東京の台所

<146>住まいの決め手は、地域猫

  • 文・写真 大平一枝
  • 2017年6月14日

〈住人プロフィール〉
会社員・42歳
賃貸マンション・1K・東京東横線 学芸大学駅(目黒区)
築年数26年・入居10年・ひとり暮らし

    ◇

 目黒の住宅地、古くて小さなマンションの3階角部屋、隣は大家の自宅だ。この日も、大家のご主人が、マンションの階段をきれいに掃いていた。

 隣が大家というのは息苦しそうなものだが、住人はそうでもないらしい。

 「もう10年も住んでいるし、明るくお話好きで、すてきな方なので。うちに遊びに来る友だちは、みんな会ってます」

 少し変わった間取りである。玄関を開けると、短い廊下の正面に台所があり、L字型に居室が広がる。廊下から居室へはドアがあるのだが、台所と居室の間には壁がなく、柱が1本あるだけ。住人は電子ピアノとワゴンを間仕切り代わりにしている。

 食卓と机は兼用で、テーブルはない。ついでにテレビもない。

 「14年前にテレビを処分しました。ラジオと新聞とネットで情報は足りるので。とくにラジオが好きでよくJ-WAVEを聴いています」

 いろいろ聞いていくと、とても合理的な考え方の持ち主で、何事にも無駄がない。返答も理路整然としている。

 外食はフレンチやイタリアンで、カフェにはあまり行かない。理由は「カフェめしは家でも作れそうだから」。外食のときは、ちゃんと手間ひまかけたものを食べたいのだという。

 平日お酒を飲まないのは「翌日の仕事を気にしながらひとりで飲みたいほど、好きではないから」。

 有機野菜の宅配をとっているので、月~金曜はひたすら野菜を調理。その際、しょうゆ、みりんをあまり使わず、塩、レモン、コショウが中心。「単純な味付けにしておけば、あとで足せますから」。シンプルな味付けは、野菜の滋味を堪能できる。土日に、肉、魚を楽しむ。

 週末は友人を招いて、家でゆったり食事を楽しむ。ネット通販でビオワイン(自然派のもの)をまとめ買いするのは、「リーズナブルだし、どんな銘柄が届くか予想がつかない楽しみがあるから」。

 シンクの上にしょうゆ差しひとつ置かれていないので、「ものを上に出しておかない主義なんですか」という問いの答えに、価値観の軸が見えて、合点がいった。

 「なにも出しておかなければ、掃除しやすいですから。合理的であることを、私の中では、すべての価値観で、最優先しがちなんです」

 なるほど、そういうわけだったのか。たしかに、ひとり暮らし歴20年からあみだされた、“合理的”な快適の極意が、台所のあちこちからにじみ出ている。

 私が、「このまま、猫ちゃんでも飼いだしたらもう、男性なんていらなくなるから危険ですよ」と言うと、「そうなんですよ~。本当はすっごく飼いたいんです!」と目を輝かせる。ほうら、やっぱり。

 「じつは、ここに10年住み続けているのも、あのすてきな大家さんと、地域猫のキャンディちゃんがいるからなんです」

 道を挟んだ向かいの路地に、通称キャンディちゃんという地域猫がいて、近所の人たちで面倒を見ている。餌はやらないが、なんとなく見守っているというのが正しいようだ。

 その猫を介してご近所とも会話が増え、交流が生まれている。新潟から大学進学のため上京し、世田谷2カ所、目黒2カ所と、四つの町をみてきた。自由が丘と中目黒に挟まれ、程よく力が抜け、下町のような近所付き合いがゆるやかにつながる今の街が、自分には一番しっくりきて、居心地がいい。仕事場の晴海から、夜遅く、この町に帰ってくると心がほどける。

 「疲れて帰ってきても、家の前にいるキャンディの顔を見たら、なんだかほっとするんです。住宅地で、いつも決まった人が通って、いつの間にか顔見知りになってあいさつをする。キャンディちゃん、今日は元気が無いわねってみんなで心配したり。東京の中でも、そういう町が私は好きなんですね」

 先日も、会社で上司との面談があった。なにか仕事以外でも心配事はないかと尋ねられた。住人は真顔で訴えたという。
 「ひとり暮らしで子どももいませんし、親の介護もないのですが、猫が……」
 「は?」
 「地域猫がいまして、もしもその子が死んだら、私もどうなるかわかりません」
 「あ……、そ、そうですか」
 苦笑いしてお茶を濁されたらしいが、彼女は本気だった。

 こういう人が猫を飼いだすと、かわいすぎて結婚はどうでもよくなるという例をいくつか知っている。ご本人は結婚願望はあるそうなので、まずはキャンディちゃんのお世話だけで収まりをつけてみてはと、よけいなおせっかいだが提案してしまった。

 働く町と、暮らす町をきりわけて、上手に心の案配をはかっている。そのクッションにキャンディちゃんがいる。自分がどうしたら居心地良く暮らせるか、知っている人はいろんな意味で最強だと実感した。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

写真

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば 辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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