東京の外国ごはん

神楽坂でみつけた、芸術にあふれた空間 ~ル・モコ(フランス料理)

  • 文・写真 宇佐美里圭
  • 2017年9月19日

 神楽坂といえば、“東京の小京都”や“日本のプチ・パリ”とも呼ばれる場所。メインの早稲田通りには、今やゲームセンターやファミレス、コンビニ、チェーン店なども多いが、一歩裏道へ入れば花街だった頃の面影がちらほら。狭い石畳の路地が迷路のように入り組み、歩いているだけでもなんだか楽しい。先の見えない曲がり道というのは、人の興味をそそるのだろう。しかもどの通りにも小料理屋、居酒屋、ビストロ、バル、カフェなど小さな飲食店がびっしり。「どんなお店だろう」とのぞき見しながら歩くのもまた一興だ。

 ここにはアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)があるためか、フランス人も多く、おのずとフレンチレストランも多く集まる。そんな“フレンチ激戦区”の神楽坂で、2016年3月、新たなフレンチレストラン“Le Moccot(ル・モコ)”がオープンした。

 メインストリートの坂道から一本裏、銭湯や昔ながらの八百屋さんがあり、こぢんまりしたレストランが並ぶ通りにその店はある。小さいながら、とても居心地がいい。1階は人通りを眺めながら飲める小さなテーブル席。2階はまるでおしゃれな隠れ家のような部屋。アンティークの家具や小物、行灯(あんどん)やキャンドルの間接照明、あちこちに飾られた絵が、和洋折衷の居心地のいい空間を作っている。

 “Bonjour!(ボンジュール)”とニコニコしながら迎えてくれたのは、店主のリシャール・キュフィニ(Richard Cuffini)さん(55)。南フランスのマルセイユ出身で、もと船乗り。聞けば、コート・ダジュールの美しい小さな島で観光客相手にボートを出す仕事をしていたところ、走行中に海で泳いでいた女性に出会い、恋仲に。その女性が日本人だったことから、数年後、日本にやってくることになったそう。まるで映画のラブストーリーのような話に、思わず身を乗り出してしまう。

南仏のピザは何色?! お店おすすめの「ピッサラディエール」

 その辺の話はあとで詳しく聞くことにして、まずは胃袋から満たそう。メニューは、タプナード(オリーブペースト)、シャルキュトリ(ハムとサラミの盛り合わせ)、チーズ、テリーヌ、キッシュ、ステーキといった一般的なフランス料理が半分くらい、残り半分は、カルパッチョやピッサラディエール(ニース風白いピザ)、ニース風サラダなど南仏の料理だ。

 今日はリシャールさんおすすめの「ほたてのカルパッチョ」(780円)と「ピッサラディエール」(1250円)、そしてデザートの「カフェグルマン」(1280円)をいただくことにした。

 オープン当時はリシャールさん自らキッチンに立っていたが、今はブルターニュ出身の若いシェフが腕を振るう。ほたてのカルパッチョは、シェフのオリジナルメニューだ。美しく盛られたほたてが目の前に運ばれてくると、ふわっといい香りがした。なんだろう? と思いながら食べてみると、見た目からは想像できないほどしっかりとしたさわやかな甘みと酸味が。レモンやオリーブオイルだけでなく、パクチー、ジンジャー、パプリカ、ゆずの皮などのスパイスを上手に使っているという。なるほど、このさわやかな味と香りはジンジャーやゆずの皮が効いているのだ。

 そして、お店自慢の「ピッサラディエール」。“白いピザ”と説明書きがあったので、“タルト・フランベ”のようなものを想像していたら、出てきたものはまったくのベツモノだった。煮込んでキャラメル色になった玉ねぎがたっぷりとのった“茶色いピザ”だ。サクサクした薄い生地にたっぷりの玉ねぎが乗り、アンチョビとニース産のオリーブが味にアクセントを添える。ボリュームがあり、これをつまんでいるだけでも結構おなかいっぱいになる。

