東京の台所

<158>酒と、3週間前に逝った夫と、彼女の話

  • 文・写真 大平一枝
  • 2017年12月6日

〈住人プロフィール〉
オーケストラ団員(女性)・48歳
分譲マンション・3LDK・西武新宿線 鷺宮駅(中野区)
築年数47年・入居1年・長男(16歳)、長女(14歳)、次女(12歳)4人暮らし

    ◇

晩夏、不意のメール

 『お久しぶりです。去年、古い文化住宅の台所取材をしていただいた者です』という書き出しで始まるそのメールは、夏の終わりに届いた。34歳の会社員の女性からだ。

 共働きで乳児を抱え、育児疲れで途方に暮れかけていたとき、移り住んだ文化住宅のお隣さんの年配夫婦が声をかけてくれ、家族ぐるみの付き合いに。3人の子どもがいる隣家は、子どもを寝かしてから夫婦でワインボトルや日本酒瓶を持って来訪。飲んで食べて語り合った。その後、隣家は近所にマンションを買ったが付き合いがまだ続いているという話だった。(<129>『築50年の文化住宅が教えてくれた暮らしの音』
 今時珍しい長屋のような近所付き合いが印象的で、私は取材を鮮明に覚えていた。

 メールには、記事を書籍化した小著を元お隣さんにプレゼントして喜ばれたこと、その夫妻と、手紙の主の3歳の長女がマンションのダイニングでくつろぐ写真が2枚添付されていた。
 なぜこれをと、少々不思議に思いつつ読み進めると、意外ななりゆきに息をのんだ。
 『導入が長くなってしまいましたが、今日はご相談でメールさせていただきました。愉(たの)しく明るい元お隣さんですが、実は、ご主人ががんで闘病中です。
 そうとは見えないくらい精力的に仕事に行き、休日は草野球やバレーをする日々ですが、少しずつ病状が進行しています。
 奥様が、ぜひ大平さんに取材していただきたいと希望しておられたので私からもお願いしたく、ご連絡させていただきました。
 ご家族の今を、大平さんの視点で切り取ってほしいのだと思います』

 その後まもなく、本連載フォームを通して、元お隣さんという妻からの取材応募も届いた。

 5年前に大腸がんが見つかり、3回手術を経験。現在は転移をして、緩和ケアを受けつつ、それでも元気で食欲も減退せず、フルタイムで働いていると書かれていた。
 先の元取材者のメールと、妻の応募文から、末期がんであることが想像できた。

 だからこそ私は、二人のメールに共通する「食欲が衰えず、とにかくよく飲み、よく食べるのです」という一節にひきつけられた。そのような患者がいるなら、会ってみたい──。
 電話をすると底抜けに明るい快活な口調の妻が出た。取材日は、私の仕事と、オーケストラ団員の彼女、社会福祉施設に勤めている彼の日程がなかなか合わず、やむなく2カ月後の11月17日になった。

 ところが取材の3日前、妻から長いメールが届いた。
 夏に私と電話で話した頃は、夫は仕事も相変わらずフルタイムで、バレーボールはするわ、日本酒は飲むわ、ラム肉のローズマリー焼きを食べるわで元気だったが、10月10日にがんの進行による激痛で3日間入院。その後、家で静養。薬でときどき意識が遠のくこともあったが、歩いてすしやラーメンを食べに行くほど食欲があった。しかし、10月21日に急変し、31日に自宅で亡くなったとのことだった。

 『ですから17日に主人はいません。
 おいでになってからじゃビックリですから、前もってお知らせデス。
 葬儀は先週、済みました。
 彼の病気に対する気持ちなど、プロの目線で聞きだして欲しかったです。
 予定通りいかなくて すいません。
 それから 連絡するタイミングがないほどバタバタでしたので、遅くなってすいません。
 どうかよろしくお願いします~^ - ^』
 顔文字付きの明るい文面に、私も取り乱すことのないよう、淡々とふだんの取材と変わらぬ気持ちで臨もうと、腹を決めた。

