MUSIC TALK

「ガッツだぜ!!」から20年後の「人生」 トータス松本(後編)

  • 2017年6月6日

撮影/山田秀隆

  • 撮影/山田秀隆

  • ウルフルズ25周年を記念したアルバム「人生」

 「ガッツだぜ!!」で一気にスターダムを駆け上ったウルフルズ。以来、人気バンドとしてヒット曲を次々に飛ばしながらも、突然の活動休止でファンを驚かせた。元気印のバンドがその裏で感じていた戸惑いや葛藤、そして、復活を経た「今」を、ボーカルのトータス松本さんが語る。(文・中津海麻子)

    ◇

(前編から続く)

日本語にこだわる理由

――ウルフルズと言えば、関西弁も含んだ「ザ・日本語」のロックを結成当時から貫いています。日本語へのこだわりがあったのですか?

 僕らがバンドを始めたころって、英語がちょっと混じってんのが恥ずかしい感じやった。時代遅れというか。「ひとりぼっちのロンリーナイト」とか「聞いてください……レイニーデー」とかさ(笑)。全然似合わへんのよ、ライブハウスとそのノリが。そういうことに気づいてないヤツらがいっぱいおって、ああはなりたないと思って。若かったから、特にそういうことには敏感やった。だから俺らは頭から尻まで日本語、タイトルも日本語、英語なんか使うかー!みたいな(笑)。で、題材は超身近。「禁断の扉が開いて……」とか(笑)、そういう訳わからん設定は一切ナシ。

 そうやってオリジナル曲を作ってはライブに出て、また曲作って。曲が足らんときは洋楽にテキトーに日本語はめて歌ったり。大阪のちっちゃいライブハウスだと誰も気づかへんかったね(笑)。

――ライブに来るお客さんの反響は?

 ライブを始めて割とすぐにお客さんは増えたんですよ。大阪ではワンマンもできるようになり、ライブハウスの人が口をきいてくれた福岡でのライブも歓迎されて。「東京でもイケるんちゃうか?」なんて調子に乗ってたら、知り合いが「渋谷のエッグマンで空きがあるけど」と声をかけてくれて、「行きたい! 行く!」と。

 対バンやったんやけど、会場に行ったらお客さんがいっぱいおって。「わぁ、いっぱいおるなー!」って喜んで、本番まで時間あるからメシ食いに行って、戻って来たら誰もいない。みんな前のバンドのファンで、帰っちゃったんですよ。僕らの番になったら6人しかおらへん。その6人、仕事とかで大阪から東京に出てきてた友達で。今度東京でライブやるから見に来てや~、とか誘った人らだけやった。

 よく考えれば当たり前だよね。今みたいにインターネットもないから告知もできなかったし。でも、そんな少人数の前でライブやったことなんてなかったからすごいヘコんだ。悔しくて悔しくて、もうやり続けるしかないと。ブッキングしてもらっては車に機材積んで東京に向かいました。そのうち東京でもおもしろがられるようになり、メキメキお客さんが増えてきて、2、3年後にはワンマンができるように。諦めずに辛抱強く頑張ったなぁと思います。

 そしたらライブハウスにレコード会社の人が来て、名刺を置いていって。ホンマにこんなことあんねんなぁ、マンガみたいやなぁ、って。

メジャーデビューしてからヘコんだ

――1992年、メジャーデビューを果たします。

 なんかもう「終了~」って感じやった。目標達成、ゲームオーバー! みたいな。ホンマはそこがスタートなんやけど(笑)。で、しばらくしてからデビューしたからいうて何も始まってないことに気づいて真っ青になった。アホやね、ホンマ(笑)。正直、デビューしてからのほうがしんどかった。アマチュアの頃はなんやかや言うても楽しかった。バイトもしてたし仲間もいっぱいおったからね。メジャーデビューして売れないっていうのは、ものすごい傷つく。必要とされてない感が半端ない、っていうか。

 最初は給料が出てたんやけど、売れないから出なくなって、またバイトを始めたんです。で、金貯めてはライブして。アマチュアのときとやってることが何も変わってない。これは相当ヘコんだね。ここまでして音楽やらなアカンのやろか、こんな惨めな思いまでしてなんのために音楽やってんのやろ――。そんなこと考えて一人泣いていました。

「ガッツだぜ!!」ヒットの裏側

――96年に「ガッツだぜ!!」がヒットします。どんな経緯で生まれたのですか?

