東京の外国ごはん

味の決め手は酸味と笑顔~アテ(フィリピン料理)

  • 文・写真 宇佐美里圭
  • 2017年11月14日

 中央線、西荻窪駅から徒歩5分ほど。懐かしい雰囲気が漂う商店街にフィリピンレストラン「ATE(アテ)」はあった。2階へ続く階段を上がり、「こんにちは」と扉を開けると、フィリピン人らしき女性が出迎えてくれた。彼女がオーナーの竹内真弓さん(55)だった。名刺を見て「あれ、日本人?」と思いきや、出身はフィリピンのルソン島。日本人と結婚して帰化し、日本名を持つが、真弓という名前はもともとフィリピン名でもマユミだったそう。

フィリピン料理の極意とは

 真弓さんが用意してくれたのは、お店イチオシの2皿、「タマリンドスープ(エビ)」(1290円)と「豚肉のマリネード煮込み」(1200円)。

 さっそく、専用の土鍋に入ったタマリンドスープをフーフー言いながら食べると、味は想像以上にすっきりとした酸味があった。この酸味に欠かせないタマリンドはマメ科の植物で、日本では粉末にしたタマリンドを使っていることが多いそう。本場フィリピンでは実物を使うので、もっと酸味が効いているらしい。エビだけではなく、空心菜、オクラ、ピーマン、シシトウ、玉ねぎ、インゲンなど盛りだくさんの具に、ショウガとコショウがたっぷり入っているからか、体がぽかぽかと温かくなる。

 次に豚肉のマリネード煮込みは、フィリピンでは“アドボ・バボイ”と呼ばれ、その名の通り豚肉をしょうゆとコショウで30分ほどマリネした後に、玉ねぎ、ニンニク、ピーマン、そして大量の酢で煮込んだもの。お皿がテーブルの上にのると、ぷ~んといい香りがしてきた。お肉はとろとろで、しょうゆの味付けが日本人にはたまらない。いつもはご飯と一緒に食べることが多いそうだ。おいしい! を連呼しながら食べていると、「ビール、飲みます?」と真弓さん。たしかにこの濃い味はビールにぴったり合いそう!

 それにしても、同じ東南アジアといっても、タイやベトナム、インドネシアとは香辛料の使い方がまったく違う。よりマイルドで、なんだか日本人の味付けに近いような気がした。聞くと、レシピは全部おばあちゃんのものだという。

 「フィリピンではもう少し酸味と辛みが強いんですが、調整しているのはそれくらいですね。向こうは暑いので、味が薄いと食欲がわかないんです」

 真弓さんはニコニコしながらそう説明してくれた。

 フィリピンは想像以上に日本から近く、東京から飛行機でたったの4時間ほど。大小7107の島々からなる多島国家で、人口は1億人程度。マレー系を始め、地域によって様々な民族が暮らしており、文化も多種多様。そこに中国やかつての宗主国・スペインの影響が重なり、現在のフィリピン料理が形作られていった。料理にスペイン系の名前が多いのはそのためだ。

 真弓さんがレストランをオープンしたのは、今からちょうど10年前の2007年のこと。以前のお店は同じ西荻窪にあったが、もっと小さいお店だった。この場所に移ったのは6年前。今はアルバイトを雇いながら、1人で60品目以上のメニューを作る。とはいえ、もともとは主婦。本格的な料理を作り始めたのは、お店を始めてからだという。

 「フィリピンではおばあちゃんが食堂をやっていて、村で一番の人気店でした。私は小学校3年生からおばあちゃんと一緒に住んでいて、皿洗いなどのお手伝いはしましたが、料理は全然(笑)。でも、味は舌で覚えていました」

いつだって転機は出会いから

 真弓さんは18歳で専門学校に進み、秘書の勉強をしていたが、翌年ダンスの勉強を開始。10人ほどのダンスグループに入り、そこでダンサーとして働くことになった。初めて日本に来たのは1986年。ダンスショーをするためだった。半年滞在すると、フィリピンに帰ってまた練習、そしてまた日本へ。そんなことを3年間ほど続けていた。

 そのときに出会ったのが今の夫だ。2年間の遠距離恋愛の末に結婚。西荻窪に居を構え、何もないアパートで暮らし始めた。お互いの家族の理解を得るには、少し時間がかかったという。

 「まずは、私のおばあちゃんが反対しました。というのもおじいちゃんが戦争に行っていたので、日本人というだけで嫌な顔をしていたんです。実際に夫にあったらすぐ好きになってくれましたけどね! うちの夫、すごく優しいんです」

 一方、真弓さんは義母とはすぐに打ち解けたが、最後までなかなか首を縦に振らなかったのが、義父だった。

 「お義父さんは結婚してから1年くらいは会ってくれませんでした。フィリピン人だからというより、外国人と結婚すること自体に反対していたみたいです。私は日本にきてすぐ妊娠して、しかも双子だったので体の具合がすごく悪くなってしまって……。妊娠中はほとんど入院していました。あまりに体調が悪かったので、8カ月くらいのときに夫に言ったんです。『私はお産で死ぬかもしれない。だから、せめて出産前にお義父さんに会わせて』って。そうしたらやっと来てくれました。そのときはうれしくて涙が出ました」

