このパンがすごい!

京丹後でいま起きている、静かなるパン革命/弥栄窯

  • 文・写真 池田浩明
  • 2017年8月8日

食卓にのぼったパン。フランスの知人のおみやげでもらった貴重な古代小麦「プチエポートル」

■農家パン 弥栄窯(やさかがま)(京都府)

 京都から高速道路を北へひた走る。山また山。高速を降りてもまた峠を越え、やっとたどり着いた山あいの集落。谷川に沿って数軒の農家が、斜面に張りついている。そのうちの一軒、とんがり三角形の茅葺(かやぶ)き屋根をトタンでおおった古民家が、目指すパン屋である。

 ペイザンブーランジェ。日本語でいうなら「農家パン屋」。農家として小麦を育て、自ら石臼でひいて、パンを焼く。自然とともにある原点のやり方に憧れ、そのムーブメントの発火点であるフランス全土を巡って、方法論や哲学を学び取った28歳の太田光軌さん。

 丹後半島の山懐、京丹後市弥栄町の古民家に自分でレンガを積んで薪窯を築いた。

 早朝、太田さんは窓の外にのぼる朝日を見ながらパンを捏(こ)ねる。友人の木工作家に作ってもらった桶(おけ)に粉と水、そして種を入れて手捏ねするのだ。それは生地とふれあいながら状態を知り、ストレスもかけない、自然な方法だ。

カンパーニュを成形したあとの残り生地が、次に作るときの種になる

 捏ね桶の中で寝かせた生地の塊を分割・成形したあと少しだけ残った生地を、桶のへりに残った分までかき集めて、太田さんは大事にしまった。これが次回のカンパーニュをふくらませる種になる。なんて原始的なやり方だろう。

 彼の厨房(ちゅうぼう)には電気(化石燃料と言い換えてもいいだろう)で動くものがあまりにない。ミキサーもなく、生地を温度管理する機械もない。発酵は自然まかせ。薪窯があたたまるタイミングとベストの発酵状態に至るタイミングを、日々変わる気候条件の中で合わせていく。まさに人類が数千年前から行ってきた方法なのだ。

 農家もパン屋も、太田さんの中では、自然とともに生きるという意味で、同じことなのだろう。彼は農薬も化学肥料も使わず小麦を育てる。山からとってきた腐葉土を畑に入れて肥料にする。山では植物も昆虫も動物も微生物もあらゆるものが共生しているので、農薬なんて使わなくても病気も害虫もない。自然のもつ多様性を畑でそのまま再現する自然栽培を志向しているのだ。

神棚に供えた麦は、いのししの被害から辛くも逃れた生き残り。ここから種をとって来年また畑にまく

 農業について触れると太田さんは表情に無念さが混じった。丹精こめた小麦をいのししの被害で失ったのだ。

「熟した麦の穂をいのししが食べだして、そこから全滅するまで数日でした」

 なんとか難を逃れた十数本の麦は神棚に供えてある。秋になったらそこから種をとり、再起を期すつもりだ。去年もそうだった。

「去年は鳥にやられて、なんとか粒が入っている穂を仲間と探して、それをまいて死守しました」

 いまは北海道の石臼挽き小麦、そして栃木県の自然栽培農家・上野長一さんの小麦とライ麦を、自家製粉して使っている。

 赤々と燃える薪が窯を熱している。太田さんは窯の中に小麦粉を投げ入れる。粉が焼けた状態で窯があたたまっているか確認する。温度計はついているが、あてにしない。温度と窯の石がどれぐらいの熱をためているかはまた別で、それを知るすべは勘と経験だけだ。

ピールを操ってパンを窯の中へ

 訪れたのは夏の盛り。厨房は窯の放つ熱で40℃近くにもなっている。いよいよ窯入れ。熱々の窯と向かい合う時を迎え、熱を避けるために太田さんは蛇口をひねって顔を水でぬらした。