 その前の年、シングルで畳み掛けて攻めていこうという作戦がレコード会社とあって、プロデューサーの伊藤銀次さんとあれこれ曲を作ってたんですが、それが少しずつ話題になってきて。どこに行ってもちょっととんがった人が「ウルフルズ好きなんスよ」とか言ってくれるようになり、なんか認められてきた? っていう流れがあったんです。

 スタッフからは「次が勝負曲だ!」と言われたんやけど、その途端に萎縮してしまった。いい曲書かなアカンっていう思いにとらわれて、いい曲ってどんなやろ? と悩み、結局サザンオールスターズのバッタもんみたいな曲作って。スタッフからは「こういうことじゃなくて!」とあきれられ、銀次さんには「なんでこういう当たり前の曲とか書いてくんねや?」って怒られ。でも「僕も恥ずかしいことはしたくないです」とか食ってかかってた。きっと「こいつわかってへんな」なんて思われてたでしょうね。そして、さんざん「オモロい曲を書け!」と言われる中で生まれたのが「ガッツだぜ!!」だったんです。

――初の大ヒット、どんな気持ちでしたか?

 ヒットしたのはすごくうれしかったけど、僕らはああいう感じでやりたい訳じゃなかったから、ちょっと複雑でしたね。いい曲で売れたいのに、「ガッツだぜ!!」のデモテープを聴いた時だけスタッフが異様に興奮してるから、「こんなんでええの?」と。そこは葛藤だった。でも、ほかの誰かやほかのバンドが作れる曲じゃないから、そういう意味であの曲はよかったんや、と思ってる。うん。後悔はしてないけど、当時は「自分がやりたい音楽からずいぶん遠くに来たもんだ……」なんて複雑な気持ちやったけどね。

ウルフルズ復活。メンバーが心強い感じに

――その後も「バンザイ~好きでよかった~」「明日があるさ」などヒット曲を次々と飛ばして行きました。しかし2009年、ウルフルズは活動休止を発表。トータスさんはソロとしての活動を始めます。

 休止は、メンバーみんなが疲れたんやろうね。とにかく前に進めなくなった。だから止まった。止まるしかない。そんな感じでした。

 一人になったら自由になれると思った。ところが、確かに自由なんやけど、自由って全然自由じゃないなぁ……と。ある意味、ウルフルズっていう制約がある中で自由にしている風が実は楽しかったわけで、何やってもいい、好きにやっていいですよって言われたら、自由すぎてもはや自由を感じない。不自由やったんですよ。

 ソロとしてやりたいことはやったけど、バンドはウルフルズ以外には興味がないし、やりたいことはウルフルズで全部できてるし、僕にはウルフルズしかバンドがない。自分が歌う場所としてウルフルズが一番好きで大切な場所なんや――。そう気づくことができた。そういう場があることは、本当にありがたいと思うよね。

――2013年、4年半ぶりに復活。復活に至った経緯は? 変化はありましたか?