「ねぇ、俺ってすごくない?」

 築47年のマンションは、フルリノベーションした状態で買ったので、シンクや建具が新しく、その築年数には見えない。
 床面積100平米の3LDK。30畳はありそうなリビングダイニングには念願の青山BC工房の一枚板のテーブルを置いた。椅子は夫、妻、高1、中3、小6の3人の子どもの合計5脚だ。

 「うちは来客が多いので、夫が客の分も椅子を買おうとわがままを言って、止めるのが大変でした。なにしろ私も彼もお酒が大好きなので、しょっちゅう誰か飲みに来るんですよ。もちろん来客があろうとなかろうと毎晩夫婦で晩酌をしますしね」
 ショートカットにノーメイク。笑顔でさばさばと話す住人は、ヴィオラ奏者だという。音楽機材のセッティングや運搬をする出入り業者だった5歳上の夫と、32歳のとき結婚した。

 「彼は当時、草野球のキャプテンをやっていて、試合が終わると家にメンバーを呼んで酒盛りをするんです。彼は向田邦子の料理本を読んだり、魚をさばいたりするほど料理好きですが、昔の恋人がさらに料理上手だったと、チームメンバーから聞いてね。私も負けないようにしなくっちゃ! って、必死で料理を作って振る舞っていました」
 酒の進むツマミ、旬の野菜や魚を使った何げない総菜が好きだった。

 結婚3年目。彼はメニエール病にかかり、音楽スタッフの仕事を続けられず、いきなり無職になった。なかなか職が見つからずそれから2年。彼女が生活を支えた。
 「なのに3人目までできちゃったんです。うちのオーケストラ100年の歴史でも、子どもが3人いるのは初だって言われました。でもなんだか二人とも能天気でね。文化住宅に引っ越したばかりのある日、がらんとしたなんにもない畳の上で昼間から寝転んでたんです。お金がなくてもお酒は欠かせなくて、エビスのビール瓶が1ダース酒屋から届いたら、ラベルに赤いタイが二つ描かれたラッキーエビスが立て続けに2本入っていたんです。“わあ! やったね! 私たち、祝福されてるね!”って喜びました」

 その後、知人の縁から社会福祉施設に就職。障害者の自立支援の仕事に携わる。
 「カフェを運営したり、料理を考案したり、畑の指導をしたり、彼のこだわりを発揮できる現場で、全力で打ち込んでいました。検診で大腸にガンが見つかったのは6年目のことです。1年半後に肝臓に転移。告知を受けると、むしろさらにどんどん働くようになって。がん宣告されると、糖質や外食を断ち、ストイックに食生活を改善する人が多いのですが、彼はお酒も肉も好きなものを食べ、家族や友達と皆で食卓を囲みたいといい、それまでどおりの食生活を押し通しました。誰にも勧められませんが、うちはこれでよかったと思っています」

 亡くなる3週間前までフルタイムで働き、調子を崩してからは家で静養したが、10日前も家族ですし屋に行き、彼女と3合ずつ酒を飲んだ。
 「いつも通りベロベロになるまで飲んで。これが最後の外食かなと思ったので1個1000円の生ガキも食べちゃったんです」
 彼女自身も、食べること飲むことについて話すときはいきいきと本当に楽しそうで、うまそうに語る。夫をなくして間もない人とは思えず、私は何度もカレンダーを見直した。葬式から1カ月も経っていないことが信じられない。

「普通に動けるけれど、ときどき薬の作用でしゃべっている途中でふっと目を閉じて意識が遠のく瞬間があるのです。そのとき、あ、確実に死が近づいているのだなってちょっと苦しくなってね、よく台所で泣きました。でも意識があるときはくだらないことで激しい口げんかもするし、ほんと今まで通り普通なんです」

 それでも、夫と3人の子どもの心が不安定にならないよういつもどおりの母や妻をやりながら、仕事も続けていると、ときどき爆発しそうになる。家族にはぶつけなかったが、職場ではささいなことで同僚とけんかをすることもあった。

