MUSIC TALK

「こうあるべき」にとらわれないバンドの形 クラムボン 原田郁子(後編)

  • 2016年5月20日

撮影/篠塚ようこ

  • 撮影/篠塚ようこ

  • 結成20周年でリリースしたアルバム『triology』(2015年)と、ミニアルバム『モメントe.p.』(2016年)

 昨年結成20年を迎えたクラムボンは、メジャーレーベルを離れ、自主制作盤ミニアルバム『モメントe.p.』をツアー会場と賛同する店舗のみで「直売」するという独自の活動をスタートさせた。音楽を取り巻く環境が激変する中、なぜ彼らはその道に踏み出したのか。ボーカルと鍵盤を担う原田郁子さんが、メジャーデビューしてからその決断に至るまでを語る。(聞き手・中津海麻子)

  ◇

前編から続く

世間と自分たちの間にあったギャップ

――99年、シングル『はなれ ばなれ』でメジャーデビューすると、ポップミュージックでありながら それまでのJポップにはない自由で独特な音楽性が注目を集めました。当時をどう振り返りますか?

 いやぁ、あの頃はとにかく目の前のことで精一杯でしたね。ライブハウスで大きな音でライブをすることも、スタジオという環境でレコーディングをすることも、インタビューを受けたり、ラジオに出たり、写真を撮られたりすることも、なにもかも初めてで、不慣れで。なにをやっても「はー」って落ち込んでいました。自分が「いい」と思うところまで届かない。楽しめないんですよね。こんな未熟なまま人前に出てしまった、どうしようって。……修行でした。

――自分たちの音楽やバンドに対するスタンスと、世間の捉え方にギャップがあった?

 新人バンド何組かが出演するイベントに出させてもらっても、クラムボンって、いっつもどこか浮いていました。意図せずに、なんとも言えない空気にしてしまう(笑)。「どんなバンドやってるの?」と聞かれても、自分でも答えづらくて、一言で形容しにくいところがある。3人の性格も、音楽も好みもバラバラ。ミトくんが古い曲から新しい曲まで膨大な量の音楽を聴いてきたこともあって、一つの方向だけじゃない、いろんな側面があっていいというところから始まっていた。もっと言うと、『はなれ ばなれ』という曲があるとして、昨日演奏した『はなれ ばなれ』と、今日の『はなれ ばなれ』は同じじゃない、違っていていいよね、ということを、歌ものでやっているようなところがある。

 デビューして数年、そういうわかりづらさをどうにかわかりやすくしようと、大人の人たちもいろいろ頑張ったと思うんです。「かわいくて毒のあるポップバンド」と呼ばれたりもしました。「そんなことないし」とひねくれていましたけど(笑)。でも、その「わからない」ってことに、なにかおもしろさがあるような気がしていて……。そもそもわからないものだ、っていうようなあきらめも含めて。
 なので、外的には、いろんな摩擦、圧力、ストレスもあったと思うし、振り回されたり、傷ついたりして、反動でできた曲もあったと思うんですけど。内的には、もっと切実な「自分には音楽しかない」っていうような、切羽詰まったものがあったから。「早く自分たちのペースで、じっくり音楽をやれるようになりたい」って、ずっと思っていましたね。

 『id』というアルバムの曲づくりから、山梨・小淵沢にある山のスタジオに通うようになりました。以降、曲作り、録音、ミックス、リハーサル、撮影まで、10年近くクラムボンの制作拠点となります。3人のブースそれぞれに楽器をセッティングして、いつでも好きなときに音が出せる。「食べて、お風呂に入って、寝る」以外の時間すべてを音楽に使う。メンバーとエンジニアとマネージャーだけという最小人数で。山小屋だったから、録音するためにいろいろ工夫が必要でしたが、あれこれ試しながら、時間と予算を気にせずに、ただただ音楽に向き合えたことで、何かを取り戻したというか。あのタイミングで、とことん作業に没頭できる環境をつくれたことは、バンドとして運が良かったと思います。

 その頃から、ライブでも、野外フェスや、日比谷の野外音楽堂でやれるようになってきて、解放されたこともあって。自分たちの音楽を、ようやく楽しめるようになってきた。そうなれるまでに、個人的には、時間がかかりましたね。

メンバーおのおのが、得たものを持ち帰る

――クラムボンは、メンバーそれぞれがソロでの活動や、他のバンドへの参加といった「課外活動」に積極的な印象があります。

 バンドに縛られる必要はないんじゃないかな、ということはずっと思っていて。基本的に、メンバーはそれぞれソロのプレーヤーでもあって、他のアーティストとセッションしたり、作品をつくったりしているんですけど、3人がぱっと集まると、「そうにしかならない」っていう音になる。そういうバンドでいたいなと。

 ミトくんは、アニメの現場で、作曲家、プロデューサー、プレーヤーとして精力的に活動しています。大ちゃん(伊藤大助さん)は、クラムボンのメンバーが出会った母校で、18~20歳の生徒さんたちにドラムを教えています。私は私で、ソロ活動をしたり、舞台の音楽やCMの歌をやらせてもらったり、いろんな人とセッションをしたり。そういう個々の時間も、バンドに返ってくる。影響や刺激を与えているんです。

メジャーレーベルを離れた理由

――メジャーを離れるというニュースは驚きを持って受け止められました。決断した理由、目指す活動とは?