 休止しているときは誰にも連絡も全然取ってなかった。お互いに今は触れずにいよう、みたいな感じやったんやと思う。それが4年余りが経ち、なんとなくメンバー全員がウルフルズをもう1回意識し始めたんです。

 再び集まり一緒にやってみて感じたのは、個人個人がウルフルズに向き合う気持ちが成長したなぁ、ということ。僕は歌い手だから、ソロのライブでもリクエストがあればウルフルズの曲を歌ってたんやけど、メンバーはそれはできない。プレーヤーとして演奏の腕を試され続け、鍛えられ、考え方もシンプルになって、ホンマにみんな心強い感じになって戻ってきたんですよ。それが復活してから一番変わったことやと思う。

ファーストアルバムのよう 新作「人生」

――「復活三部作」と位置付けたアルバムのトリとして、3枚目の「人生」がこの5月リリースされました。聴きどころは?

 復活して1枚目は割と肩に力が入ってたんです。その反動で2枚目はものすごく大雑把に作った。両方ともそれぞれにいいところがあるんやけど、3枚目は、メンバーの中から出てきたものをうまくすくい上げて、なんかわちゃわちゃしたおもしろおかしいもんができたらいいな、っていうのが漠然とあって。1枚目と2枚目は僕が全部曲を書いたんやけど、今回はメンバーが書いたらオモロいちゃうんかなと。みんな最初は少し不安そうやったけど、やっているうちにメンバーもちょいちょい曲を投げてくるようになり、それに僕がメロディーをつけたりして。そのキャッチボールがすごく楽しかった。

 新しいアプローチとも言えるし、すごい乱暴な言い方をするなら、キャリアを積んで作品が研ぎ澄まされていくよりは、ちょっと駄作っぽいのを作ったらオモロいかなと思ったんですよね。ファーストアルバムみたいなみずみずしい感じというか。ファーストアルバムって、自分らもそうやったけど、やりたいことはわかるんやけど総じてコケてんなぁ、みたいなのが多い。でもなんかカッコいい。それは、それまでの人生がすべて詰め込まれているからやと思うんです。僕だったら、中2でエレキギター買ってもらって夢中になって、バイト先でケーヤンやメンバーと出会ってバンドやって、ライブハウスがいっぱいになるようになって……っていう積み重ねが、ファーストアルバムにバーン!と出てる。だから、なんかいい。

 今回のアルバムは、メンバーには多少無理を強いたかもしれへんけど、ファーストアルバムみたいなやったことない感、出したことない感が思った以上に出た。聴きどころはそこですね。ウルフルズの持っているもんが、自分らが作ろうとした以上に色濃く出たなぁ、という感じがしています。

――今年でデビュー25年。これからのウルフルズ、これからのトータスさんは?

 先のことは一切わからへん。明日のこともわからへんし。死んでるかもしれんよ。「昨日あんなに普通にインタビューに答えてたのに!?」って。人間が死ぬときなんてそんなもんですよ。人は「今」と「過去」だけで形成されている。だから、先のことはわかんないです。僕が死んだら、ボーカル変えて残りの3人でやるかもしれんし。欧米のバンドとか、そういうのシレッとやるじゃないですか。ウルフルズがあれを最初にやる日本のバンドになるかもしれんよね(笑)。

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トータス松本

1966年生まれ、兵庫県西脇市出身。ウルフルズのボーカルとして、92年シングル「やぶれかぶれ」でデビュー。95年「ガッツだぜ!!」でブレイクし、96年のアルバム「バンザイ」はミリオンヒットに。2003年、自身のルーツであるサム・クック、マーヴィン・ゲイなどソウル、R&Bの名曲をカバーした初のソロカバーアルバム「TRAVELLER」を発表した。09年にウルフルズが無期限活動休止を発表、14年活動再開。以降もライブ活動を中心に、ソロ活動も継続している。また、音楽活動と並行し、CM、ドラマ、映画、執筆活動等、多方面でも活躍。
17年5月24日、ウルフルズ25周年を記念した、通算14枚目のアルバム「人生」をリリースした。

ウルフルズ 公式サイト:https://www.ulfuls.com/
トータス松本 公式サイト:https://www.tortoisematsumoto.com/

【ライブ情報】
「ウルフルズ ツアー2017 人生~デビュー25周年やな!せやせや!~」
 詳細はこちら

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