鎌倉から、ものがたり。

材木座の潮風とさざ波と、ミルコーヒー&スタンド

  • 文 清野由美 写真 猪俣博史
  • 2017年10月13日

 遠浅で波が穏やかな鎌倉・材木座は、鎌倉から江戸期にかけて、材木を運ぶ拠点だったという。長い年月を重ねたまちは、いま、潮の匂いを風にのせながら、のんびりとした時間を紡ぎ出す。

 そんなまちの一画。地元の八百屋さんが店を出す隣に、「ミルコーヒー&スタンド」がある。

 カウンターでコーヒーを注文して、一緒にマフィン、ブラウニーやサンドイッチも。ウインドサーファーとおぼしきお兄さん、ご近所のママ、そのママに手を引かれた小さな子。日焼けしたローカルのお客さんが、思い思いにやってきては、店主の小林由佳さん(31)とひと言ふた言、近況を交わしていく。

 アメリカでいうとコーヒースタンド。イタリアでいうとバール。ちょこっと立ち寄って、ひと息いれたら、また日常に戻っていく。小林さんは、ここをそんな場所だと考えている。

 栃木県宇都宮市の出身。小さなころから「食べること」が好きで、高校卒業後は食の専門学校に進んだ。バールのスタイルにひかれたのは、エスプレッソ・カフェでのアルバイト経験から。カウンター越しに、いれたてのエスプレッソをお客さんに手渡す。スピーディーながら、顔の見える関係がそこにあった。

 27歳で独立したときに、材木座を選んだのは「たまたま」と笑う。

「資金面など制約がある中で、ここならできるかな、と思った物件が海のそばだった――という順番なんです」

 お店のネーミングも、小林さんいわく「たまたま(笑)」。

「ネーミングが苦手で、でも、小林珈琲店ではちょっと……と思っていたときに、ミルコーヒーという音が浮かんで、あ、いいかも、と。後付けなんですが、『ミル』は英語で工場の意味。お店に来てくださった人が、ここで何かをひらめいて、何かを作るきっかけになったらいいな、と、ひそかに思っています」

 材木座は、近隣に昭和時代のような温かな関係が残っていることがうれしい。さらに、鎌倉・逗子界隈(かいわい)には、クリエーティブな才能のある人がたくさん集まっている。メニューの丸パンに添えるジャムは、逗子の「南町テラス」のもの。グラノーラは、大町で知人が作るオリジナルレシピのものだ。

 そもそも、ペパーミントグリーンの壁タイルに色ガラスの窓、というユニークな空間自体が、前の入居者だったパン屋さんの内装を、そのまま受け継いだものだ。今年はパン工房だった奥の部屋を、ギャラリー風のスペースに拡張。少しずつ、自分の色を加えている最中だ。

 カジュアルなスタイルとはいえ、小林さんはお客さんをせかしたりはしない。カフェでは、カップにたっぷり注いでくれるコーヒーを前に、いつまでもおしゃべりに興じる常連客がいる。その気持ちはよくわかる。材木座の海に立つ、やさしいさざ波のような時間が流れているのだ、ここには。

 さて、そろそろ、おいとましよう。そう思ったとき、キッチンの棚に置かれたケトルが、ふと目に留まった。きれいに磨かれて、やさしく光っている。こんなお店が、うちの近所にもあったらいいな。訪れた人は、みな、そう思うだろう。

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PROFILE

清野由美(きよの・ゆみ)

写真

ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

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