MUSIC TALK

「作曲屋」目指した、もどかしい青春 クレイジーケンバンド 横山剣(前編)

  • 2017年9月1日

撮影/山田秀隆

 物心ついたころから頭の中に音楽が鳴っていた少年は、譜面も書けずコード名すら知らなかった。でも「作曲屋」に憧れ、さまざまな出会いを経て音楽の世界へ――。クレイジーケンバンド(CKB)のボーカル横山剣さんの、もどかしかった青春時代。(文・中津海麻子)

    ◇

電波みたいにビリビリと、いろんな音楽が飛び込んできた

――幼いころ、どんなふうに音楽に触れていましたか?

 小学生のころ一番響いたのは映画音楽。あのころテレビで古い映画がよく放送されていたんです。「慕情」のメインテーマ、フランシス・レイが手がけた「男と女」の音楽、ミシェル・ルグランの「ロシュフォールの恋人たち」……。物心ついたころから、そういう映画音楽などがいつも脳内でおぼろげに鳴っていましたね。

 当時、親戚など11人と一つ屋根の下で暮らしていて、その家が音楽にあふれていました。映画音楽、いとこが好きなグループサウンズやR&B、ジャズにボサノバも流れていて。知らず知らずにいろんな音楽が入ってきた。日本の歌謡曲も好きで、「この曲いいな」と思ってクレジットを見るとほとんどが「筒美京平」。最初に自分で買ったレコードも、筒美さん作曲の「ブルーライトヨコハマ」でした。筒美さんや村井邦彦さんみたいな洋楽チックな曲を書く人に憧れ、自分も「作曲屋になりたい」と思うようになりました。

 映画音楽もいいけど、コマーシャルソングもやりたかった。15秒、30秒の世界で完結するのがカッコいい。一方で、アイドルにも曲が書けるようになりたいとか、あれこれ考えていました。

 一方でド演歌を聴いたり、城達也さんの「ジェットストリーム」のジェットな感じにシビれたり。電波みたいにビリビリ響いてくるような音楽は、ジャンルに関係なくどんどん飛び込んできた。そんな感じでした。

――小学生にして「レコードの叩き売り」をしていたとか?

 豆腐屋や八百屋の軒先に露天商が出ていて、おじさんがマイク片手に寅さんみたいな口上で中古レコードを売っていて。僕は当時、友達んちの植木屋でバイトしてたんだけど、その口上がおもしろくて休憩時間に通いつめていました。ある日、おじさんがよそ見したすきにマイクを奪って見よう見まねでやってみたんです。怒られると思ったのに、おじさんは「もっとやれ」。植木屋さんに筋を通し、晴れてレコードの露天商に移籍しました(笑)。

 商品は、米軍から払い下げたレコードや、スナックやバーのジュークボックスの取り換え時期が来たレコード。本牧や横須賀での仕入れに何度か連れていってもらったなぁ。

 バイトのご褒美で、段ボール1箱分のレコードをもらったこともある。リヤカーで家まで運んでね。中はなんでもありのごった煮状態(笑)。植木屋のほうがバイト代はよかったんだけど、僕には音楽のほうが魅力的だった。

キャロルとの衝撃的な出会い

――中学時代は?

 自転車のチーム……というか不良たちのチャリンコ暴走族なんだけど(笑)、会長をやっていて、その中でバンドを作ろうという話になったんです。僕は正式メンバーじゃなかったんだけど、遊びでドラムをたたかせてもらったりしていたら、ある日メンバーの一人から「お前歌え」と。乗り気じゃなかったけど、ノリで引き受けた。映画「アメリカングラフィティ」のサントラに入っているようなオールディーズや、キャロル、井上尭之バンドのカバーなんかをやりました。

 じつはキャロルとは衝撃的な出会いをしていました。小6のとき、慶応の音楽サークルが主催したフォーク&ロックのコンサートに行ったんです。チューリップ、はしだのりひこさんに加藤和彦さん、杉田二郎さんといった豪華メンバーのステージの合間に、突然見たことのない若者が現れ、あっという間に全部持っていった。それが無名時代のキャロル。演奏力も歌唱力もルックスも群を抜いてセンスがいいんだけど、どこか退廃的で暗くて、恐ろしさとナイーブさとセクシーさを秘めていて……。うねる「龍」みたいな。小学生のガキには受け止めきれないほどだった。すぐにレコード屋に走ったけど、「キャロル? 知らないなぁ」と。本当にブレーク前夜の出来事でした。

 すごく憧れたけど、自分の作る曲とは全く違う種類の音楽だった。僕の脳内で鳴っているバート・バカラックの映画音楽的なものとキャロルの音楽とでは、質が違ったから。ところが、矢沢永吉さんがソロになって出したアルバム「I LOVE YOU,OK」を聴いて、「ああ、俺はこれを待っていたんだ!」と。プロデューサーは映画「ゴッドファーザー」のサントラを手がけたトム・マックで、レーベルがA&Mレコードで、まさにバカラックの世界観だったんです。キャロルはロックだったけど、聴いていると不思議と映画音楽と同じ種類の電波を感じることがあって、矢沢さんがソロになってそれがより鮮明になった。「やっぱり永ちゃん、そうだったのか!」と、すごくうれしかったことを覚えています。