「顔を洗って、行くぞ! という感じです」

 バヌトン(発酵かご)から顔をのぞかせるほどふくらんだ生地を、ピール(木製のオールのような道具)にのせて窯に入れる。

 やがて、パンが焼きあがる。太田さんは次々と取り出すたび指でこんこんとはじく。

「甲高い音を出すと中まで焼けているということなんです」

 ダークブラウンの焼き色をして、形がふぞろいなのがかえって個性を表すようで、どれもいい顔つき。まるで新しい生命が誕生したような感動を覚えた。

「薪窯でなかったら、僕がパン屋をやろうなんて思わなかったと思います。」

カンパーニュ

 カンパーニュは、鼻で嗅ぐアロマ、口から鼻へ抜けていくフレーバーともに、よく熟して、まろやかで、ちょっとやそっとではつかみきれないほど変化に富み、余韻も饒舌(じょうぜつ)だった。こんな風味を作りだすためにどんなコントロールをしたのかと思えば、上述したように、もっとも原点的な、残り生地を使っているだけだった。巧まずしてたどりついたこの味に、神を見る思いだった。

 長一は、名前の通り、上野長一さんの小麦「農林61号」で作ったパン。上野さんの味がした。土っぽいような、草っぽいような、田舎の匂い。フランス産や北海道産のような洗練はないかわりに、ぐいぐい心に迫ってくる味だった。

 ブリオッシュは地元で大人気だという。あるおばあさんは「なんだこりゃ! こんなパンはじめて見た。一生忘れんわ」と言ったそうだ。見当外れだろうか? そんなことはない。私だって「なんだこりゃ」と思い、一生忘れられないほどのインパクトを覚えたのだから。いままで食べたブリオッシュはなんと繊細な食べ物だったことか。これは骨太だ。強い火が焼きしめた渋みと乳製品の甘さが同居している。皮はかしかしといい感じに崩れ、中身は水分を残してねっちり。

 私にとって弥栄窯のもっともすごいパンは、夕食のご相伴にあずかったときのもの。太田さんのパンを、地元の野菜や魚とともに網で焼いて、ふきのとう味噌(みそ)などのおかずと食べた。私の中でパンの概念が変わった。パンというより「飯(めし)」。あるいは、地元の農家さんと物々交換で野菜をもらう「糧(かて)」。もらわれていった先でも、囲炉裏で伝統食とともに食べられているにちがいない。なんの違和感もなく。地元の食文化に入り込み、弥栄窯はもう居場所を作っている。

太田光軌さんと治恵さん

 自戒も込めて言おう。グルメブーム、パンブームと言われて久しい。だが、おいしいまずいを言う前に、なによりパンとは命をつなぐための「飯」であり「糧」なのだと、弥栄窯のパンに教えられた気がする。

 ふくらんだり、そうでなかったり、ひとつひとつにたまらない個性のあるパン。窯から焼きだされたばかりのそれらを見て太田さんの放った言葉が耳に残っている。

「うちは『食糧』になれば合格」

 これが、もっとも若い世代の作る、最先端のパンだ。

弥栄窯。築約100年の古民家に移住

>>写真特集はこちら

■農家パン 弥栄窯
京丹後市弥栄町野間
090-2938-1019
https://www.facebook.com/yasakagama/
木曜:カナブン(京丹後市網野町)16時頃~
金曜:キコリ谷テラス(京丹後市弥栄町舟木)14時~
土曜:いととめ(京丹後市大宮町)16時~
日曜:渓床カフェ(京丹後市弥栄町野間。朝市直売所のような雰囲気です)朝9時~なくなり次第終了(12時まで)
不定期:kit(京都市内)
工房や畑に興味のある方は野間の工房でも木、金、土と販売可能。
※前日午前中までに予約すること。

>>「このパンがすごい!」でご紹介した店舗マップはこちら

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PROFILE

池田浩明(いけだ・ひろあき)ライター

池田浩明

佐賀県出身。ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰
日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)

BOOK

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