MUSIC TALK

「渋谷系」をスタンダードナンバーに 野宮真貴(後編)

  • 2015年11月10日

撮影/篠塚ようこ

  • 撮影/篠塚ようこ

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  • 新アルバム「世界は愛を求めてる。What The World Need Is Love~野宮真貴、渋谷系を歌う。~」が11月11日発売。初回生産限定般は、アートディレクターの信藤三雄さんが撮り下ろした写真を56ページにわたって掲載した「特別ブック」がついている

 国内外に旋風を巻き起こした「渋谷系」も、時代とともに終焉(しゅうえん)を迎えた。しかし20年の歳月を経て、その音楽性や芸術性が改めて注目されつつある。ここ数年、「渋谷系を歌う」活動に力を入れてきた野宮真貴さんが、今思う渋谷系とは?(文・中津海麻子)

    ◇

(前編から続く)

海外にも広がった「ピチカート・ファイヴ」ファン

――1994年、海外に進出されました。きっかけは?

 アメリカのレコード会社と契約していないミュージシャンが世界中から集まり、ニューヨーク中のライブハウスでライブをする「ミュージックセミナー」というイベントがあり、92年にピチカート・ファイヴも参加しました。海外進出などという野望はなくて、「ニューヨークに行けるなら参加してみようか」というノリで(笑)。あえて日本でのライブのままの演出で日本語で歌ったところ、すごく反響がありました。以来、毎年参加することになり、レコード会社と契約も決まりCDをリリース、ワールドツアーも行いました。

――世界中にピチカート・ファイヴ、そして、渋谷系音楽のファンが出現しました。

 ちょうど海外が日本のカルチャーに興味を持ち始めた時期だったんです。たとえば、まだ正式に輸入されていなかった「ハローキティ」も、クラブキッズたちは早々に取り入れていましたし。ピチカートの音楽も最初はゲイやそういった人たちに支持され、広まっていきました。驚いたのが、ライブをすると会場のオーディエンスがみんな日本語で歌うんです。私たちは当初から「日本語で歌うというスタイルは崩さない」と決めていました。小西さんがとても歌詞にこだわる人で、英訳してしまうとニュアンスが伝わらない、100%表現できないと考えていたためです。CDにはローマ字で表記した歌詞カードを付けて、ファンの皆さんはそれで勉強してライブで歌ってくれました。世界中どこに行ってもそうした現象が起きました。「渋谷系」という言葉もそのまま通じるほどでした。

――クールジャパンの先駆けですね。何が音楽ファンの心をつかんだのでしょうか?

 当時、海外では打ち込み系の音楽が主流になっていて、バンドがゴージャスに演奏するというのが新鮮だったのかもしれません。また、ラップやヒップホップが台頭する中、3分間で完結するようなメロディーがちゃんとある歌が、アメリカでもほとんど作られなくなった時代でした。それが突然、東洋から日本語に乗ってそういう音楽がやってきた。だから、求めていたファンが飛びついたんだと思います。ステージでは着せ替え人形のように何度も衣装替えしたこともあって、アメリカの新聞で「東洋のバービードール」と紹介されたこともあります。

――海外に出て感じたことは?

 音楽に国境はないということを、身を持って感じました。どこに行っても自分たちの表現を変えなかったこともありますし、それを支持してくれるファンが世界中にいましたから。

 当時私たちがやっていたことに影響を受けたアーティストが世界中で活動していて、最近ではコラボレーションしたりしています。そういう人たちと今一緒に音楽ができることが、海外に出ていった意味なのかな、と感じています。

20年を経て「聴くための音楽」に

――2001年、ピチカート・ファイヴは解散。同時に渋谷系のムーブメントも終わりを迎え、野宮さんはソロのシンガーとして新しいステップを踏み始めます。

 ピチカート・ファイヴとして、やることは全部やりきったと思います。ソロになってからしばらくは、ピチカート・ファイヴという存在が大きかっただけに、正直この先何を歌っていけばいいのか悩みましたね。様々なアーティストとコラボレーションしたり、07年からは「リサイタル」と銘打ったシアトリカルな演出のライブをやったり、いろいろと試みながら自分の歌の世界を広げていきました。個人的には、ピチカート・ファイヴ時代に結婚、出産をして、仕事と家庭を往復するだけの目まぐるしい日々だったので、解散後は少し遊ぶ余裕ができました(笑)。

