MUSIC TALK

音楽の楽しさを初めて教えてくれたもの 原田知世(前編)

  • 2016年5月27日

撮影/篠塚ようこ

  • 撮影/篠塚ようこ

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 15歳でデビュー。「時をかける少女」「天国にいちばん近い島」など主演映画のテーマ曲を歌い、大ヒットに。原田知世さんはしかし、「10代は音楽を楽しめなかった」と振り返る。少女時代、デビュー後、そして音楽との向き合い方が変わった20代までを語る。(文 中津海麻子)

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少女時代、家族の団らんの中心に音楽があった

――少女時代の音楽の思い出は?

 私が小学生だったころは、歌番組が全盛の時代でした。毎週欠かさず、家族で団らんしながら「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」を見ては、姉(女優の原田貴和子さん)と一緒に歌っていましたね。もちろんピンク・レディーは二人で踊りましたし、松田聖子さんの曲は、歌詞を見なくても歌えるほどになりました。私の世代ってみんなそうだったんじゃないでしょうか。今は一部の人たちの間ですごく流行っていても、誰もが知っている曲って少ないような気がします。でもあの頃は、ヒット曲を大人から子どもまでみんなが歌えた。とてもいい時代だったなと思います。

 家族の会話の中心に、いつも音楽がありました。「今年の紅白は誰が出るのかな?」「誰がレコード大賞を取るんだろう?」なんて。よく家族で九州のあちこちをドライブしたんですが、作ったカセットテープをかけ、車の中で歌いながら旅したことは、本当に楽しかった思い出です。

――15歳のときデビューし、初めての主演映画「時をかける少女」では同名の主題歌で歌手としてもデビュー。映画も曲も大きなヒットとなりました。

 松任谷由実さんに曲を書いていただくことが家族にとって大ニュースで、みんなですごく感動したことを覚えています。そして、デモテープを聴いてまた感動して。でも、とても難しい曲だったので、どう歌ったらいいのか悩み、長崎にいる姉に電話で相談したりもしました。素晴らしい曲だったがゆえに、すごく緊張しましたね。

 テレビの歌番組にも出るようになりましたが、ベストテンのくるくる回る扉とか、ヒットスタジオで歌手の皆さんが座る長椅子とか、それまでテレビで見ていた世界の中に自分がいることが、ちょっと信じられませんでした。華やかでキラキラとしていた音楽の世界はとてもステキだったけれど、しっくりきたことは一度もなかった。いつもどこか、違和感を持っていました。プレッシャーが強すぎて、楽しむ心の余裕がなかったんです。

 でも、20代になると、音楽との向き合い方が少しずつ変わっていきました。

鈴木慶一との出会い

――少しずつ変わってきたことには、何かきっかけや転機があったのですか?

 10代でとても恵まれた環境の中でデビューし、女優と歌の仕事を同時にやりながら、周囲が引いてくれたレールの上をひたすら走ってきました。そうした中で「原田知世」というイメージができあがってしまって。でも、20代になると、私自身はどんどん変化し、その齟齬(そご)に気持ちが追いついていかなくなってしまった。自分を見つめる時間が必要だと思いました。そんな中、映画の仕事は役というフィルターを通して表現するけれど、音楽ならば等身大そのままの自分を表現できるんじゃないかと考え始めたんです。

 プロデュースをお願いしたのが、ムーンライダーズの鈴木慶一さんでした。そのころ私が出たCMの音楽を手がけていらっしゃって、それがきっかけで慶一さんのアルバムを聴く機会があって。この人なら、私のイメージから離れ、声が持っているものだけで表現したらどんな音楽が作れるのかを見つけてくれるんじゃないか。そう考えました。

――音楽でありのままの自分を表現してみて、何か変わりましたか?

 音楽って楽しいんだ、と気づきました。できあがった曲を渡され、歌ってきた私にとって、少人数で意見を交わしながら一から曲を手作りしていく感じは、とても新鮮だった。慶一さんから「好きな言葉と嫌いな言葉を書いてください」と言われ、一生懸命ノートに書き出したりもしました。多分、そういうところから慶一さんは私の中にある何かを見つけようとしてくれたんだと思うんです。それから詞を書くようになり、自分を見つめ、自分自身をストレートに出せるようになっていきました。慶一さんとの出会いから、私は音楽という「庭」を作り始めたような気がします。今は色々な実がなって、私なりの心地いい庭ができてきたかな。そんなふうに思っています。

――音楽との向き合い方が変わったことで、女優の仕事に変化や影響はあったのでしょうか?

 突然何かが大きく変わったということはありませんでしたが、20代から30代の十数年という時間をかけて、少しずつ少しずつですが、音楽で足跡みたいなものを残せてきたかなと感じられたとき、自分に自信を持てるようになりました。その自信は、女優として「役を演じる」という仕事に臨むとき、とても大きな気持ちの支えになったのです。

後編はこちら

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原田知世(はらだ・ともよ)

長崎市生まれ。1983年、オーディションで5万7千人の中から選ばれ、映画「時をかける少女」で主演デビュー。近年は映画「サヨナラ COLOR」「紙屋悦子の青春」「しあわせのパン」、NHK連続テレビ小説「おひさま」、NHKドラマ10「紙の月」など数々の話題作に出演。歌手としてもデビュー当時からコンスタントにアルバムを発表。1990年以降は、鈴木慶一、トーレ・ヨハンソンを迎えてのアルバム制作、それに伴うオール・スウェディッシュ・メンバーとの国内ツアーなどで、新たなリスナーを獲得。2007年以降は伊藤ゴローをプロデューサーに迎えて活動中。高橋幸宏らと結成したバンドpupa(ピューパ)のメンバーでもある。
2015年、等身大の大人の恋愛を歌った英語曲のカバーアルバム、「恋愛小説」をリリース。第2弾として2016年5月、邦楽曲をカバーした「恋愛小説2~若葉のころ」をリリースした。

原田知世オフィシャルサイト:http://haradatomoyo.com/

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