MUSIC TALK

江戸川区から、音楽の大航海は続く 中村一義(後編)

  • 2017年6月27日

撮影/山田秀隆

  • 撮影/山田秀隆

  • 今年デビュー20周年でリリースした、セルフカバーアルバム「最高築」

 世間をあっと驚かすような“イカダ”で、音楽シーンという大きな海原に船出した。たくさんの出会いを経て、常に聴くものの心に届く話題作を放ってきた。デビューから20年を迎えた中村一義さんが語る、これまでの旅、これからの冒険。(文・中津海麻子)

    ◇

(前編から続く)

バンド「100s」はアートスクールみたいだった

――デビュー以来、アルバムをリリースしながらもしばらくライブをしませんでした。何か理由があったのですか?

 バンドがいなかった。それだけです。全部自分で演奏し、それを宅録してデビューしちゃったんで、年齢が近くて気心が知れてるヤツらが周りにいなくて。ライブだけサポートメンバーにお願いするという手もあったけれど、ただでさえわかりにくい曲だったし、あのころの僕は「こうでなければならない」みたいなこだわりも強かった。「この通りに演奏しなきゃいけない」という緊張感を強いるだけだな、と。そこまでしてライブをしようとは思わなかったんです。

 そんな中、「金字塔」でギターを弾いてくれた高野寛さんが、「ドラムの天才がいる。歳も中村くんと同じだから気が合うと思うよ」と、ドラマーの玉田豊夢くんを紹介してくれて。ホント、高野さんはどこまでもいい人なんです(笑)。当時事務所が一緒だったスーパー・バター・ドッグの池ちゃん(レキシの池田貴史さん)も来てくれて、ほかにも参加してくれるミュージシャンが集まり、気が付いたらバンドっぽくなっていました。

 ちょうど、ロック・イン・ジャパン・フェスティバルのトリをつとめてほしいというオファーがあり、そのメンバーで初ライブをする予定でした。ところが、大嵐で出番前に中止になっちゃったんです。翌年、「リベンジで」と頼まれ、じゃあここでガッチリとバンドを作ろう、と。豊夢くんの専門学校時代の同級生、ギターの町田昌弘とベースの山口寛雄を紹介してもらい、僕が好きなバンドshortcut miffy!の小野眞一にも声をかけ、6人が集まった。で、新曲「キャノンボール」を合わせてみたら衝撃的なほどよかった。「もうこれだね!」と。そのときは僕名義で出演したけど、実質的にはバンド100s(ヒャクシキ)のライブになりました。

――ちなみにバンド名「100s」の意味は?

 バンド名を考えてるとき、好きなものの話になったら、みんな「やっぱガンダムだよねー」「やっぱシャアだよねー」と。世代ですよね(笑)。で、シャアのモビルスーツ「百式」にしよう、と。「100s」という表記は僕が吸っていたタバコのロングサイズを示す「100’s」からです。

――バンドをやってみて、発見や変化はありましたか?

 ギターならギタリストが、ベースならベーシストが、自由に弾いてるフレーズから「あ、それいいね」とチョイスできる。ずっと一人でやってきた僕にとってそれは新鮮でした。ゼロからすべてを自分で決めていくソロのおもしろさもあるんだけど、バンドのメンバーそれぞれの持ち味から良さを引き出すのは新鮮でしたね。

 それにライブを意識した曲を作るようになった。ソロの曲、たとえば「金字塔」に収録されている曲って歌詞が1行1行違うんですが、「キャノンボール」はサビで同じフレーズを連呼している。みんなが歌詞を覚えたり口ずさんだりしやすくて、ライブで一緒に盛り上がれる。特にこの「キャノンボール」は、ライブをやるぞっていう宣戦布告の曲でもあったんです。

――100sは10年近く活動しました。100sというバンドはどんな存在でしたか?

 アートスクールみたいだった。メンバー全員が音楽だけじゃなく世界観を常に考えていて、ミュージックビデオもみんなでアイデアを出し合って。一緒にやってるけど、それぞれはライバルという感覚は持っていて、だからこそみんなで高みに行こう、と。マンガ家ならぬミュージシャンが集まった「トキワ荘」のような感じでしたね。

まだたどるべき、自分のルーツの「続き」

――その後、再びソロに。2012年には10年ぶりにソロ名義でアルバム「対音楽」をリリースしました。

 100sの3枚目のアルバム「世界のフラワーロード」の「フラワーロード」は、僕の地元の江戸川区にある商店街の名前なんです。僕が生まれ育った街のテーマで、バンドではあったけれど僕の原風景をたどるソロ的な作品になった。みんなそれを理解した上で最高のものを出し切り100sは一旦終わりになったんだけど、僕にはまだたどるべきルーツの「続き」が残っていた。それは、祖父が好きだったベートーベンに向き合うこと。そして、すべての楽曲にベートーベンの交響曲のフレーズを盛り込んだ「対音楽」を作ったのです。

 正直、このアルバムをリリースして音楽をやめようかとも思いました。デビューしてから考えていたことは全部やり終えたかな、って。1つの輪をぐるっと1周した感覚があったんです。