 最後は、一口大のデザート3種類とカフェのセット、「カフェグルマン」。甘過ぎないガトーショコラはバターを使っていないためとても軽く、食後の“ちょっと甘いもの”にぴったり。手作りのサブレには、リンゴとルバーブのコンフィチュールをのせて。甘酸っぱさが口に広がりとてもおいしかった。

アムールのために

 リシャールさんが初めて日本に来たのは2010年の年末から11年にかけてのこと。理由はもちろん“Amour(アムール=愛)”。コート・ダジュールの海で出会った日本人女性を追いかけてきた。そのときはわずかな休暇だけだったが、翌12年には3カ月ほど、それから年を追うごとに6カ月、9カ月……。そして、15年9月からはとうとう東京に移住することになった。リシャールさんは当時を振り返って言う。

 「もちろん最初は仕事もなかったし、どうしたらいいのかわかりませんでした。50歳で初めて日本に来たんですが、日本語ができないからフランスで当たり前にできていたことができなくて……。長い間1人で働いてきましたが、それまでに蓄えてきた知識や経験がここではまったく役に立ちません。“bébé(赤ちゃん)”として、何ができるのかかなり考えましたね」

 リシャールさんは、それまでは南フランスのコート・ダジュールに居を構えていたという。もともとは故郷のマルセイユに住んでいたが、あるとき「夢のような美しい場所」に出会い、2週間ですべてを捨てて引っ越したのだとか。その夢のような場所、というのがコート・ダジュールに浮かぶ小さな島、ポルクロール島(Porquerolles)だった。そこでは家ではなくボートに住んでいたという。

 「港を歩いていたら、ある日“On Sale”と書かれた大きなボートを見つけたんです。実は18歳の頃から船長になるのが夢で、突然“目の前に夢が現れた!”という感じでした。お金がなかったので買えなかったけど、だったら知恵を絞ればいいと思って。僕はまずオーナーに連絡をとって、自分の思いを語り、『きれいにリノベーションするので、使わせてくれないか』と交渉しました。そしたらなんとOKが出たんです。タダで住んでもいい、と。そのオーナーというのが、フランス映画界を代表する女優ジャンヌ・モローの最初の夫でした」

 あそこに絵があるでしょ、とリシャールさんが指を差す。青い大きな絵がかかっている。「あれはジャンヌ・モローの息子の絵なんだよ」。いきなり有名人の名前が出てびっくりしたが、それにしても、タダでボートを使わせてくれるとは……。人生何事もやってみなければわからないものだ。

 リシャールさんは、さっそく自分でボートをリノベーションすると、小さな一室は自分の部屋に、残りの三つの部屋はホテルのようにした。自分が使わないスペースは観光客に貸すことにしたのだ。1999年の当時はまだAirbnb(エアビーアンドビー)のようなネットサービスはなかった時代。それでも観光地のその島では、シーズン中の周泊施設はいつもいっぱいで、看板と口コミでお客さんがすぐに入るようになったという。

 そして、夏のシーズンが終わると、今度は近くに船の免許を取れる学校があると聞き、そこへ通うように。翌年の夏には商業ボートの運転免許を取得し、1930年代の古いボートを購入。観光客相手にボートを出す仕事を始めた。さらにその翌年からは、自分の会社を設立し大きな船を運転するように。その後、競合していた会社に吸収合併され、そこからまた独立……紆余(うよ)曲折はありつつも、常にボートの仕事をしてきた。

ラブストーリーのつづき

 転機があったのは2007年のこと。危険が多い船の仕事に疲れ、3カ月休みをとってオーストラリアへ飛んだ。 そしてフランスへ戻ってくると、「もうこんな小さな島にはいたくない」と、心境に大きな変化が訪れていた。そこで、モーターヨットの船長をしている友人にどこかに仕事がないか相談した。ちなみに、モーターヨットというのは、いわゆる大金持ちが所有しているような大型のプライベートヨットのことで、彼らは通常、専用の船長を雇っている。船の仕事の中では、観光客相手に船を出すよりもずっと稼ぎがいいと言われているらしい。

