だったけど、料理に助けられ、人生変わりました」

 人間万事塞翁(さいおう)が馬。いいタイミングで料理に出あえて良かった。私にとっても料理ブログやレシピ投稿サイトの新たな意義を知る、興味深い取材であった。

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 大平一枝さんがつづる連載企画「東京の家族写真」を掲載中。5月13日(土)には、日本チャイルドボディケア協会代表の蛯原英里さんと大平一枝さんが写真にまつわる思い出などを語り合うイベントを、東京・渋谷区の朝日新聞メディアラボ分室で開催する予定です。ご応募はこちら

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

写真

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば 辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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