――高校は堀越学園に進学しました。

 芸能コースがあるから、音楽家になる道を斡旋(あっせん)してくれるものだと勝手に思い込んだんです。当たり前だけどそんな特典はなく(笑)、高2で退学して定時制高校に編入しました。

 バンドもやっていて、僕のオリジナル曲もやるようになったけど、正直ちょっとしんどかった。僕の脳内にはストリングズが鳴り、ホーンが鳴り、コーラスも流れている。でも、バンドはせいぜい4、5人の編成だから、頭の中の曲は表現しきれない。それがもどかしくて、カセットデッキ2台使って一人宅録みたいなことをしてみたり。音大に通っている知り合いに頼んで演奏してもらったこともあります。でも「譜面ください」と言われ、「え? 頭の中にあるんだけど」。僕、譜面は書けないんです。そりゃ相手も困っちゃうよね。仕方なく口で歌って録音したものを渡したら、「どの音がどのセクションなのかわからない」と。エラいこっちゃでした(笑)。

 キーボードでは弾けるのにコード名も知らなかった。だから、キーボードでジャーンと弾いて「この和音で」みたいな。「これ」としか言いようがないんだよね。自分の好きな感じはあって、和音に「サンセット」とか「悲しみの入り口」とか勝手に名前つけて(笑)。のちに「これがメジャーセブンスって言うのか」なんて知るんだけど。

  

原宿の古着屋に立ち寄ったのがきっかけで

――定時制高校へ通っていたころ、「クールス・ロカビリークラブ(RC)」との出会いがありました。

 17歳のころLAで大量に古着を仕入れてきて、その処分に困って原宿の古着屋に売り込みに行った時、「CHOPPER」というブティックにも立ち寄ったんです。クールスRCのリーダー佐藤秀光さんがやっている店だと知り、ミーハーにもTシャツにサインしてもらって(笑)。当時僕は神宮前に住んでいて通学路の途中に店があったので、そこにたむろするガキの一人になりました。

 ある日佐藤さんから呼び出されて、ツアーに同行するボーヤ、つまりローディーとして明日からツアーに来い、と。「学校が……」と言ったら「学校行ったってしょうがねえだろ」と。それもそうだなと、クールスRCのスタッフになりました。その後マネージャーやファンクラブの責任者を担当し、3年後、ボーカルに人事異動(笑)。

 クールスRCにはジェームズ藤木さんというすばらしいメロディーメーカーがいたんだけど、ジェームズさんが「お前も曲を書け」とチャンスをくれた。デビューシングルは、僕が作った曲をジェームズさんがアレンジしてくれました。実は以前から曲を作ってはレコード会社に売り込みをしていたんだけど、まったく取り合ってもらえなかった。デビューシングルの曲も以前NG食らった曲だった。ようやく日の目を見ることができて、うれしかったですね。「フゥ、俺もようやくここまで来たか……」なんてたばこをくゆらせて(笑)。

 ところが3年後、レコード会社の方針で、舘ひろしさんがいた70年代のクールスの方向性にもう一度戻せという話に。僕は80年代になってからのメンバーだから戻りようがない。辞めるしかないかな、と。それで脱退しました。

――ようやくメジャーデビューできたのに、またゼロから始める。どんな気持ちでしたか?

 クールスRCではすごく修業できたし、個人的にやろうとしていたことはクールスを継承する質の音楽じゃなかったので、ゼロから始めることにはなんの抵抗もなかった。これを機に作曲の仕事がメインになったらいいな、と。僕の中では常にプライオリティーは作曲にあったので。

 で、チャンスをうかがってたんだけど、なかなかうまくいかない。実はクールスRCを辞めたとき、ラッツ&スターのメンバーだった山崎廣明さんから声をかけられていました。「剣ちゃんの作るオリジナル曲が好きだから、一緒に音楽やりたいんだよ」と。作曲を全面的にできるならと、山崎さんとバンドをすることに。

 そのバンド「ダックテイルズ」はちゃんと事務所にも所属。野口五郎さんを中心とする音楽事務所でした。ロックの人はみんな自分で曲を作るので、作曲屋になりたかった僕は歌謡界に身を置いたほうが都合がいい。そんな思惑もあったのです。

 でも、芸能系の仕事もやらなきゃいけなくて。まさか自分がグアム島でやった芸能人運動会でマッチと駆けっこすることになるとはね(笑)。ちなみに1位がマッチで俺は2位、そのあとがシブがき隊のフッくん、ヒップアップの島崎さんでした。作曲さえできるのならアイドルと走ったっていい。曲を有名にするためなら、チョンマゲ姿だろうがなんだってやってやる! そう豪語してました。

(後編へ続く)

    ◇

横山剣(よこやま・けん)

1960年、横浜生まれ。小学校低学年より脳内にメロディーが鳴り出し、独学でピアノを弾き作曲を始める。 81年にクールスRCのコンポーザー兼ボーカルとしてデビュー。以降、ダックテイルズなどのバンドを経て、97年、クレイジーケンバンドを結成。2017年8月、結成20周年を記念したオールタイムベストアルバム「愛の世界」をリリースし、全国ツアー「20TH ATTACK![攻] CKB」を開催。

クレイジーケンバンド公式サイト:http://www.crazykenband.com/

 

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