MUSIC TALK

25年で「ようやくライブに自信」 高野 寛(後編)

  • 2015年12月22日

撮影/山田秀隆

  • 撮影/山田秀隆

  • デビュー25周年記念アルバム「TRIO」(2014年)

 憧れの人たちから見出され、シンガーソングライターとして一躍スターダムへ。しかしそのポジションにこだわることなく、さまざまな世代のミュージシャンとともに新しい音楽を追及し続けてきた高野寛さん。デビューから四半世紀のときを重ねて思う、今とこれからの自身とは?(文 中津海麻子)

    ◇

前編から続く

「このメンバーでしかやれないこと」をやりたい

――1992年にはオリジナル・ラブの田島貴男さんとユニットを組んだ「Winter's Tale~冬物語~」が話題になりました。

  オリジナル・ラブとは当時同じレコード会社で、田島くんとはデビュー前から友だちだったので、一緒にやったらおもしろそうだな、と。きっかけは、ビールのCM曲のオファーでした。僕は作詞担当で、作曲の田島くんと気負わずに作ったのですが、思いのほかヒットしたし、今でも愛される曲になった。どうも僕の場合、ことヒット曲に関しては邪心がないほうがいいみたい(笑)。ところであのユニット、実は裏のテーマは「フリッパーズギターのパロディー」だったんですよ。

――まさに「渋谷系」が注目されつつあった時代ですね。同世代のミュージシャンとは交流があったのですか?

 田島くんやフリッパーズの二人とは、デビューする半年ほど前に知り合いました。どちらもたまたま行ったライブハウスですごい才能のあるバンドだと感動し、僕から話しかけたのです。何度か一緒にライブもしました。ほかには、同じ時期にデビューしたフライング・キッズの浜崎貴司くん、ザ・ブームの宮沢和史くんとすごく気が合って。今思えば、どちらのバンドも独特のスタンスがあって、やっぱりメインストリームのバンドとは一味違っていた。そういう人たちと同じにおいを感じ合うんです。上の世代も同世代も。

――90年代半ばからは、ソロに加え、バンドのメンバーとしての活動も広げていきます。

 最初にギタリストとして大きな仕事をしたのは、坂本龍一さんのワールドツアーでした。その後、宮沢くんのソロツアーに誘われ、最終的にはGANGA ZUMBAというバンドになりました。13カ国ほどでライブをしましたが、音楽が国境を超えるというリアリティーを体感できたことは本当に大きかった。とはいえ、海外ツアーは過酷です。自己管理も厳しくしなければならないし、機材だって日本みたいにちゃんとしていない。トラブルがつきものなんです。そんな状況でも「なんとかその日のステージを成功させる」という覚悟を持てたことは、今でも僕自身のライブにすごく生きています。

 21世紀に入ってからは、高橋幸宏さんや原田知世さん、高田漣くんらと組んだpupa、BIKKEと斉藤哲也と組んだナタリー・ワイズなど、いろいろなバンドに参加しています。大人のバンドは楽しいし、居心地がいいですね。pupaでは「実家」感覚でリラックスしすぎちゃって、幸宏さんにあきれられたこともあります(笑)。メンバーそれぞれがプロデューサーでもあるので、自然とお互いの意図をくみ取り、そこにエゴは持ち込まない。ほかのバンドもそうですが、「このメンバーでしかできないことをやろう」という感覚で楽しんでいます。

 YMOの皆さんもトッド・ラングレンも、アーティストでありプロデューサーでもあり、さらに若いころからセッションプレーヤーとして演奏に磨きをかけてきた。トッドは今も、リンゴ・スターのバンドメンバーとしてツアーをまわっています。上の世代のそういう活動を見ながら育ってきたので、自分もソロだけじゃなく、バンドに参加したりほかのアーティストをプロデュースしたりするのは当然の流れ。そういう思いは常にありますね。

――下の世代のアーティストやバンドとも交流を深め、新しい音楽を生み続けています。若いミュージシャンとの触れ合いから感じたことは?

 97年ぐらいからしばらくソロアルバムを作っていない時期があり、そのころ知り合った友だちとライブを見に行ったりセッションしたりしていました。中心にいたのが、リトル・クリーチャーズ。その界隈(かいわい)に若くておもしろい人たち――畠山美由紀さん、クラムボン、当時スーパーバタードッグのメンバーだったハナレグミやレキシなど――がいて、どんどん輪が広がっていきました。

 「渋谷系」と言われた時代に僕らが海外の音楽を一生懸命研究し、吸収していた感覚が、下の世代の彼らには、もっと自然に体に入っている感じがします。ブラックミュージックのセンスを血肉化し、同時に日本的な独自の解釈も加わっている。そして、何にも縛られず、純粋に音楽を楽しんでいるように感じました。彼らは自分たちの好きな場所で、時にはバンドの枠も越えて共演して、自然体で、自由で、自立していた。そんなシーンがあることはとても新鮮に映ったし、70年代のティン・パン・アレイ周辺のミュージシャンシップのようだと思いました。先輩や同世代の友だちとは違う刺激も受けて、あの頃から今まで、数えられないほど共演してきた仲間です。

大学で教えていて、気づいたこと

――現在、京都精華大でソングライティングの指導をされています。最近の大学生の音楽事情は?

