ほんやのほん

“ひとり出版社”が丁寧に作った宝石箱。『落としもの』

  • 文・八木寧子
  • 2018年5月14日

撮影/猪俣博史

  • 『落としもの』 横田創 著 書肆汽水域 刊 1944円(税込み)

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 「落としもの」はいつから「落としもの」になるのだろう。

 落ち始めた瞬間からか、地に接してからか。落ちてふたたび拾われたものはどうだろう。人の所有を離れてもなお、そう呼ばれないものもある。

 そんなことを考えたのは、小説「落としもの」を読んだからだ。

独立した物語が、虹色のハレーションを起こす

 落ちているものを看過できない主人公。

 そこにまるで世界の裂け目があるかのように、彼女はそれを見てしまう。いや、おそらくそこに世界の裂け目は存在しているのだろう。

 そこまではまだ、誰もが日常において感じる違和感と違わない。ただ、その裂け目をめくってみるかどうか、そこが純文学的気質を振り分ける。横田創という作家は、ためらいなくそこをめくる。そして、その奥に何があるのか、取り出して、腑(ふ)分けしていくのだ。言葉というメスを使って。

 何かを、誰かを名づけることの崇高さと愚かさ。所々で突きつけられる、「?」による立ち止まり。ふいに紛れ込む、読む者の「実存」を揺さぶるファンファーレのごときフレーズ。泣きたくなるほど美しい霧雨の描写。

 『落としもの』には、日常や社会や現実といったものと物語(ファンタジー)のあわいに茫洋(ぼうよう)と漂う、ほんらい言葉にならない気配、アウラとしか言いようのないものが、丁寧に束ねられ、そっと詰められている。

 もしかしたらそれは最初、淡くてやさしい色の花束に感じられるかもしれない。だが、後からあとからさまざまな色が出てくる。強い色、硬い色、際どい色。一色これと指し示すことができない。それらが混ざる。溶け合う。その混然一体とした地平から、見たこともない景色がたちのぼってくる。

 ひとつひとつは独立した物語だが、柔らかくつながってそれぞれ干渉を起こし、虹色のハレーションをにじませる。それはうっとりするほど美しい光だ。だがその閃光(せんこう)は、作者が花束の奥にひそませた、不穏な爆弾を起動させるものなのかもしれない。

横田さんの本のために作られた、出版社

 この本は、作られるべくして作られた本である。
 出版社は、「書肆(しょし)汽水域」。
 取次の「大阪屋」に勤めながら、本やカフェ、雑貨、文具などを扱う複合的な新しい業態の書店「リーディングスタイル」の企画プロデュースにかかわり、店長もつとめた北田博充さんが立ち上げた“ひとり出版社”が丁寧に作った宝石箱のような本だ。

 著者の横田創さんは2000年に『(世界記録)』で群像新人文学賞を受賞してデビューした。三島由紀夫賞候補にも挙がる実力の持ち主ながら、3点ある著書はすべて品切れ・重版未定となっていた。

 北田さんは、卓抜した筆力と世界観をもつ横田さんの本をどうしても売りたいという思いが高じて、いっそ自分で出版社を作ってしまおうと行動に出たのだ。

 この本はまた、とても美しい本である。
 装丁の写真や表紙の紙の色、花布やスピン、スリップに至るまで、横田さんと北田さん、そしてデザイナーの中原麻耶さんがアイデアを持ち寄り、練り上げて、イメージを形にした。少しだけ、横田さんご本人から伺った秘密を漏らすと、装丁のイメージは女性のメイクなのだそうである。もとになった写真も見せていただいたが、なるほど、そうして見るとそのため息のでるような美しさが見事に体現されている。

 「流通」というシステムにのまれて、読まれるべき書籍が店頭にながくとどまる機会が失われている。そんな中、作り手が思いを込めて作り、全国の書店に営業をかけ、初版2000部のうち半分の注文を発売日前までに取りつけたというのは驚くべきことだ。もちろん、中身に自信があるからこそできたことではあるが、ほんらい、本というものはそのようにして読み手のもとに届けられるべきではないかと思う。

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PROFILE

八木寧子(やぎ・やすこ)

写真

湘南蔦屋書店・人文コンシェルジュ。新聞社、出版社勤務などを経て現在は書店勤務のかたわら文芸誌や書評紙に書評や文芸評論を執筆。ライターデビューは「週刊朝日」の「デキゴトロジー」。日本酒と活字とゴルフ番組をこよなく愛するオヤジ女子。趣味は謡曲。
>>湘南T-SITE 湘南蔦屋書店ホームページはこちら

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