MUSIC TALK

コーラスを頼んだら、遊穂のほうがうまかった ハンバート ハンバート(前編)

  • 2017年7月7日

撮影/松嶋 愛

  • 撮影/松嶋 愛

 優しく、ほっこり。ときに切なく、ときに「毒」もある――。夫婦デュオのハンバート ハンバートが紡ぎ出す音楽を、ミサワホームなどのCMや、映画・テレビ番組で耳にしたことがある人も多いはず。

 二人がそれぞれのルーツ、出会い、売れないバンド時代を振り返る。(文・中津海麻子)

    ◇

ギターが弾きたかったのに、バイオリンを習うことに(佐藤)
おばあちゃんのカラオケセットで歌ってました(佐野)

――幼いころは、どんな音楽に触れていましたか?

佐藤良成(以下、佐藤) 特に音楽好きという家庭ではなかったけれど、親が若いころにはやったフォークやカントリーのレコードがありました。ジョン・デンバー、サイモン&ガーファンクル、あとは日本のフォークグループの赤い鳥。赤い鳥は日本語だから子どもの耳でもわかりやすく、気に入ってよく歌っていましたね。

 4歳ぐらいのときに中学生のいとこがエレキギターを買ってもらって、それがめちゃくちゃカッコよくて。エレキギターがなんだかもよくわかってなかったけど、ほしい、買ってくれ! とねだりました。聞き入れてもらえず、それでも3年間しぶとく言い続けていたら、「ギターは大きすぎて子どもには無理だから、バイオリンならいいわよ」と。で、7歳からバイオリンを習い始めました。

 実はギターとバイオリンの違いがわかってなくて、バイオリンもギターみたいに抱えて弾くものだと思っていたんです。ところがレッスンに行ったら、あごに挟んで弾く楽器だった。ギターを弾きながら歌いたかったのに、この格好じゃ歌えないじゃないかって、すごくがっかりして(笑)。

佐野遊穂(以下、佐野) うちは母が音楽好きで、ジャズや、金子由香利さんのシャンソンのレコードがたくさんありました。サイモン&ガーファンクルはうちにもありましたね。歌うのも好きでした。

 中学生になると、友達のおばあちゃんの家にあった古いカラオケセットをリアカーで友達の家までゴロゴロと運んでは歌ってました。知らない曲ばかり、それも全部演歌だったけど(笑)。そのカラオケセットで練習した演歌を、近所の夏祭りのカラオケ大会で歌ったことも。友達とノリノリで踊りながら「星降る街角」を熱唱しました。オリジナルを知らないから「大体こんな感じかな?」って適当に(笑)。景品でカードラジオをもらったのがすごくうれしかった。ちょうどそのころからカラオケボックスが流行り始めて、友達と通いました。

佐藤 僕が小学生のころ覚えているのは、ホームパーティー。父が会社の人を家に連れてきて「バイオリンを弾け」と。抵抗したものの親父は酔っ払ってるから全然聞いてくれなくて、仕方なく演奏したんです。そしたら親父が部下の人たちに帽子を回して、戻ってきたらお金がいっぱい入ってた。かなりいい臨時収入で、「これはいいぞ」と(笑)。

フォークが好きになった理由

――それぞれ小中学生の時に「初ステージ」を踏んでいたんですね(笑)。高校生のときは?

佐藤 ローリングストーンズやレッド・ツェッペリンといった往年のロックが仲間内ではやっていて、そのコピーバンドをやっていました。一方で、中3のときにようやくフォークギターを買ってもらい、3人組のフォークグループも結成し、ボブ・ディラン、吉田拓郎さんや高田渡さんの曲をやって。フォークは時代的にも世代的にもメインストリームじゃなかったけど、だからこそ好きだった。はやっているものやみんなが知っている音楽「じゃない」のを探していたように思います。それが古いロックだったりフォークだったりした。ちなみに、フォークグループの名前は「プランクトン」でした。かなり恥ずかしい(笑)。

佐野 私は、高校の文化祭のステージに出たことがあります。自分ではピアノもギターも弾けなかったので、ギターができる男子に演奏を頼んで。当時よく聴いていた今井美樹さんのボサノバの曲を「これやりたい」と。ギターの音がメインだし、音の数も少ない感じがしたから簡単なのかな、って思って。

佐藤 ボサノバ……めっちゃ難しいよ(笑)。

佐野 そういうことも全然わかってなかった(笑)。

大学時代、ハンバート ハンバート結成

――お二人は大学時代に出会い、バンドを結成します。どんな経緯で?

佐藤 高校時代の地味なフォークグループの反動か、大学では都会的でオシャレなバンドをやりたいなぁ、と(笑)。僕がメインで歌い、ホーンや女性コーラス隊を従えるような大所帯の華やかなバンドを作ろうと考えました。早稲田大学のジャズバンドサークルに入って仲間を募ったのですがメンバーが足りなくて、和光高校時代の友達に声をかけたら、和光大に通っていた遊穂を連れてきてくれたんです。

佐野 デモテープを作るからコーラス入れてくれない? と頼まれ、やるやる、と。

佐藤 それで合わせてみたら、遊穂の方が全然歌がうまくて、みんなが一斉に「遊穂が歌った方がいいよ」と。コーラスとして従えるつもりが、気がついたら前に立たれてた(笑)。

佐野 ライブもやるようになり、「ハンバート ハンバート」というバンド名に。当時は6人組のバンドでした。

佐藤 やっていた音楽は、今と比べるともうちょっとポップスを目指している感じで。恥ずかしい感じの曲が多かったね(笑)。

――大学を出てからはどうしようと考えていたのですか?