 リシャールさんはその友人の紹介で、モナコに住むヨットのオーナーのもと、船長をすることになった。ある企業の社長だった彼の行き先は、コルシカやサントロペ……いつも高級リゾート地だった。しかし、稼ぎもそれなりによかったのに、1年ほどで辞めてしまう。理由は「すごく退屈だったから」。

 「結局、僕にとって大事なのは自由であるということなんです。誰かに雇われ、言われたことに従うのではなく、自分で決めて働くことが好きだったんです。観光ボートも、お客さんに頼まれないと仕事はないけれど、最終的に決めるのは自分。仕事を引き受けるかどうか、裁量はすべて自分にありました」

 そこで2009年、再びコート・ダジュールへ。そこで待っていたのが“運命の出会い”だった。ある日いつも通り船を運転していると、航路で泳いでいた日本人の女性がいた。「危ないからあっちへ行って」と声をかけた。そのときはそれだけ。しかしその後、その女性と村で何度もばったり会うことに。次第に仲良くなったが、彼女は旅人だ。「また来るね」と言い残して島を去っていった。もちろん、リシャールさんは「来ないだろうな」と思っていた。ところが、1カ月後に彼女は本当に来たのだ。その日本人女性こそ奥様の緑さんだ。それから数年後、まさか自分が東京に住むことになるとは、まったく想像もしていなかった。

ル・モコのこれから

 東京でリシャールさんがレストランを始めたのは、“人が集まる場所があれば、何かできるかもしれない”という思いがあったからだ。

 「料理だけでなく、店の雰囲気やいろいろな人との会話も楽しめる場所があったらいいなと思って。フランス人ってコーヒー1杯で何時間も座っておしゃべりしているんですが、そういう場所が欲しかったんです。ふらっと通りかかって、席が空いていたらソファでくつろいで本を読んだり、仕事をしたり……1杯飲みながらゆっくりする、という使い方を日本人のお客さんにもして欲しいですね」

 今後はどんな展開を? と聞くと、リシャールさんらしい自由な返事がかえってきた。

 「願わくは、このレストランを誰か他の人に任せて、自分は静かに本を読んだり、書いたり、家仕事をしたり、友達を家に呼んだりして暮らしたいです(笑)。働き蜂にはなりたくないんです。家賃や生活費を払うために人生を使いたくない。みんな、自分のために働いていると思っているけど、実は違う。オーナーやボスにそう思わされているだけですよ。僕の人生のゴールはお金持ちになることではなく、静かに好きなことをして暮らすことなんです」

 自分の手でリノベーションし、趣味のアンティーク家具や絵に囲まれたル・モコはそんなリシャールさんの遊び心と哲学にあふれた空間だ。どこか気楽で自由な空気が流れているのも、そんな“Art de Vivre(アール・ド・ヴィーヴル=芸術的生活術)”の精神が根底にあるからだろう。一度きりの人生、心の赴くままに航海しなくちゃ……そんな思いにさせられたお店だった。

>>南仏の“白いピザ”など……写真のつづきはこちら

■Le moccot ル・モコ(フランス料理)
東京都新宿区若宮町16番
電話:03-6265-3131
https://ja-jp.facebook.com/ルモコ-865020960310484/

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PROFILE

宇佐美里圭(うさみ・りか)編集者、ライター

宇佐美里圭

1979年、東京都生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒。在学中、ペルー・クスコにて旅行会社勤務、バルセロナ・ポンペウファブラ大学写真専攻修了。ワールドミュージック誌、スペイン語通訳、女性誌、『週刊朝日』編集部を経て、『アサヒカメラ』編集部。料理研究家・行正り香さんの書籍を多数手がける。ラテン音楽、山、ワインが好き。

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