東京の外国ごはん

震災とアラブの春を乗り越えて~ハンニバル(チュニジア料理)

  • 文・写真 宇佐美里圭
  • 2017年5月16日

 チュニジア料理、と聞いてまず何を思い浮かべるだろうか。アフリカだから、肉……? 豆? クスクス?

 「簡単に言うと、アフリカ、ヨーロッパ、アジア文化のすべての要素からおいしいとこ取りをした料理です。ローズマリー、タイム、オレガノ、コリアンダー、クミンなどいろいろなスパイスを使いますが、使い方が他の国と全然違うんです。チュニジア料理ではほんの少し、香りをつけるために使います」

 新大久保でチュニジア料理店「ハンニバル」を営むオーナーシェフのジェリビ・モンデールさん(47)はそう話す。

 チュニジアはアフリカ北部、地中海沿岸にある。北東にはシチリア島があり、紀元前から地中海貿易で栄えた国だ。古代ローマ帝国の支配下に置かれたのち、アラブ人のイスラム王朝の支配やオスマン帝国の属領、フランス保護領時代を経て、1956年に独立した。歴史の荒波にもまれながら、さまざまな食材や調理法がこの地にたどり着き、独自の料理文化が花開いたのだ。

 まずは、チュニジア風春巻き「ブリック」(700円)にかぶりついた。薄い皮にツナ、ジャガイモ、パセリ、ケッパー、半熟卵が入った揚げ物で、パリパリの薄い皮の中からトロ~リとあふれ出す卵がたまらなくおいしい。「チュニジア料理店に来てブリックがないと、チュニジア人は怒りますよ(笑)。それくらい国を代表する食べ物です」 と、ジェリビさん。ちなみにチュニジア人は卵が大好きだそうだ。

 そしてやっぱり忘れてはいけない、“世界最小のパスタ”と言われるクスクス。 今回は「チキンのクスクス」(1600円)を食べてみた。プチプチの食感がおいしいクスクスに、「ハリッサ」というピリ辛のペーストをつけ、野菜がたっぷり入ったソースをかけて食べる。たしかにやさしい味付けで、どこかほっとする滋味深さがある。野菜は季節によって変わるそうで、その日はホウレン草をベースに、ジャガイモやズッキーニ、カブ、ニンジンなどが入っていた。野菜もたっぷり食べられて、これ一皿で元気になる。

 厨房(ちゅうぼう)で腕をふるうジェリビさんは、チュニジア北部、ルケフ出身だ。1992年に22歳で来日し、以後東京に住んでいる。若い頃から料理人を目指し、16歳でチュニジアの調理学校に入学。その後、パリ郊外にある調理学校でフランス料理の勉強をした。

 「チュニジアというのは観光立国なんです。北東部は美しいビーチ、南西部はサハラ砂漠に囲まれていて、沿岸部は高級ホテルが立ち並んでいます。だから、高級ホテルのシェフになると、普通のお医者さんより稼げるんですよ。 僕が若い頃は料理人ブームでした」

 ジェリビさんが東京に来たのは、「フレンチレストランで働かないか」というオファーがあったから。日本のことはよく知らなかったが、アニメは好きだった。「ドラゴンボールとか大好きでしたね(笑)。だから割と身近に感じていたんです」。日本語はわからなかったが、それほど不安はなかった。

 日本に来ると、昼間は日本語学校、午後は夜遅くまでレストランで働くという日々を過ごした。しかし、折しも時代はバブルの終わり。働いていたフレンチレストランは大きくなりすぎ、2年ほど働いたのちに閉店。仲間はみんな独立していった。

 当初は、「働きながら、和食でも勉強して帰ろう」と思っていたが、ジェリビさんはすっかり日本が気に入り、離れたくなかった。独立するまわりの仲間を見て、自分もどんな形でもいいからお店を持ちたいと思った。

 「本当はフレンチをやりたかったんですが、フレンチの場合は場所が重要です。やっぱり広尾や恵比寿じゃないと人が来ない。でも、そんな高いところでお店を持つなんて、スポンサーがいないと無理です。僕には資金もスポンサーもなかったので、とりあえず一人でできることを考えました」