 最初はものすごいジェネレーションギャップを感じました。音楽を学びに来ているのに、CDを買わない、ダウンロードすらしない、と。また、僕らのころと違い、大勢で共有できる同時代のムーブメントを彼らはほとんど経験したことがないのです。音楽がすごくパーソナルなものになっていて、60年代ぐらいまでさかのぼって聴いている人もいれば、アニソンやゲーム音楽だけを聴いている人、洋楽は聴かず最近の日本のロックばかりを聴いている人もいる。ヒットチャートには興味がなく、それぞれが自分の好きなものしか聴かない。今20歳前後の学生たちって、物心ついたときにはYouTubeやiPodが当たり前にあったから「音楽がタダで何が悪いの?」って思うのも、ヘッドフォンで聴くからスピーカーを持っていないのも、彼らにとってみれば普通のことなんです。

 でも、だからこそ、若い人にとってライブが音楽の体験として以前よりも印象に残るものになっているし、共有できる時間になっている。そのへんのリアリティーがわかってきてから、僕自身、レコーディングの世界にとらわれていたのかもと思い直し、ステージでどれだけの表現ができるかがすごく重要なテーマになってきました。以前は、録音でこそ自分の音楽が表現できると思っていたけれど、今はいい演奏をすることのほうに興味があります。いい演奏をして、それを残していけばいいんだ、と。

「いい演奏残した」リオ録音の25周年アルバム

――2013年にデビュー25周年を迎え、翌年、記念アルバムとしてリリースした「TRIO」は、まさに「いい演奏をして、それを残す」といった思いが感じ取れます。

 「TRIO」はブラジル人のミュージシャン、モレーノ・ヴェローゾがプロデュースしてくれて、リオでレコーディングしました。モレーノの父親はブラジルの重鎮、カエターノ・ヴェローゾで、モレーノはブラジルの中でもオルタナティブな新世代の第一人者のミュージシャンとして知られています。日本が大好きで僕の音楽もずいぶん前から聴いてくれていて、来日した際には共演したこともありました。GANGA ZUMBAのツアーでブラジル音楽に触れ、これまで体験したことのないフィーリングやグルーブに惹かれていたこともあり、ずっとブラジルでレコーディングしたいと思っていた。そこでプロデューサーとしても評価が高いモレーノにメールでじかにお願いしたら、快く引き受けてしてくれたんです。

 レコーディングは目からウロコの連続でした。ブラジルの一流のメンバーと一緒だったんですが、デモテープはあえてメンバーには聴かせず、僕が初めてその場で歌って聴かせると「わかった」と。あとは直感的に2、3回合わせただけでOKテイクです。彼らの音楽を読み取る力、集中力、オンとオフの切り替え……日本では見たことのない光景を目の当たりにしました。ベーシックはほぼスタジオライブで、ギターと歌をバンドと同時に演奏し、一切録り直しをしなかった。明らかにこれまでのアルバムとはまったく違う空気感が生まれ、その空気感を録ることができた。ずっとやりたかったスタイルを初めて体験できました。ジャケットの写真もすべて僕自身が撮影しています。アルバムそのものが、まさに「高野寛のブラジル滞在記」(笑)。ドキュメンタリーとしての1枚に仕上がっています。

――これから、どんな音楽の世界を私たちに見せてくれるのでしょうか?

 デビューから25年、ずっと「まだまだだな」と思いながらやってきました。それは、偉大すぎる先達たちへのコンプレックスかもしれない。YMOやビートルズが20代であれだけのものを作っていたことに、憧れと、どこか嫉妬みたいなものを持ち続けてきたのです。こと歌に関しては、自分のメロディーを歌いきれていないという思いをずっと抱いてきました。でもここ数年、自分の表現したいことと技術がかみ合ってきたかな、と。それは25年の積み重ねがあったからこそだと感じています。

 そして、いろんなことが俯瞰で見渡せるようになってきた。プロデューサー感覚が成長した、ということだと思うんだけど。その目線で言うならば、「高野寛」というシンガーをもうちょっとちゃんとプロデュースしてあげたい。ようやくライブに自信が持てるようになってきたので、ライブで演奏し、歌う感覚をパッケージにしていきたいと思います。それを、いかにたくさん人に届けられるか。続けていくしかないですね。25年なんて、ただの通過点ですから。

  ◇

高野寛(たかの・ひろし)
1964年生まれ。1988年、高橋幸宏プロデュースにより、ソロデビュー。代表曲は「虹の都へ」「ベステンダンク」(共にトッド・ラングレンプロデュース)など。田島貴男(オリジナル・ラブ)との共作シングル「Winter's tale」をはじめ、世代やジャンルを超えたアーティストとのコラボレーションも多い。ギタリストとしてもYMO、テイ・トウワなどのアーティストのライブ・録音に多数参加。坂本龍一や宮沢和史のツアーメンバーとして、延べ20カ国での演奏経験を持つ。2013年デビュー25周年を迎え、記念アルバム「TRIO」をブラジル・リオデジャネイロで録音。同年、京都精華大学ポピュラーカルチャー学部・音楽コース特任教授に就任。

高野寛オフィシャルサイト:http://haas.jp/

【ライブ情報】
高野寛×畠山美由紀×おおはた雄一
2016年2月5日(金) ビルボードライブ東京(電話予約:03-3405-1133)
2016年2月8日(月) ビルボードライブ大阪(電話予約:06-6342-7722)
2公演共通 2ステージ(19時~/21時半~)
HP予約:http://www.billboard-live.com/reservation/t_index.html

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