 そして子どもが産まれると、義父も一変。すっかり家族ぐるみで仲良くなった。しばらくは育児で忙しい日々を送っていたが、2人の息子が小学校に入る頃に、真弓さんは働き始める。

 最初のアルバイトは、家の近くにあるドライクリーニング屋さんだった。しばらくして近所に住んでいたフィリピン人と出会い、その友達の紹介で、センサーの機械を作る工場で働くことになった。

 「配線や組み立てが主な仕事だったんですが、私はその作業がとっても好きで。結局そこで13年間働いていたんですよ」

 しかし、年をとるにつれだんだん重い機械を扱うのが苦痛になってきた。腱鞘(けんしょう)炎にもなり、いつまでできるだろうか……と思い始めた矢先、ママ友が「介護の仕事をしない?」と声をかけてくれた。そこで、真弓さんは一念発起して介護の学校へ通うことにしたのだ。すでに40代に入った頃だった。

 「先生も生徒も日本人、テキストも日本語。実習自体は問題ないのですが、それ以外が大変でした。工場の仕事を続けながら猛勉強をして、家に帰るとヘトヘト。脳が疲れて何もしたくない! という感じでしたが、子育てに仕事に勉強と……毎日必死でした」

 真弓さんは学校に入ったとき、心の中で決めていたのだ。「夫の出してくれた授業料は絶対に無駄にしない! 何があっても頑張る」と。そして、試験は見事合格。障害者介護と高齢者介護、ふたつの資格を取った。

 しばらくは介護の仕事をしていたが、次の転機もやはり日本人の友達からの一言だった。「一緒にお店でもやらない?」と誘われたのだ。コンセプトは和食とフィリピン料理のお店だという。介護の仕事も好きだったが、やはり重労働でいつまで続けられるかわからない。悩んだ末、真弓さんはその友達と一緒に「ごはんやATE」というお店を出すことにした。彼女は飲食店で働いていたこともあり、経営のこともある程度はわかる。真弓さんは、厨房(ちゅうぼう)でフィリピン料理を作ればいいだけ、のはずだった。しかし……オープンしてから3カ月。その友達は体調を崩し、働けなくなってしまった。真弓さんは頭の中が真っ白になった。

 「どうしよう?! と思いました。私は飲食店で働いたこともないし、経営や仕入れなどについてはまったく知らなかったんです。でも、初期投資もあるし、ここでやめてしまったら全部が無駄になります。それで、しょうがない、私1人でも続けよう! となったんです」

すてきな笑顔の秘訣(ひけつ)

 そのときから店名は「ATE」(タガログ語で“おねえさん”の意味)に。とにかく何もわからないので、西荻窪の行きつけのお店の人に仕入れ方法や、お店の経営のことなどを聞いた。みんな親切だった。「西荻窪の人たちってそうなんです。優しくて、お互い助け合うコミュニティーがある。すごく助けてもらいました」と真弓さんは言う。もちろんすべてにおいて夫のサポートも心強かった。

 「夫は本当に優しい人で、あの人が頑張って双子の子どもを大学まで行かせてくれたし、尊敬しています。夫のような人はなかなかいないでしょうね。彼と結婚したことは、宝くじに当たっちゃった! という感じ(笑)。本人には、照れるから言わないけど」

 とびきりの笑顔でそう言われると、こちらまでなんだか幸せな気持ちになる。結婚して30年以上経つのに、屈託なくこんな言葉が出るなんてスゴイ。「秘訣は?」と思わず聞くと、数秒考えて言った。

 「だって、愛しているから」

 言ってから、きゃあ! と恥ずかしそうに笑う。どこまでも明るく、楽しげでかわいい。フィリピンってこんなすてきな女性ばかりなの?! 

 「日本人って、何かあるとすぐ真面目に落ち込むじゃない? じっと下を向いちゃう。でもフィリピン人はそうじゃないんです。つらいことがあっても、そのままつらいとは言わない。まずは面白いことを見つけて笑うんです。だって、しょうがないから。自分でどうにもならないことは、どうにもならないんです。心の中では泣いていても、とりあえず笑っちゃう。そういうところはありますね」

 こんな女性と結婚した夫もきっと幸せに違いない。ごちそうさまでした!

>>「豚肉のマリネード煮込み」と店内の写真はこちら

■本場フィリピンレストラン ATE (アテ)
東京都杉並区西荻南2-22-11 2F
電話:03-3247-6162
https://twitter.com/aterestaurant

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PROFILE

宇佐美里圭(うさみ・りか)編集者、ライター

宇佐美里圭

1979年、東京都生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒。在学中、ペルー・クスコにて旅行会社勤務、バルセロナ・ポンペウファブラ大学写真専攻修了。ワールドミュージック誌、スペイン語通訳、女性誌、『週刊朝日』編集部を経て、『アサヒカメラ』編集部。料理研究家・行正り香さんの書籍を多数手がける。ラテン音楽、山、ワインが好き。

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