MUSIC TALK

演じるように歌う。両方やってきたからできること 原田知世(後編)

  • 2016年5月31日

撮影/篠塚ようこ

  • 撮影/篠塚ようこ

  • 5月にリリースしたカバーアルバム「恋愛小説2~若葉のころ」

 その透明感のある歌声が、ファンはもちろん、多くのミュージシャンからも愛されている原田知世さん。女優として、シンガーとして、二つの活動を通して培った表現力で、恋を歌う。(文 中津海麻子)

  ◇

前編から続く

トーレ・ヨハンソンとの出会いでかなった夢

――数々のアルバムを作ってきた中で、スウェーデンのトーレ・ヨハンソンさんがプロデュースした「I could be free」は、日本における90年代のスウェディッシュポップのムーブメントを象徴するアルバムとして話題になりました。トーレさんをプロデューサーに迎えた経緯は?

 あのころ、スウェーデンのバンド「カーディガンズ」の曲がラジオで流れ、そのサウンドが懐かしいような、どこか日本人の心に触れるようなメロディーだなと感じていました。そんなとき、当時のレコード会社のディレクターから「このサウンドとあなたの声は、きっと合うと思う」と言われたんです。当時プロデュースしてくれていた鈴木慶一さんも、「スウェーデンでレコーディングしたことないし、どんな環境でああいう音楽が生まれるのか、見てみたいね」とおっしゃるので、じゃあカーディガンズのプロデューサーであるトーレさんにオファーしてみよう、と。すると、すぐにOKの返事が来たのです。トントン拍子で話が進み、トーレさんが運営する「タンバリンスタジオ」でレコーディングすることになりました。

――スウェーデンでのレコーディングはいかがでしたか?

 今でこそ日本でもプライベート感のあるスタジオが増えましたが、当時の東京のスタジオは、重い扉が2つぐらいあって大きな機材がたくさんあって、というのが当たり前でした。ところが、タンバリンスタジオはマンションのフロアを改装したような感じで、窓から光が差し込み、ドアは微妙に閉まらない(笑)。ある時間になると街から鐘の音なんかが聞こえてくるんですけど、みんな大して気にしてなくて。私物が置いてあったり、お酒があったり、朝キッチンに行くと誰かが朝ごはんを食べた形跡もある。生活と音楽がとても密着していて、日々の生活の中から生まれる音が曲になっているようで、こんなふうに音楽を作り出せたら楽しいだろうなって。みんなでごはんを作って一緒に食べたりして、楽しい時間を過ごしました。

 レコーディングは、ベースとなる演奏しか入っていない状態で歌を入れたので、どんなアレンジになるのか、どんな作品になるのかをまるで想像できないまま歌っていました。それが、帰国後に届いた完成曲を聴いてビックリ! こんなにすごいんだ、日本の曲とは全然違う――。あのタンバリンスタジオでなければ作れない音や音楽だということが、完成した曲を聴いて初めてわかったのです。

 それに、私の声もこんなにも変わるのか、と。私の声は細く、もっとふくよかで丸みのある声になりたかったのですが、そのイメージに限りなく近い声がそのアルバムでは出せていたんです。録音の仕方やミックスの仕方、環境など、いろいろな要素があるとは思うのですが、とにかく驚くばかりでした。

――このアルバムをきっかけに、シンガーとしてより多くのファンから支持されるようになった印象があります。

 アルバムに収録されていた「ロマンス」という曲を、FM局を中心にたくさんかけていただいたことで、自分よりも年下のファンがすごく増えたんです。ライブにも若い方がたくさん来てくれて。その人たちって、おそらく10代の頃の私をほとんど知らずに、単純に歌を聴いて「いいな」と思い、アルバムを買ってくれたんだと思うんです。イメージや先入観なしに音楽を届けたいという思いをずっと持ち続けた私にとって、それは大きな一歩だった。トーレさんとの出会いから新しいファンとの出会いが生まれ、ひとつの夢がかなったのです。

――その後、高橋幸宏さんのバンド「pupa」にボーカルとして参加されるなど、音楽活動の幅が広がります。

 「music & me」というアルバムで幸宏さんに曲をアレンジしていただいたあとに、「女性のボーカルがいるバンドをやりたいんだけど」と誘っていただきました。バンドにはすごく憧れがあったのですが、女優としてデビューして今に至るわけですから、これからもバンドはないんだろうなとあきめていました。でも、できましたね(笑)。まったく違う個性が集まった時にマジックが起こる感覚は、いろんな役者さんが一つの作品を作り上げていく映画の世界にも通ずるところがあり、とても刺激的な場です。

