上間常正 @モード

古びることない魅力的な〝迷宮〟 小林一行のショー

  • 上間常正
  • 2017年4月28日
  •    「ようこそ我が迷宮へ」より

  •    小林一行さん

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 ファッションは、有名デザイナーだけが引っ張ってきたわけではない。東京・代官山で先週に見た「ようこそ我が迷宮へ IKKO KOBAYASHIの服飾活動50年」のショーでは、そのことを改めて強く感じた。登場した服にはどれも、50年間の時代ごとの雰囲気とデザイナー・小林一行さんの美意識、確かな技術がたっぷりと詰め込まれていて、それが今のファッション感覚とも深く繋がっているのだ。

 小林さんの経歴はとても多彩で、デザイナーとしても異色だ。1939年に東京で生まれ、高校卒業と同時に演劇界の鬼才といわれた演出家・武智鉄二が主宰する「武智歌舞伎」に入門。演劇や舞台衣装などについて学び、数々の舞台に立った。そして退団後、60年に杉野学園ドレスメーカー女学院に男子第1期生として入学し、ファッションデザインを本格的に学んだ。

 在学中に、杉野学園主催の全国ファッションデザインコンテスト「キヤノン賞」など数々の賞を受けた。卒業後、64年に銀座マギーに入社してプロのデザイナーに。この間にデザインコンテストの副賞で、フランスやイタリアなどの主要十数都市を訪ねてファッション事情を見聞きした。67年に銀座マギーを退社し、翌年に東京・六本木でアトリエを開設。注文服の「オートクチュールIKKO KOBAYASHI」をスタートし、一方で舞踊家・花柳瀧二が出演した三島由紀夫作「近代能楽集」や有馬稲子の舞台公演「さよならを言った後で」(ノエル・カワード作)などの舞台衣装の制作も手掛けた。

 90年にアトリエを閉め、アパレルの「ローザス」に入社して新ブランドの設立に関わった後、2007年から14年まで杉野学園服飾大学で教鞭(きょうべん)を取り後進の指導に力を尽くした。今回のショーはファッションの各分野で働く杉野での教え子たちが企画・制作から演出・モデルもすべて担当して実現したという。

 ショーの始めに登場したのは、黒地に白の大きな格子模様のウールのコートとスカートの上品なアンサンブル。紫のニットのタートルと、スカートのひざ上の丈と黒いショートブーツが軽快で若々しい印象を与える。続くいくつかのコートドレスもシルエットはゆったりとしてエレガントだが、無駄な膨らみや装飾が一切なくて昔の服という感じはない。また、裾にモヘアのフリンジが付いた濃いパープルの絹のミニドレスは、高度経済成長期のスタイルなのにしっとりとした落ち着きが感じられる。

 黒地にラメのテープを張ったロングのストラップドレス。黒地に白の大きな刺繍(ししゅう)の襟とリボンと赤のボタンのような模様のジャケットと黒い細身のスカートの組み合わせ。腰から裾にかけて大胆な虹型の模様をあしらったミニのバルーン(風船型)ドレス……。そんな表現には抑制しながらも湧いてくる遊び心がのぞく。能衣装の紋様をあしらった生成りの絹の打ち掛けとロングスカートや、中国服をイメージした上下と黒いマントなども。

 ショーから伝わってきたのは、抑制されバランスのよい表現の中にある、とても柔軟な感性とそれでいて揺るがない美意識と遊び心といえるだろう。小林さんが選んだ服、そして自ら選んだ音楽も、シャンソンからポップス、日本や中国、ロシアの伝統音楽を思わせるミックスなど、どの服や曲からもそれが伝わってきた。エディット・ピアフが歌う「パダン・パダン」などでは、ぐっときてしまった。

 高級服店、アパレル、オートクチュール、ファッション教育……と、小林さんは日本の戦後のファッション業界に広く関わった。オートクチュールが下火になった時期に多くのデザイナーがプレタポルテに転身して成功したのに対し、小林さんは潔くアトリエを閉鎖した。オートクチュールの仕事が表現としては最も自分にあうやり方だったからに違いない。

 ショーの時、「このショーが絶滅危惧種の悪あがきといわれないように、力をつくしました」と語って笑いを誘った。そしてこのショーは決して絶滅などはしない確かさのある魅力に満ちた〝迷宮〟だった。前にこのコラムで「ジャパニーズダンディ」について書いたが、小林さんはその中の誰にも負けないダンディーに思えた。

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PROFILE

上間常正(うえま・つねまさ)

写真

1972年、東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。88年からは学芸部(現・文化部)でファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化学園大学・大学院特任教授としてメディア論、表象文化論などを講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。

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