 そこで、当時はまだ日本でなじみが薄く、競争相手の少なかった“チュニジア料理店”を出すことにした。それなら高級エリアである必要はない。

 あちこちの物件を探すと、多国籍文化が混在していた新大久保で、地下1階の「誰も借りそうもない」小さい一部屋を借りることができた。ジェリビさんは貯金の170万円を使い、自分で棚を作り、ペンキを塗り、まずは一人で「ハンニバル」をオープンさせた。28歳のときだった。

 オープン当初の写真が入ったアルバムをジェリビさんはさっと出してきてくれた。「最初はギャラリーみたいな何もない店でした。でも、日本人の友達がたくさん来てくれたんです」。写真には、たくさんの友達に囲まれたジェリビさんがいた。しかもみんな今でも常連さんだという。

 「やっぱり商売って仲間がいないとできないんですよ。僕は、スポーツクラブヘ行ってもスーパーへ行っても、飲み屋や歯医者へ行っても、必ずそこでおしゃべりして、みんなと仲良くなります。そうやって顔を覚えてもらって、どんどんつながっていく。そういうのが好きなんです。性格なんでしょうね(笑)」

 ジェリビさんの人柄にひかれてか、お店もどんどん上り調子に。お客さんが増え、2002年には原宿で2店舗目、「ハンニバル2」を出した。80人ほど入るレストランで、家具やインテリアにもこだわった。「自分のすべてを込めて造った」店だった。 

 しかし2011年、東日本大震災が起きるとすべてが一転してしまう。常連だった大使館関係者はみんな帰ってしまい、ぱたりと客足が遠のいた。しかもタイミング悪く、「アラブの春」が起きたのもこの時期。アラブ関連の事業が減り、商社のお得意さんも来なくなった。さらに円高が事業悪化を加速させる。

 「当時は泣いていましたよ。こんな小さいお店なのに、不思議と世界の動きとつながっているんですよね……」

 しばらく踏ん張ったが、客足が戻らないまま半年ほど過ぎた。ジェリビさんにとっては、そろそろ限界だった。

 「家賃や人件費で、何もしなくても毎月100万円くらいは出て行きます。これ以上続けていたら、どんどんマイナスになるのは目に見えていました。本当は続けたかったけれど、どうにもならなくて……」

 2011年、ジェリビさんはすべてを清算し、チュニジアへ帰った。お店のものは日本人の親しい友人が預かってくれた。「使わなければ捨ててもいいよ」と言い残して……。日本には戻れないかもしれない、と心づもりをしていたのだ。

 それから2年後。ジェリビさんは再び東京にいた。友人たちの「戻っておいでよ」との声に後押しされ、古巣の新大久保で、“新生ハンニバル”をオープンさせたのだ。

 「いろいろあるのが人生だからね。でも、だからこそ楽しいんです」

 帰り際、ジェリビさんは「今度は友達つれて遊びにきてね、マダム!」と、明るい声で送ってくれた。新大久保の雑多な裏道に出ると、ネオンがぽつぽつとつき始めていた。韓国料理、タイ料理、ベトナム料理……。この街ではいろいろな国の人が、いろいろな人生を背負って生きている。「さて自分はどうだろう……」。暮れゆく空を見上げ、ふと考えた。

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■ハンニバル(Hannibal)
東京都新宿区百人町1-19-2 大久保ユニオンビル1F
03-6304-0930
http://hannibal.jp/

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PROFILE

宇佐美里圭(うさみ・りか)編集者、ライター

宇佐美里圭

1979年、東京都生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒。在学中、ペルー・クスコにて旅行会社勤務、バルセロナ・ポンペウファブラ大学写真専攻修了。ワールドミュージック誌、スペイン語通訳、女性誌、『週刊朝日』編集部を経て、『アサヒカメラ』編集部。料理研究家・行正り香さんの書籍を多数手がける。ラテン音楽、山、ワインが好き。

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