MUSIC TALK

直筆手紙付きデモテープ100本が道を開いた GRAPEVINE(前編)

  • 2017年9月22日

撮影/松嶋 愛

 GRAPEVINE。音楽シーンに登場した20年前から、決して予定調和にならない独自のロックをオーディエンスに届けてきた。少し変わったバンド結成物語、デビューのきっかけをメンバーが振り返る。(文・中津海麻子)

    ◇

歌謡番組やプロモーションビデオからの影響

――子どものころ、どんな音楽に触れていましたか?

西川 最初はベストテンなどテレビの歌謡番組でした。あと、うちの親よりも若くてすごくおしゃれでかっこいい同級生のお父さんがたくさんレコードを持っていて、友達と一緒によく聴いていました。YMOとか。そのお父さんはウィンドウズが出る前のパソコンも持っていて、テクノとかコンピューターとかにワクワクした記憶があります。中学になるとテレビでMTVが始まり、そこから洋楽にどっぷり。プロモーションビデオ全盛の時代で、飽きずにずっと見てましたね。マイケル・ジャクソンにマドンナに、今も大好きやけどホール&オーツ。あの番組の影響は大きかった。

田中 ホール&オーツは今でも最高にかっこいい!

亀井 ああいう番組見てバンド始める人は多かったと思う。

西川 ミュートマジャパンとかね。まさか自分が出るようになるとは思わなかった(笑)。

田中 ホンマやね(笑)。僕もベストテンなんかを見て、小学校のころは小泉今日子さんや中森明菜さん、チェッカーズが好きで。キョンキョンの「艶姿ナミダ娘」はレコードも買いました。あとはドラマの「西遊記」を見てゴダイゴが大好きに。10歳年上の兄の影響で松山千春さんも聴いてました。

亀井 僕も歌謡曲。AMラジオでチャート番組なんかよく聴いていて、菊池桃子さんが好きだった。

田中 ラ・ムー?

亀井 の前(笑)。中学ぐらいからはヘビメタを聴くようになり、文化祭でラウドネスのコピーバンドをやったりしました。

田中 兄貴の影響もあって、中学のころはリアルタイムの音楽じゃなく古いもんばっか聴いてました。兄貴が好きだったRCサクセションやザ・ストリート・スライダーズを知り、そこからストーンズやビートルズといったルーツミュージックに行って。エレキギターを買ったのもそのころ。中学の終わりにバンドを組み、高校時代から始動しました。でもメンバーの好みがバラバラで、そもそも僕は同年代が聴かないド渋な音楽しか聴いてないから、みんなの意見に合わせるしかなくて。当時はバンドブームで、BOOWYやジュンスカが鉄板やった。

ブラブラしていた者同士が出会って

――高校卒業後は?

西川 大学の軽音楽部に入り、そこでいろんな音楽を教えてもらいました。ファンクバンドや日本のフォークソング、XTCのコピーバンドもやりました。そのコピーバンドでオリジナルもやるようになり、大学3年ぐらいからライブハウスに出るようになった。でもうまくいかなくて。就職もせずにフリーターでブラブラしていたら、同級生のシンガー・ソングライターが、同じくブラブラしていたベーシストを紹介してくれて「一緒にバンドでもやったら?」と。それが西原誠くん(=GRAPEVINEの初代ベーシスト。2002年に病気療養のため脱退)。初対面やったんだけど「やろっか」となり、とりあえずドラムとキーボードを探そうと。スタジオに貼り紙をしたりしてメンバーを募りました。で、応募してきたのが田中くん。

田中 僕は遊びでガンズのコピーバンドをやったりしてたんですが、自分がやりたい音楽は「これじゃない」と。同世代とはきっと無理、大人の人とやらなきゃいけないだろうなとずっと思ってたんです。それで19歳のときにスタジオで貼り紙を見て連絡して。それが西川さん、西原さんとの出会いでした。ギター志望やったんですが、「とりあえず歌ってみて」と言われ、ビートルズの「オー!ダーリン!」と「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」を歌いました。当時ドラムがいなくて「今日のところはこれでガマンしてな」と、リズムマシンの「トゥン!トゥン!」っていう音に合わせて歌う、という(笑)。

西川 (笑)。ドラムがなかなか見つからなかったんです。

――田中さんはギター志望だったのにボーカルをやることになった?

田中 歌うことは好きやったし自信がないわけでもなかった。それまでギタリストとしてバンドをやってきたけど、正直いいボーカリストっていないよな、という思いもあったんです。自分に酔ってるタイプのボーカリストが多かったですよね。そういう意味では自分が歌うのもいいかな、と。

ボーカルが重荷で、一時「失踪」

――とはいえ、ボーカルの重圧から「失踪」したとか?

