上間常正 @モード

アライアの服が示し続けていたファッションのみらいへの道

  • 上間常正
  • 2017年12月8日

アズディン・アライアの2017年秋冬の新作より(アライア社提供)

 生前にもっと話を聞いておけば、と思った人は少なくない。しかし、その人が死んだことが「しまった!」と心に突き刺さってくるような人は数少ない。先月18日に訃報(ふほう)が伝えられたフランスのデザイナー、アズディン・アライアはそんな稀有(けう)な存在の一人だった。そして彼は、ファッションの歴史の中で今後ずっと語り伝えられるに違いない偉大なクリエーターの一人でもあるのだから。

 パリのコム・デ・ギャルソンのショー会場などで、その姿はよく見かけた。小柄なのにがっしりとしていて、鋭さと優しさを同時に感じさせる目が印象的で異様な存在感があった。インタビューを申し込む機会はいくらでもあったはずだったがそうしなかったのは、彼は1980年代に〝ボディコン〟スタイルで一世を風靡(ふうび)したが、もう新作発表の舞台からは退いたデザイナーだとの思い込みがあったからだ。

同(アライア社提供)

 しかし雑誌などで彼が服を作り続けていることを知り、その作品や間近に見た彼のオーラの力などから、遅まきながら彼のすごさを理解できるようになった。その頃にはもう現役の記者としてパリに毎シーズン出かけなくなっていて、話しかけたり取材を申し込んだりするチャンスがなくなってしまった、という次第だった。

 彼はアフリカ・チュニジアのチュニスで、貧しい小麦農家の生まれ。地元の国立美術学校で彫刻を学んだが才能に自信を持てず、卒業後はパリのデザインをまねたドレスを作る市内の仕立屋で仕事を始めた。だが当然そんなことに満足できるはずもなく、パリに乗り込んで本場のオートクチュールのいくつかのアトリエで働きながら、その高度な技術の粋を身に付けた。

同(アライア社提供)

 この間にパリ社交界の知遇を得て、本物のシックな感覚をもった貴族の夫人や令嬢、またアメリカのグレタ・ガルボらの大女優、またピカソなど一流のアーティストたちとの交流を深めた。そして求めに応じて作る服が評判になり、1980年に独立して自分のアトリエと店を構えた。

 社交界の人脈が対象だったとはいえ、非ヨーロッパ人としての彼自身はあくまでもアウトサイダーだった。だから服を作る対象としての女性は、西洋の伝統的な理想型に縛られた体に合う女性ではなかった。雑誌などのインタビューで語った言葉からうかがえるのは、女性の体はみんな違っていてだれもが美しさを表現できる、との考え方だ。

1984年のドレス(アライア社提供)

 まず一人の現実の女性の体があって、服はその美しさを体のラインに沿って引き立てるものにほかならないのだ。そのためには余計な装飾や色使いの必要はない。重視したのは、体の形を着心地よく楽に表現できる伸縮性のあるジャージーやスポーツウェアに使われる素材を使うことだった。アライアの服を初めて着て、「今まで着ていた服が、全部オーバーサイズだった」と感じた女性が少なくなかったという。

 アライアの訃報を受けて、80年代のスーパーモデルの一人だったシンディー・クロフォードは「彼はクリエーティブな天才というだけではなく、私が出会った中で最も優しい人だった。彼が女性の体を飾る方法は、シカゴで駆け出しのモデルだった私には大きな驚きだった。彼のデザインは私の体の曲線を優しく受け入れてくれたから」と自身のインスタグラムでコメントした。彼女は子供の頃からずっと、自分の体が理想とは違うとの劣等感をもっていたからだ。

 こうした服は大量生産には向かないし、そもそもその必要もない。彼は90年代に入ってからは、半年に一度というコレクション発表の第一線から退いて、服ができたら発表するという方式に変えた。服を大量に作らないということも、既存のファッションシステムへのラジカルで前衛的な立ち位置だともいえるだろう。

アズディン・アライア氏(2017年、撮影・ピーター・リンドバーグ アライア社提供)

 80年代は女性の社会進出が世界的に広まり、女性が男性と伍(ご)して活躍するための体にぴったりとしたスーツを着るようになった。それが〝パワードレッシング〟と称され、ボディコンと混同されることもある。しかしパワードレッシングは、ネクタイの代わりにアクセサリー、パンツではなくスカートを着用することで女性のセクシーさを男性に対する隠れた武器にしていた。

 それに対してアライアのボディコン・スタイルは、女性の体の美しさをそんな計算なしに素直に打ち出すものだった。アライアの服作りの一貫した姿勢は、今なお前衛の旗手として、これからのファッションに向けた道を指し示しているように思える。そのことを、着る側の女性が理解して受け入れることも欠かせないのだ。

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PROFILE

上間常正(うえま・つねまさ)

写真

1972年、東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。88年からは学芸部(現・文化部)でファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化学園大学・大学院特任教授としてメディア論、表象文化論などを講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。

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