ほんやのほん

未来の幸福な読者のために。3冠作品『紙の動物園』

  • 文・八木寧子
  • 2017年9月11日

撮影/猪俣博史

  • 『紙の動物園』ケン・リュウ著 早川書房 2052円(税込み)

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 年度が切り替わる頃だったか、話題の文庫をならべた平台の前で声をかけられた。
 「中学生のこどもに読ませたいのですが、おすすめはありますか」
 台の上には、ロングセラーのほかに映画化やドラマ化の影響で読まれている原作本がところ狭しと載っている。中学生のお子さま向け……としばし指先を泳がせていると、先に父親らしき男性が、「これはどうですか」と一冊を取り上げた。
 ケン・リュウ『紙の動物園』だった。
 私は一瞬迷ってからつぶやいた。
 「中学生には、まだ、早いかもしれません」

実力と人気は全世界で折り紙つき

 ケン・リュウは、中国出身で11歳のときアメリカに移住した新鋭のSF作家である。デビューは2002年、弁護士やプログラマーの仕事をしながら、2013年の初頭までに70編余の短編を発表している驚異的な人物だ。

 文庫の表題作「紙の動物園」は、日本では2016年の本屋大賞・翻訳小説部門で第2位になったことで広く知られるようになったが、それ以前に、世界SF大会で発表される「ヒューゴー賞」と、アメリカSFファンタジー作家協会による「ネビュラ賞」、そして1975年に創設されたアメリカの「世界幻想文学大賞」の三つを受賞、つまりトリプルクラウンという偉業を成し遂げた作品で、その実力と人気は全世界で折り紙つきなのである。

 その意味では、中学生(性別は聞かなかったけれども)に勧めたって何の問題もない。むしろ、読書好きなティーンなら、生き生きとした描写と、意外性に富んだストーリーのアイデアに胸を躍らせるかもしれない。

 しかし……と、そこで私の思考はたちどまる。
 「紙の動物園」は、一見のどかなタイトルからだけでは推し量れない、この世界に横たわる深い社会状況を背負った物語なのである。

 主人公の「ぼく」は、アメリカ人の父と中国人の母のあいだに生まれた「混血」で、アメリカ・コネチカットに暮らす少年だ。
 彼は幼い頃、「母さん」が包装紙を折って「創りだした」紙の動物たちと無邪気に遊ぶのがいちばんの楽しみだった。彼らには魂があり、躍動する体があり、少年は動物たちと飽かず時を過ごすことができたのだ。特に、母さんが最初に折ってくれた「老虎=ラオ・フー(虎さん)」とは相棒のようにじゃれていた。それがある時、近所の心ない男の子から「ゴミ」だと指摘された途端、少年にとって老虎たちはただの包装紙にしか見えなくなってしまったのだ。

 何とかアメリカ社会に溶け込もうとしていた少年に、ほかの家庭と大きく違うところがクローズ・アップされる。それは、「母さん」があまり英語を話せないこと、「父さん」は「カタログ」に載っていた「母さん」を買ったこと、それに、「母さん」とは似ていないと思い込もうとしている、自分の目や髪――。
 それから少年は母を避け、触れることも話すこともしないまま大人になる。彼が「母さん」の気持ち、自分へ向けられた深い愛情とその理由を知るのは、いろいろなことが取り戻せなくなってしまってからなのだ。

 少年の母は、中国全土を襲った大飢饉や文化大革命という過酷な時代を経て、アメリカにやってきた。それは、一種の人身売買であり、歴史に翻弄された悲しい運命だと言えるだろう。しかし、そんななかでも彼女は我が子を得て、生きるよろこびと希望を胸に抱くことができたのだ。

中学生には早すぎる?

 もし「紙の動物園」を件の中学生が読んだら、どんな感想を持っただろう。中国やアメリカや、日本の歴史に思いを馳せたかもしれない。いま世界で起きている現実を知ろうとしたかもしれない。彼の、もしくは彼女のなかにも自由に動き回る動物たちが生まれて、おなじような書き手になりたいと思ったかもしれない。中学生には早すぎるなんて、誰が決められるだろう。

 もしかしたら私は、『紙の動物園』の幸福な読者をひとりうしなってしまったのかもしれない。そんな後ろめたさから、あるいは未来の幸福な読者のために、ハタキを持って、できるだけ売り場をうろつくようにしている。

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PROFILE

八木寧子(やぎ・やすこ)

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湘南蔦屋書店・人文コンシェルジュ。新聞社、出版社勤務などを経て現在は書店勤務のかたわら文芸誌や書評紙に書評や文芸評論を執筆。ライターデビューは「週刊朝日」の「デキゴトロジー」。日本酒と活字とゴルフ番組をこよなく愛するオヤジ女子。趣味は謡曲。
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