田中 そうですね(笑)。正しくは失踪したわけではなく、連絡を取らなくなっただけなんですが。あのころバンド名も付いていないような状態で、活動が頓挫してた。ドラマーは見つからないし、キーボードは働かへんし。

西川 キーボードがいたんです。すごく音楽に詳しい人。でも全然弾いてくれない(笑)。

田中 リハに入ってもキーボードの前で「うーん……」とかうなるだけで、動かない。でも音が止まったらウンチクがすごい(笑)。そういう状況だったし、僕もボーカルの看板を背負うことが正直重荷やったんで、ほかのバンドを探し始めていたんです。

西川 結局また西原君と二人に戻っちゃった。そんな中、友達のライブに行ったら、ステージを見ていた西原君が「あのドラム、もらえないかな」って言い出して。それが亀ちゃん。

田中 いい話やな。ヘッドハンティング(笑)。

亀井 西川さんと同じ大学の軽音楽部で、西川さんの知り合いの先輩に誘われ、オリジナルの曲をライブハウスでやったりしてたんです。西川さんと西原さんから「バンドやるから手伝ってくれ」と誘われ、3人でスタジオに入り始めました。「ボーカルおったんやけど、おらんくなって」と言われて(笑)。

西川・田中 (爆笑)

亀井 新しいボーカルを探そうと、貼り紙したり後輩に声かけたりしてたんですけど、そしたら戻ってきた。

田中 西原さんから「新しいドラマー見つけて3人でリハしてるから、やる気があったら戻っておいで」と留守電が入ってたんです。「このバンド、やっぱりいいかも」と思い直し、出戻りさせてもらいました。

――ようやくメンバーがそろった。

西川 ようやく(笑)。とりあえずオリジナルを作ってデモテープを作り、ライブハウスに持って行きました。大阪の日本橋にあったジーンという小さなライブハウス。今はもうないんだけど。そこで月に1回ぐらいライブをするようになって。最初のうちはお客さんが全然入らなかったんですが、音楽をやってる友達からはすごく評判が良かった。もしかしたらいいのかな? と。ちょっと調子に乗ってましたね(笑)。

  

バンド貯金して、デモテープ作って、直筆の手紙書いて

――亀井さんは当時まだ大学生。将来のことはどう考えていましたか?

亀井 西川さんと僕は学年で4つ違うんですが、そのぐらいの年齢で音楽やってる仲間が結構いたんです。そういう人らを見ていると「就職しないでバンドしてても大丈夫かな」って。変な安心感があった(笑)。

田中 上にはまだ上がおる、と(笑)。でも楽曲に関してはかなりイケてるんじゃないかなという自信はありました。最初は西原さんだけが曲を作っていたんだけど、「みんなも書けるんやったら曲持ってきてくれへん? 俺一人はしんどいわ」と言われ、結果、全員書けることがわかって。それをアレンジしていくとすごくいい感じになり、自信をつけていった。月1でライブはしていましたが、動員を増やそうという気はあまりなく、チラシ撒いたりも全然しなかった。それよりも曲書いてデモテープ作って、レコード会社に送ろう。それに一生懸命やった。

西川 ライブにお客さんをどんどん集めて名前を売って……というストーリーをたどるバンドが多いけど、僕らはそういうことに情熱をかけてなかった。ライブのギャラって普通飲んで終わるんですが、うちのバンドはマジメやったんで全部ためてました。バンド貯金。そのお金でちゃんとしたスタジオを借り、5曲ぐらい入れたデモテープを作ったんです。

亀井 100本ぐらいダビングして、いろんなレコード会社や事務所に送りました。宛名も送付状もワープロはダメ、「直筆じゃないと響かへん」と知り合いに言われて。めっちゃマジメ(笑)。そのテープの評判がよく、想像以上にいろんなところから返事があって、僕らの方が選べるぐらいの感じになったんです。

田中 そのころ大阪のバナナホールというライブハウスに拠点を移し、月1でライブをやっていたんですが、そこにちょくちょくレコード会社やプロダクションの人が見にきてくれるようになった。それがデビューにつながりました。

(後編へ続く)

    ◇

GRAPEVINE

田中和将(ボーカル、ギター)/西川弘剛(ギター)/亀井亨(ドラム)

1993年に大阪で結成、97年、ミニアルバム「覚醒」でデビュー。2002年、結成メンバーの西原誠が脱退。金戸覚(ベース)、 高野勲(キーボード)がサポートメンバーとして加わり、5人編成で活動している。

2017年9月6日、通算15枚目となるニューアルバム「ROADSIDE PROPHET」をリリースし、10月から全国ツアーを開始する。

GRAPEVINE公式サイト:http://www.grapevineonline.jp/

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