ほんやのほん

ついつい題名に惹かれる横田創の短編『残念な乳首』

  • 文・松本泰尭
  • 2018年4月2日

撮影/馬場磨貴

  • 『落としもの』 横田創 著 書肆汽水域 刊 1944円(税込み)

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 すべての創作物において題名というのは非常に大事なものである。それは何も小説や映画や絵画や音楽といった芸術作品に限らず、居酒屋の名前やお菓子の名前とかでもそうだ。その題名のインパクトや引っかかりによって「手に取ってみようかな、入ってみようかな」と思うものである。
 そういう点で言うと、自分がここ最近目にした題名の中で横田創の短編『残念な乳首』(単行本『落としもの』に収載)はかなりのインパクトがあった。

「残念」という感情と言葉の意味

 まず「残念な~」のあとに「乳首」がくるのが驚きだ。なぜなら「残念」という感情は他の何か優れているものと比較した際に生起する感情であり、「乳首」というのは顔や手に比べると本人以外の目に触れる機会が少なく、他人と比較することの少ない部位だからだ。つまり本来であれば、残念と思うことが少ない部位が乳首なのである。

 しかし、主人公の「わたし」にはちゃんと乳首を残念だと思う理由がある。それは彼女が売れないグラビアアイドルで、3年ほど活動したのちに脱いだものの、その裸体(つまり乳首)に対しての世間の反応が芳しくなかったからだ。彼女は自分の乳首さえ立派なものであれば、世間でも成功するものだと信じている。そしてある時訪れた銭湯で、自分の理想である美しい乳首を持つ女性である妙子に出会い、近づいていき、次第に仲が縮まっていく。

 妙子の身体から端を発した感情は徐々に妙子自身への友情とも恋愛とも言えるような感情に変わっていくのだが、ある時、主人公は彼女の乳首に対して美しいと思えない自分に気づく。そして、それと同時に妙子は姿を消す……。

 最初は身体的な興味から近づいていき、徐々にそれが感情的な興味に移っていくことは我々の恋愛でもよくあることだ。顔がいいから好きになって付き合ってみたが、人間性を知ってもっと好きになる(あるいは中身とのギャップに驚き、嫌いになる)とか。

 「残念」とは「念」が「残る」と書く。つまり、最初の時点では身体的(物質的)な関心のみで妙子自身に対しての「念」はない。しかし妙子を知っていくうちに、主人公に妙子への「念」が生まれてくるのである。そしてそれは妙子が姿を消してから本当に姿を現す。もしかしたら『残念な乳首』とは、ふたつの意味の「残念」が込められているのかもしれない。

普段気づかない部分が明かされるような短編が、いくつも

 横田創の文章は、密度が高く、ひとつのセンテンスの中に情報がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。しかし独自のリズムがあるので、不思議とすらすら読める。またそれまで普通に進んでいた文章の中の視点が急に拡大鏡を使ったようにズームになり、普段気がつかないような部分が明かされることがある。

 題名にしてもそうで、我々はそもそも人間のパーツにおいて「乳首」を他人と比較するという認識を前提として持っていないため、その前提を鮮やかに裏切る題名に面くらうのだ。しかし、それが魅力のひとつでもあり、ついついその題名に惹(ひ)かれてしまうのである。

 横田創の短編集『落としもの』の中には同じように、普段気づかない部分が明かされるような短編がいくつも収められている。読み終わった時には、自分が当然だと思っていた前提が少しだけ揺らいでいるかもしれない。

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PROFILE

松本泰尭(まつもと・やすたか)

松本泰尭

人文コンシェルジュ。大学卒業後、広告代理店などメディア業界で働いたのち、本の仕事に憧れて転職。
得意分野は海外文学。また大のメジャーリーグ好き。好きな選手はバスター・ポージー。

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