――でも、やめなかった。

 まだやってないことって何だろうと考えたら、それは自主的なライブだった。それまでは、アルバムを作りツアーを回る、それが僕にとってのライブだったけれど、リリースがなくてもライブをしようと思い立ちました。これまでとは違う輪を描き出すことが可能なんじゃないかと思ったんです。そして、100sのメンバーのまっちぃ(町田昌弘さん)と二人、観客の表情がわかるような小さい箱から回ろうと、トークと弾き語りのライブ「まちなかオンリー!」を始めました。

 席数100ぐらいの会場もあり、お客さんとの距離も近くて普通にしゃべっています。「(ステージに)上がってくるか?」とか(笑)。そんなやりとりが、観客の皆さんにコーラスをしてもらい、それを録音してアルバムに入れるといった実験的なことにつながっていきました。お客さんと一緒に作っていくと原曲とはまったく違う感じになるのがおもしろい。バンドでやった曲のアコースティックバージョンもできて、楽曲に多様性が出ましたね。

――昨年リリースしたアルバム「海賊盤」は、再びバンドの体制に。愛犬「魂(ゴン)ちゃん」とビクター犬こと「ニッパー」の2ショットのジャケットも愛らしいですね。

 そう、魂がメインなんです! って、あいつどこに昇り詰めようとしてるんだ?(笑)。

 僕とほぼ同時期に活躍したヘルマン(Hermann H. & The Pacemakers)の再結成後のライブへの出演を頼まれたのがきっかけでした。面識はなかったけど、「とりあえず飲もうか」と酒場で飲んでたら、流しのおっさんが長渕剛さんの「トンボ」を歌い出し、みんなで肩組んで大合唱に(笑)。そのぐらいグルーヴしたんです。いっそのこと、他のフェスにもこのメンツで出ちゃおうと。さらに僕が地元の江戸川区でやっているライブ「エドガワQ」のバンドメンバーもくっついちゃおう、という話になって。気づいたら総勢11名プラス犬という大所帯(笑)。「大海賊」というバンドになりました。

 21歳のときに「金字塔」っていう珍しいイカダを作って、周りから「そんなデコトラみたいなイカダで海に出られるの?」と驚かれ(笑)。それを漕ぎながら100sのメンバーに出会い、ちゃんとした船の作り方を知った。そして今度は大海賊のメンバーと出会い、一緒に作った船に乗って冒険してる――。そんな感覚があります。つながっていないようでいてすべてが僕の中ではつながってるんだな、と。

振り返ると、時代が回っている気がする

――今年デビュー20年を迎え、5月にはセルフカバーアルバム「最高築」をリリース。同時に、2月に開催されたライブのDVD「ERA 再構築~エドガワQ2017~」も発売されました。20年を振り返っていかがでしたか?

 それが、振り返るっていう感じでもなかった。どの曲も今もライブでやっているので、「現行感」が強いんです。ひとつ思ったのは、案外普遍的な作品だったんだなと。歌詞が古くない。言葉は選んでは書いていました。たとえば「携帯」とか「PHS」とかは使わないようにしていたし。ピッチなんて歌詞に使ってたら、歌いづらいですからね(笑)。

 「ERA 最高築」は、2年前に「金字塔」を再現したライブをやっていたので、それに続く形ではありましたが、時代背景を考えても今かな、と。3枚目のアルバム「ERA」(2000年)に収録されている「ゲルニカ」という曲は、スペイン内戦中にドイツによる無差別爆撃をテーマにピカソが描いた作品「ゲルニカ」がモチーフですが、アルバムリリースの翌年にはアメリカ同時多発テロが起き、最近は北朝鮮の問題があり、時代が回ってきている。今の「ERA」を今の時代に改めて鳴らさなきゃいけない。そんな思いもありました。

 実はバンドメンバーでヘルマンのボーカルとギターの岡本洋平が咽頭ガンを患ったのですが、闘病し帰ってきた。アルバムでは「キャノンボール」のレコーディングに参加でき、ライブもステージに立てるほど急激に回復してくれた。その復活の意味では、とても価値のあるCDでありライブになったと思っています。

――これからについてお聞かせください。

 来年頭までは20周年イヤーが続くので、どんなことでびっくりさせてやろうかな、と。まだまだ隠し球があります。ただ、それから先のことはわからない。20年やって一区切りだから、あと20年音楽やるのかなぁ。最初の20年は「対音楽」ぐらいまで僕なりの計画がある中で過ごしていたけど、次の20年はまるでわからない中を進んでいくだろうな、と。明日何が起きるのかをおもしろがりながら、新しいことをやったり角度を変えたり。そんな風に冒険の旅を続けて行く……のかもしれないですね。

  ◇

中村一義(なかむら・かずよし)

1975年生まれ、東京都江戸川区出身。97年、シングル「犬と猫 / ここにいる」でデビュー。セルフプロデュース、そしてすべての楽器をほぼ一人で録音したデビューアルバム「金字塔」は、独特な日本語詞と卓越したポップセンスによって、日本のロックシーンにインパクトを与えた。2004年、バンド「100s」を結成。バンドとしての活動を経て、2012年は約10年ぶりにソロ名義で再始動、アルバム「対音楽」を発表。16年、6枚目のアルバム「海賊盤」をリリース。17年、デビュー20周年を迎え、5月にセルフカバーベスト「最高築」をリリースした。

中村一義 オフィシャルサイト:http://www.kikagaku.com/

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