東京の外国ごはん

新大久保は韓流だけじゃない! ~ネパール居酒屋モモ

  • 文・写真 宇佐美里圭
  • 2017年7月11日

 いま東京で最も“国際的”な街は、もしかしたら新大久保じゃないだろうか。JR新大久保駅の改札を出て左へ曲がり、大久保通りを渡ったところにある通称“イスラム横町”でカメラを構えていてびっくりした。ファインダーをのぞき、シャッターを切るたびにいろんな人が写り込んでくる。白人、黒人、東アジア人、東南アジア人、中東系……あらゆる人種が横切っていく。私が知らなかっただけかもしれないが、“新大久保=韓国”だった時代はいつの間にか過ぎ去り、すっかりマルチカルチュラルな街に変貌(へんぼう)していた。クラクラするような興奮を覚え、どんどん奥へ吸い寄せられていく。

 イスラム横町へ入ってすぐ左手に、小さな食料品店、「Barahi(バラヒ)」はある。一歩中へ入ると “外国の香り”がムンムン。インドや東南アジアの香辛料や調味料、豆類などから、レトルトや缶詰めなどの加工食品、冷凍のヤギ肉や羊肉など、置いてあるものはすべて輸入品。しかもニョクマムやチリソースなどは、日本のスーパーに比べるとずいぶん安い。まるで外国に来たかのような気分になり、一気にテンションが上がった。

 ネパール料理がおいしいと評判の「ネパール居酒屋 モモ」は、この食料品店の2階にある。オーナーは、1階の食料品店も経営する、ネパール人のブサン・ギミレ(Bhushan Ghimire)さん(50)。

 さっそく2階にあがり、ネパール料理を食べることにした。「ネパール料理=カレー系」というざっくりとしたイメージしかなかったが、メニューを見ると、「居酒屋」と銘打っているだけあって、ビールに合いそうな小皿料理がたくさん。中国、インド、チベットの影響を受けながらも独自に発展したネパール料理は、インドより若干スパイスがやさしめで、鶏肉や羊肉だけでなく、ヤギの皮付き肉や骨付き肉をよく食べるのが特徴。味付けはニンニクやコリアンダーを使うものが多いのだそう。はっきりいって、メニューの端から端まで食べたかったが、残念ながら胃袋はひとつ。3皿に絞ることにした。

「羊の脳みそ」はネパールの家庭料理!

 1皿目は「スクティ(Sukuti)」(700円)。干しマトンの炒め料理で、味付けは塩、コショウ、クミン、コリアンダー、玉ねぎ、赤唐辛子、ニンニク。一口食べて確信した。「これはビールの大親友でしょ!」。外側は少し焦げるくらいにカリカリに焼いてあり、肉はまるでビーフジャーキーのよう。かみ締めるほどに肉のうまみが口の中で爆発し、クセになるおいしさ。低カロリー、高鉄分というからお得な気分。

 2皿目は、店名にもなっている名物の「モモ」(600円)。ネパール風の蒸し餃子(ギョーザ)で、あんは鶏肉のミンチと玉ねぎのみじん切り、キャベツ、クミン、コリアンダー、ニンニク、ショウガなど20種類ほどのスパイス。おいしくないはずがない。まずは皮をそっとやぶり、しゅっと肉汁を吸い込む。スパイスが絡み合う複雑な味と肉のうまみが混然一体となり、これだけでもう幸せ。ハフハフしながら一気に完食。まったく辛くないのに、スパイスのためか体がポカポカしてきた。

 そして3皿目が、メニューを見て反射的に頼んだ「羊の脳みそ炒め」(580円)。脳みそを食べるのは初めてなので、ドキドキしがら待っていると、炒め物のような一皿が出てきた。こちらも味付けは塩、ショウガ、コリアンダーなど。おそるおそる食べてみると、脳は白子のようにクリーミーで、ふわあ〜と口の中で溶けていった。まったくクセがなく、食べやすい。が、なんとなく頭に脳の絵が浮かんできてフクザツな気分に……。心臓やら卵巣、精巣なんかはよろこんで食べるくせに、慣れていないからか? 聞けば、羊の脳みそは世界的に見ると割とポピュラーな食べ物で、ネパールでは一般家庭でもよく食べるそうだ。

「日本にはネパール人が多いのに、みんなインド料理店をやっていて、ネパール料理店があんまりなかったんです。だから、このスペースが空いたときに、本格的なネパール料理屋をやってみようかな、と思いついたんです」

 モモのオーナー、ブサンさんはそう話す。日本語を流暢(りゅうちょう)に操るブサンさんは来日15年目。食料品店とレストランの経営だけでなく、ネパール語新聞の紙版とウェブ版の編集長、ネパール人のための学校「エベレスト・インターナショナル・スクール」のディレクターなど多くの肩書を持ち、毎日あちこち駆け回っている。

ネパールからアジア アジアから社会

 もともとはカトマンズで12年間新聞記者として働いていた。本業の傍らジャーナリズムを教えているうちに教育に興味を持ち、キャリアの方向を変えようと、ジャーナリズムの博士号を取るため2002年に来日。当初は上智大学の新聞学科に客員研究員として通っていたという。

 日本を選んだのは、欧米でなくアジアで研究をしたかったから。ネパールから見ると、日本のメディアは進んでいるというイメージがあったそうだ。しかも、ネパール人にとって昔から日本はメジャーな留学先。歴史的にも100年以上前からネパール人は日本へ留学していたという。