「イライラが募っていたんでしょうね。いつも流せていた理不尽がそのときは許せなくて。深夜2時ごろ、ひとりで悔しくて、泣きながらビールを飲んでいました」
 と、トイレに起きた彼が、彼女を見て、「じゃあ、1杯付き合うか」といつものようにグラスを持ってダイニングに座った。
 彼は言う。
 「ねえ、俺すごくない? がんでこんな状態なのにお前の職場の愚痴聞いてるんだぜ?」
 彼女は涙と鼻水でぐしょぐしょになった顔を上げ、思わず笑った。
 「ほんとだねー」

 ふと思い出したように、彼女は言った。
 「私、彼にすごく怒られたことがあるんです。彼の容体が悪くなっているのを感じて、ある日言ったんです。“大平さんの台所の取材の約束、早めない?”って。仕事や約束事に厳しい彼は、えらい怒りましてね。“おまえ、みんな忙しい中で予定組んでいるんだよ。人の予定を、こっちの都合で変えるなんてありえない。おまえ、そういうのよくないよーホントに”って。そして強い口調で、俺は生きるんだから!と言われました」
 聞きながら、私は取材を録音するICレコーダーを持ってこなかったことを激しく悔いた。涙でメモがとれない。

エビスの魔法?

 最後の10日は、坂道を転げるように悪化していった。彼女は仕事を休み、できるところまで家で看護しようと、訪問医師を派遣してもらって過ごした。
 10月31日。よく晴れた火曜日の朝8時。
 子どもたちは登校し、彼女は食事の後片付けや洗濯をしていた。彼は日当たりの良いリビングに面した和室に布団で、うとうとしていた。言葉を発せなかったが、意識はあり、話しかけるとうなずくなどの反応があった。そのわずかな反応から、いよいよ、旅立ちが迫っているのを悟る。

 痛み止めの薬を投与するため、「プリン食べよー」とスプーンを口に持っていくと、パカーッと大きくあいた。さっと薬を入れると、「なんだ、薬じゃん!!」という顔で目を見開いた。「ごめんごめん」と言いながら、今度は本当にプリンをすくって口に運ぶ。カップの半分を食べた。
 彼女は立ち上がり、いつもしているように、金魚のフィルターを交換した。不意に、フィルターが破けて、ばらばらと活性炭が畳にこぼれた。
 その瞬間、せきを切ったように涙があふれ出し、彼女は思わず大きな声で叫んだ。
 「ほら、こぼれちゃったじゃん!! 私、失敗ばっかだから、お父さんいなくなったら、どうしたらいいの? これからひとりでどうしたらいいの?」
 夫の枕元で泣き叫んだ。
 「私一人でどーすんの? どーすんの?」
 あ、と思った。
 夫の目尻に涙が一粒こぼれた。
 うんうん、お父さんも泣けるよね、泣いちゃうよね。
 薬が効いてきたのか、静かな呼吸に戻った。彼女はひとしきり泣いた後、洗濯物を干しにベランダに出た。
 30分後。夫は息を引き取った。

 取材の二日後。
 彼女からメールが届いた。失礼かと思うがちらっと見てください、と断り書きがあり、夫の亡くなった時の写真が添付されていた。
 いわば遺体であり、本来なら画像を開くのに勇気がいるが、明るい彼女の口調を思い出し、不思議と躊躇(ちゅうちょ)がなかった。
 丸坊主のぷくぷくと肉付きの良い顔をした男性が、眠るように目を閉じている。口元がほほ笑んでいて、本当に昼寝をしているみたいだ。福々しい、まるで恵比寿様のような死に顔だった。
 お酒を愛した二人にかけられたラッキーエビスの魔法か。
 はたまた、彼女の手料理がもたらした賜物か。
 飲んで食べてまた飲んで。最後まで生きたいスタイルを押し通した彼の、見事な寝顔に合掌をした。

>>つづきはこちら

 

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

写真

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば 辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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