佐野 私は小さな編集プロダクションに就職しました。でも、向いてなくて半年で退職。仕事の時間が長く、音楽との両立が難しいことも理由でした。それからは、休みやすい仕事で音楽をやりながら働きました。

佐藤 僕はミュージシャンになる以外の選択肢はなかった。ただ同級生のメンバーはかなり現実的で、どんどん就活を始めて。それで残ったのが遊穂と二人だったんです。とはいえ、後輩やプロを目指している知り合いにサポートしてもらい、バンドはそれまでとほぼ同じ編成で、デモテープを作ってはライブハウスに持ち込んでいました。

――反応は?

佐野 私は能天気な性格なので、誰かがちょっと「いい」と言ってくれたら「いいんだ!」って(笑)。

佐藤 実際は鳴かず飛ばずもいいところで。遊穂が「大丈夫、大丈夫」って能天気だったからやってこられた。一人じゃダメだったかもしれません。親からは「音楽で食えるわけがないから就職しろ」と言われ、聞く気はなかったんですが、だからこそなんとか音楽を形にしないと、という焦りもありました。

 そんな中、大学4年のとき知り合いの紹介で、最初に所属したレコード会社の社長に出会ったんです。デモテープを持っていったら、いいとも悪いとも言われず、「CDが出したいなら、アルバムが出せるぐらいの曲数を作って持ってくれば?」と。頑張ればCDが出せるかもと、卒業ギリギリまで曲を作って再びデモテープを持参しました。すると「じゃあ、これをこのまま出そう」と。

 こちらとしては、見込みがあればレコーディングをしてちゃんとしたCDを作ってくれるんじゃないかという期待があったのですが……。これはデモテープなんだけどなぁと複雑な思いでしたが、でも出したい気持ちのほうが強かった。それがデビューになりました。こういうパターンもあるんですね(笑)。

バンドを続ける原動力となったもの

――2001年、ファーストアルバム「for hundreds of children」でデビューしました。反響は?

佐藤 インディーズの無名のバンドのアルバムとしては好評で、ライブでも少しですがお客さんが増えて。それまでは友達ばかりだったのが、知らないお客さんも来てくれるようになったんです。

佐野 大阪などでもライブをするようになりました。自分たちが知らない遠いところで、自分たちの音楽を聴いてくれる人がいる。それは初めての経験で、すごくうれしかったですね。

佐藤 1枚目がよかったので、2枚目はちゃんとレコーディングしたんですが、これが全く売れなくて。3枚目も同様でまるで広がっていかなかった。3、4年間、出すごとにトーンダウンしていって。

――それでもバンドを続けていこうという原動力は何だったのでしょうか?

佐藤 うーん……なんだろ。遊穂と違って、僕はすぐに落ち込んで嫌になっちゃったりするんだけど、かといって、ほかに何かをしようという発想がなかったんだと思います。自分が好きな音楽は世の中でちゃんと評価されているんだから、自分も評価されるものを作りたい。それができないままではやめられないし、死んでも死にきれない。意地でもやる、という感じでした。

佐野 二人でやっていたことも大きかったと思います。良成は「好きな音楽をやっていく」ということしか考えてなくて、私にない強いこだわりがある。それがあれば大丈夫だと思えて、私はただそれにくっついて来た。だから、バンドをやめようなんて考えなかったんだと思います。

(後編へ続く)

    ◇

ハンバート ハンバート

佐藤良成(さとう・りょうせい 1978年生まれ、神奈川県出身)、佐野遊穂(さの・ゆうほ 1976年生まれ、東京都出身)によるデュオ。

1998年結成、2001年CDデビュー。フォーク、カントリー、アイリッシュ、日本の童謡などをルーツとした、叙情的でユーモアあふれる音楽が支持を集める。海外の伝統音楽系ミュージシャンたちとの共演も多く、2011年にはスコットランド最大の音楽イベント「ケルティックコネクション」に出演。映画「包帯クラブ」(堤幸彦監督)、映画「プール」・テレビ番組「2クール」(小林聡美、もたいまさこ出演)などで劇中音楽や主題歌を担当。「シャキーン!」「おかあさんといっしょ」などの子ども番組や、アニメ「この素晴らしい世界に祝福を!1~2」にも楽曲を提供。最近ではCMソング「アセロラ体操のうた」が話題に。現在はミサワホーム「いついつまでも」、リンナイ「DELICA」のCMソングがオンエア中。

2017年7月5日、細野晴臣、長岡亮介、We Banjo 3など多彩なゲストを迎えながら制作した9枚目のオリジナルアルバム、「家族行進曲」をリリース。

ハンバート ハンバート公式サイト:http://www.humberthumbert.net/

【ライブ情報】「ハンバートハンバート行進曲2017」

7月25日 渋谷クラブクアトロ
8月10~11日 長野ネオンホール
8月24日 京都 磔磔
8月25日 神戸チキンジョージ
9月9日 日比谷野外音楽堂
9月15日 名古屋ダイアモンドホール
10月1日 大阪城野外音楽堂
10月12日 仙台Rensa
10月20日 浜松 窓枠
10月29日 広島クラブクアトロ
10月31日 福岡イムズホール
11月26日 Zepp Sapporo

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