 12年にはデビュー30周年を迎え、セルフ・カバーアルバム「30 ~Greatest Self Covers & More!!!~」をリリースしました。これは、自分がこれまで歌ってきた歌の中からセレクトしたものです。ふたを開けてみたらほとんどがピチカートの曲になったのですが、20年が過ぎ、様々なアーティストのプロデュースで歌ってみると、どんなアレンジになっても元の楽曲の良さを感じることになりました。と同時に「今、聴くための音楽」になっているという発見がありました。一時的な流行のように言われていた渋谷系の音楽には、いつまでも歌い継がれるスタンダードになりうるポテンシャルがある、と。そして、そもそも渋谷系は過去の音楽にインスパイアされて生まれた音楽。ならば、90年代にヒットした曲はもちろん、そのルーツとなった曲も渋谷系と呼んでもいいんじゃないか――。

 そんなことを思い始めていたとき、渋谷系をはじめとする多くのミュージシャンに影響を与えたポップス界のレジェンド、バート・バカラックさんがライブのために来日されました。古くからの知り合いでバカラック研究家でもあるプロデューサーの坂口修さんのことを思い出し、会場で電話したら「来てるよ」「やっぱり!」となって(笑)。二人で楽屋にあいさつに行った後、興奮冷めやらぬ中「バカラックこそ渋谷系のルーツ。スタンダードナンバーとして歌い継いでいくべきじゃない?」と盛り上がりました。このアイデアを「渋谷系スタンダード化計画」と名付け、13年からビルボードライブ(東京・大阪)で、バカラックの楽曲や渋谷系でヒットした曲を歌う「野宮真貴、渋谷系を歌う」というライブをスタートさせました。

――そのライブで歌った曲の中からの選曲を収録したカバーアルバム「世界は愛を求めてる。What The World Need Is Love~野宮真貴、渋谷系を歌う。~」が11月11日に発売されます。聴きどころは?

 ピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターなどの90年代の渋谷系アーティストだけでなく、バート・バカラックやロジャー・ニコルズ、トワ・エ・モア、はっぴぃえんどなど、渋谷系に影響を与えた60~80年代の国内外のアーティストの曲もカバーしました。スウィング・アウト・シスターのボーカルで、やはりバカラックが大好きというコリーン・ドリューリーさんや、日本のバカラックとも言える村井邦彦さんとのデュエットも実現。“最後の渋谷系”と称されるカジヒデキくんとも共演を果たせました。

 また、アルバムのタイトルにもなっているバカラックの名曲「What The World Needs Now Is Love」を、小西康陽さんに訳詞してもらいました。その歌詞が素晴らしくて感動しました。これはピチカート・ファイヴ解散後、初の共演ということになるのでしょうか。CDジャケットは、当時渋谷系のほとんどのアーティストの作品をデザインしたアートディレクターの信藤三雄さんが手掛けてくれています。

 あのころ渋谷系が好きで聴いてくれていた同世代の人たちにはもちろん、若い人たちには新しい音楽として聴いてもらえたらいいなぁ、と思っています。そして、このアルバムをきっかけに、ルーツとなったオリジナルの曲も聴いてもらえたら音楽の楽しさが広がると思います。

 私の夢は、バカラックさんに曲を書いてもらうこと。その実現こそ「渋谷系スタンダード化計画」の野望です(笑)。

    ◇

野宮真貴(のみや・まき)

「ピチカート・ファイヴ」3代目ボーカリストとして、90年代に一世を風靡(ふうび)した「渋谷系」ムーブメントを国内外で巻き起こし、 音楽・ファッションアイコンとなる。 2010 年に「AMPP 認定メディカル・フィトテラピスト(植物療法士)」の資格を取得。音楽活動に加え、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイなどで多方面にわたり活躍中。野宮真貴プロデュースMiMCオーガックコスメ「サプリルージュ」を8月に発売した。

新アルバム「世界は愛を求めてる。What The World Need Is Love~野宮真貴、渋谷系を歌う。~」(ユニバーサル ミュージック)を11月11日リリース。ビルボードライブ大阪(11月13日)、ビルボードライブ東京(11月19、20日)で公演予定。
野宮真貴オフィシャルサイト:www.missmakinomiya.com/

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