 幸宏さんは「もう1作ぐらいやりたいね」と言ってはいますが、いろんなバンドをやっている幸宏さんが誰よりも忙しそう(笑)。メンバーそれぞれがどんどん変化し進化しているので、何年後かに集まったときにはみんながいろいろなものを蓄えて持ち寄り、それが新しいpupaとしていい音を奏でるんじゃないかと、今からワクワクしています。

「女優とシンガーを分けなくてもいいんだ」と思えて

――昨年、「演じるように歌う」をコンセプトにした洋楽のカバーアルバム「恋愛小説」をリリース。その第二弾となる、邦楽曲をカバーした「恋愛小説2~若葉のころ」が5月に発売されました。こうしたコンセプトのアルバムを作ろうと思ったきっかけは?

 これまでの私は「女優」と「歌」を分けて考えていて、ある時期から両方の活動を同時にすることはありませんでした。でも、だんだんと「女優も歌も、どちらも自分なんだ」と思えるようになってきて。そんなときに「演じるように歌う」というコンセプトがレコード会社のディレクターから提案されたんです。演じることと歌うこと。両方をやってきたからこそできる表現があるかもしれないと考えました。

 オリジナルアルバムは自分で詞を書くことが多いのですが、それはすべて自分の言葉で私自身の中から出てきたものなので、あえて「演じる」ということはしません。感情は詞を書くときに込め、歌うときは逆に何も考えない。淡々と、声を音として心地いいかどうかを判断しながら歌っている。そんな感覚です。

 でも誰かの歌を歌う場合は、物語やイメージがすでにできあがっているので、それを私なりに感じ取って表現していく。それが「演じるように歌う」ということだと思っています。

新作は、少女時代の思い出の曲を中心に

――第二弾は日本の曲をカバーされています。歌ってみていかがでしたか?

 姉と歌ったり踊ったりしていた少女時代に思い出のある曲を中心に選曲しました。でも実際に歌ってみると、あのころとは違う印象に感じられた曲が多くて。竹内まりやさんの「September」は、サウンドから感じるイメージで、ポップな明るい曲だと思っていたけれど、じつは失恋の歌だったと知りました。松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」は、こんなに大人の恋の歌だったのかとビックリ。今の年齢になった私が歌うとしっくりくるような歌を、20歳そこそこであそこまでしっとりと歌い上げていたなんて、聖子さんすごいなぁって。

 私なりの解釈で歌った曲もあります。太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」は、若い恋人たちの物語ですが、今の私ぐらいの女性の視線で男性を見つめ、言葉を投げかけたとしたらどうかな? と。ピュアな気持ちは残しつつも、大人の女性だからこその包容力で相手を離してあげる。そんな気持ちで、まさに演じるように歌ってみました。歳を重ねた今だからわかること、歌えることってあるんだなと、改めて感じています。

――これから音楽とどのように向き合っていきたいですか?

 自分で詞を書いたときの思いや感情が、その曲を聴くと鮮やかに戻ってきます。作品になることで、まるで自分の足跡のようにくっきりと残り、その時々に感じたことがアルバムの中で生き続ける。それが音楽の力だと感じています。どこまでできるかはわからないけれど、これからも一つひとつの作品を丁寧に、気持ちを込めて作り続けていきたい。それができたら、とても幸せだなと思っています。

   ◇

原田知世(はらだ・ともよ)

長崎市生まれ。1983年、オーディションで5万7千人の中から選ばれ、映画「時をかける少女」で主演デビュー。近年は映画「サヨナラ COLOR」「紙屋悦子の青春」「しあわせのパン」、NHK連続テレビ小説「おひさま」、NHKドラマ10「紙の月」など数々の話題作に出演。歌手としてもデビュー当時からコンスタントにアルバムを発表。1990年以降は、鈴木慶一、トーレ・ヨハンソンを迎えてのアルバム制作、それに伴うオール・スウェディッシュ・メンバーとの国内ツアーなどで、新たなリスナーを獲得。2007年以降は伊藤ゴローをプロデューサーに迎えて活動中。高橋幸宏らと結成したバンドpupa(ピューパ)のメンバーでもある。
2015年、等身大の大人の恋愛を歌った英語曲のカバーアルバム、「恋愛小説」をリリース。第2弾として2016年5月、邦楽曲をカバーした「恋愛小説2~若葉のころ」をリリースした。

原田知世オフィシャルサイト:http://haradatomoyo.com/

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