 結成した当初は、携帯電話もパソコンもなかったから、この20年で、音楽の聴き方、楽しみ方、音楽業界も激変しました。その中で、クラムボンもクラムボンなりの活動を続けてきたんですけど。去年、20周年を迎えて、次にやるべきことはなんだろうと考えたときに、ミトくんの言葉を借りると、「とにかくいいものをつくりたい!」と。楽曲、録音、パッケージまで、質を落とさずに、自分たちがいいと思えるものを届けたい。そのために、大きなシステムを離れて、コストも時間も、かけるところはかけて、削るところは削る。制作、プロモーション、販売、経営まで、すべて自分たち主体でやってみようと。

 今回のツアーでは、自主制作盤ミニアルバム『モメントe.p.』を、流通を通さず、ライブ会場のみで販売しました。まずは生で新曲を聴いてもらって、気に入ってもらえたら、その場で購入してもらい、できる会場すべてでサイン会をする。出来たての新譜を、手渡ししていくようなツアーができたらと思ったんです。いろんなやりとりや情報がデータで飛び交う今、実際手に取って質感を楽しむ、なんていうことも貴重になりつつあったりしますよね。だからこそ、パッケージにはこだわりました。「篠原紙工」さんというおもしろい製本会社と直接やり取りし、装丁はすべて紙、タグも縫い込んで、一枚ずつすべて手作業でつくられています。

 つくづく紙っていいなぁ、と。時間を経るごとに味がでてくる。すり減ったり角が傷んできたりも含めて、ぜひ楽しんでもらえたら。

――ツアーではファンからはどんな反応がありましたか?

 初日から私の声が出なくなるという予想外の事態が起きてしまったのですが……、その中で、演奏以外に、あとにも先にもこんなに長いMCはもうないだろうというくらいの時間を割いて、ここに至るまでの経緯と、自分たちの思いを話しました。ミトくんは、CD1枚をメジャーで売る場合のお金の流れ、その内訳も、包み隠さず話しました。そんなライブ、聞いたことないですよね(笑)。

 もちろん、私たちの話を聞いた方々には戸惑いや賛否もあったと思うんですけど。でも、これは、今までの活動を否定するものではなくて。レコード会社のスタッフ、レコードショップ、媒体の方たちに応援してもらって、たくさんの人に自分たちの存在を知ってもらうようになった。その恩恵を受けてきた上で、踏み切ったことなんだということを、できるだけ誤解のないように伝えるためには、お金の話も避けて通れなかったんです。「こうこうこうだったけど、今こう思っているんだよね。どうかな?」と問いかけながら、模索しながら、少しずつお客さんたちと見つけていくようなツアーだったです。

 ライブに来られなかった人、ツアーで回れなかった町の人にも聴いてもらえるようにと、ツアー中盤から、クラムボンのCDを置いてくれるお店を募集することにしました。これもミトくんのアイデアです。よかったら、clammbon.comというオフィシャルサイトをのぞいてみてほしいのですが、私たちの想像を超えて、面白い動きが、広がってきています。ラーメン屋、寿司屋、鍼灸マッサージ、包丁研ぎ屋、「養老の瀧」など、おおよそCDを販売していないようなジャンルのお店まで名乗りをあげてくれて、現在150店舗以上で独自に販売してくれています。心強いですね。「こういうこともアリなんだ」と思ってもらえたら、うれしいですし、クラムボンのCDを買いにいくことで、知らなかったお店に出会えたり、いろんなきっかけになってくれたら、うれしいです。

「自由が聴こえてくる音楽」をやっていきたい

――新たな一歩を踏み出しました。これからについてお聞かせください。

 今回のツアーで受け取ったものは、とてつもなく大きいと思います。ここからまた、続けられるだけ続けていこうという力になりました。昨年、20周年の節目を迎えてリリースしたアルバム『triology』の中にある『yet』という曲は、個人的に、歌詞をつくるのにとことん苦しんだのですが、その曲が今、ライブですごく育ってきています。どんどんたくましくなって、演奏する自分たちのこともぐんぐん押してくれる。「まだまだ、行けよ」って。

 ミトくんは、誰も気づいていないものを見ていて、私は、ミトくんと大ちゃんに見えていないものを見ていて、大ちゃんは、ミトくんと私が見逃しているものを見ている。そのぐらいクラムボンって、三者三様なんです。でも、それぞれ違う方向を見たまんま、共存していけるとしたら、それはすごいことだなって。どんな組織にもあるテーマだと思うんですが、私たちも、バンドっていうちっちゃい社会の中で、個であり、全体でもある、っていうことをずっとやっているような気がするんですよね。

 いろんなことがあるけれど、でも、その先に、楽しみがあればいい。これは、一人の音楽ファンとして思うことなんですけど、音楽ってそういうものなんじゃないかなって。どんな現実があっても、一瞬で忘れられたり、吹き飛ばせたり、解放されたり、楽しめるもの。そして、音の向こうから、自由が聴こえてくる。クラムボンも、ちょっとずつでもそっちの方角へ進みながら、とことん音楽でおもしろいことをやっていきたいなと思っています。

  ◇

原田郁子(はらだ いくこ)

1975年、福岡生まれ。95年、専門学校で出会ったミト、伊藤大助とともに「クラムボン」を結成。99年、シングル『はなれ ばなれ』でメジャーデビュー。ライブやレコーディングなどで様々なアーティストとコラボレーションを重ね、楽曲提供やプロデュースなど多岐にわたり活動を続けている。2015年、結成20周年を迎えたのを機にメジャーレーベルを離れ、16年2月、自らのレーベルからミニアルバム『モメントe.p.』をリリース。会場でサイン会を行う、初の“手売りツアー”を全国26カ所で開催した。公式サイトでCD販売店を募集しており、ジャンル問わず150軒以上の店舗が取り扱うなど、ユニークな広がりを見せている。
クラムボン 公式サイト:http://www.clammbon.com/

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