 上智大学に通い始めた翌年には、別の短期大学にも入り、日本語を集中的に勉強。ネパールですでに結婚していたブサンさんは、来日1年後に妻を呼び寄せていたが、博士号を取得したらネパールへ戻り、現地でメディア関係の仕事をするつもりだった。

 が、ときは2008年。ネパールではちょうど240年間続いた王制が廃止され、連邦共和制に移行したばかりで、政治は混乱をきわめていた。いろいろな可能性を探ってはみたが、帰国しても自分が望むような仕事には就けなさそうだった。

 そこで、ブサンさんは日本に残ることを決意。まずは家族を養うために稼がなくては、と自分の会社を作り、ネパール人向けの輸入食材店を開くことにしたのだ。同時に、本来やりたかったメディアの仕事、ネパール語のエスニックメディアも立ち上げた。

「ビジネスはやったこともなかったし、自信はありませんでした。でも、ネパール人がすでに増えていたし、政治などの状況を見ても、さらに増えるんじゃないかなと思って……。結果的にはそれが当たりましたね」

 店は新大久保駅から徒歩15分の辺鄙(へんぴ)な場所だったが、在日ネパール人コミュニティーでの顔の広さも手伝って、かなり繁盛した。そして、少し自信がついてきた1年後、たまたま現在のビルの2階が空くという情報が耳に入った。

「バングラデシュの人がお店を畳むから次に入らないかと言ってきたんです。迷わず駅に近いこちらに移転しました」

 そこからは、不思議なことに、どんどん物件が舞い込んできた。

「こういうのは、運というのもあるんですよね……。4カ月後くらいに、今度は今の店がある1階の店舗が空いたんです。パキスタン人が入っていたんですが、彼が商売を辞めるから、後に入らないかと言ってきて。ちょっと高かったので妻にも反対されてかなり迷ったんですが、どうせやるなら本腰を入れてやろう!と決意し、『バラヒ』をオープンしました」

 新大久保の最初の店は駅からも遠く、完全にネパール人向けだったが、駅の近くに移転したときは、「アジアに出てきた」と実感したという。パキスタン人、インド人、韓国人もビルに出入りしていたからだ。が、さらに1階の路面店に進出したときは、「いよいよ社会に出たな」と思った。その頃から“イスラム横町”には、中東系、アフリカ系、西欧人、日本人など多人種が行き来していたのだ。

ネパールブームの火付け役「居酒屋 モモ」誕生

 路面店に出てからは、品ぞろえも一新。ネパール人向けでなく、アフリカ、タイ、ベトナムなどのものも積極的に置くようにした。「お客さんにこれ何ですか? と聞かれても、わからないものも結構あります(笑)。でも、買う人はわかっているから大丈夫です」とブサンさんは笑う。

 しばらくすると、今度は同じビルの2階の奥の部屋が空いた。借りていたミャンマー人が帰国し、大家さんから声をかけられた。そのときに「何ができるかな?」と考えて思いついたのが、本格的なネパール料理が食べられる「居酒屋 モモ」だった。

「結局、自分で『これをやりたい!』と旗を振って前へ突き進んできたというよりは、向こうからきたものをやっている感覚なんです」

 ブサンさんは淡々とそう話す。今でこそ新大久保は、“リトルカトマンズ”とも呼ばれるほどネパール料理店が増えたが、2010年にオープンしたときは、新大久保にはモモしかなかった。その後、5年間で20店舗に急増。ネパール人が増えたというのもあるが、もっと大きな要因は「ネパール料理が商売になると気づいたから」。

「それまではネパール料理だとマイナーすぎてビジネスにならないと思っていたのに、ここが成功したのを見て、イケる! ってみんな気づいたんです。それで、一気に増えたんですよ。このお店とメニューがまったく同じというお店もあります。正直、ちょっとまいっちゃっていますけど……(苦笑)」

 店をオープンして7年目。知らないうちに都内におけるネパールブームの火付け役になっていた。

 ブサンさんに、日本の生活で大変だったことはありますか? と聞くと、「昔は職務質問がすごかったですね……」と打ち明けられた。家から大学までの間に3、4回足止めされたこともあったという。さらに、不動産関係はもっと大変。家を買おうと思ったときは、大家と事前に交渉し、銀行のOKをもらい、不動産屋の担当と一緒に契約をしにいったその場で、最後の最後に「外国人には売らない」と大家に言われ、かなりショックだったと話す。外国人だから、という自分にはどうにもならない理不尽な理由だけで断られたのだ。

 一方で、他の国以上に寛容なところもあると言うが、生活の基本となる衣食住の“住”が保証されない限り、外国人が住みやすい国とはいえないだろう。おいしいネパール料理をたらふく食べ、外国旅行気分で日本一の多国籍エリア、新大久保をブラブラ歩きながら、彼らにとって日本はどう見えるのだろうか……とふと考えてしまった。

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■ネパール居酒屋 モモ
東京都新宿区 百人町2-10-9
電話:03-3363-5515
http://www.neparumomo.com/
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PROFILE

宇佐美里圭(うさみ・りか)編集者、ライター

宇佐美里圭

1979年、東京都生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒。在学中、ペルー・クスコにて旅行会社勤務、バルセロナ・ポンペウファブラ大学写真専攻修了。ワールドミュージック誌、スペイン語通訳、女性誌、『週刊朝日』編集部を経て、『アサヒカメラ』編集部。料理研究家・行正り香さんの書籍を多数手がける。ラテン音楽、山、ワインが好き。

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