MUSIC TALK

「ムーンライダーズ」40周年、走り続けるその先に 鈴木慶一(後編)

  • 2016年10月4日

撮影/山田秀隆

  • 撮影/山田秀隆

  • 昨年リリースした、24年ぶり完全ソロ名義のアルバム「Records and Memories」(左)と、全キャリアを網羅した3枚組「謀らずも朝夕45年」

 今年、デビュー40周年を迎えたムーンライダーズ。メンバーの鈴木慶一さんは、ムーンライダーズだけでなく、複数のバンド、ユニット、そしてソロとして、時代時代で多彩な音楽を放ち続けてきた。しかし「満足したことは一度もない」と語る。その真意は?(文・中津海麻子)

    ◇

前編から続く

じつは二代目ムーンライダーズなんです

――ムーンライダーズを1975年に結成しました。

 実は、当初バンド名は「火の玉ボーイズ」だった。ところが、僕らがバックバンドを務めることになっていたアグネスチャンのスタッフから、「ボーイズって寄席じゃあるまいし」と止められて。寄席の演芸で「ボーイズもの」っていうのがあったんだよね。明日までに変えてこいと言われ、困った困ったどうしようと慌てていたときにひらめいた。「そうだ、ムーンライダーズの名前が余ってる!」 と。

――「余ってる」?

 ムーンライダーズって初代と2代目があって、われわれは2代目なんだよ。初代は、オリジナル・ムーンライダーズと呼んでいるんだけど、はっぴいえんどを解散した松本隆さんが、うちの弟(鈴木博文さん)とかと一緒に組んだバンド。松本さんが忙しくなってあまり活動できず、名前が余ってた。そもそも名付け親は私だったので、オリジナル・ムーンライダーズのメンバー全員に電話して「いただいていいですか?」とお伺いを立てた。「いいですよ、活動してないし」というので、じゃあいただき、って(笑)。

――「居抜き」みたいですね(笑)。

 そうそう、居抜き。サウンドは全然違うけどね。ちなみに、「火の玉ボーイズ」は、ムーンライダーズのデビューアルバムにその名を付けて、無事日の目を見ました(笑)。

――はちみつぱいもムーンライダーズも、日本語の歌詞にこだわっています。理由は?

 特に深い理由はないんだけど、英語で作るのって大変じゃない? それに、そもそも私は、日本語ロックの草分けであるジャックスや、遠藤賢司や高田渡さんといったフォークシンガーの歌詞をラジオで聴いて、「日本語なら自分にも作れるかもしれない」と妄想を抱いて曲を作り始めたから。

 漫画からの影響もあった。つげ義春さんの作品の中の言葉遣いがおもしろく、それで日本語のほうがいいと思った部分もあったのかもね。そもそも、日本人には英語の歌詞だと情景が見えにくい。でも、たとえばはっぴいえんどの歌なら「これは麻布十番あたりだな」とか想像できる。はっぴいえんどと同じような歌詞は作りたくなかったので、初期のころは生まれ育った羽田周辺を題材にしたりしてたね。

 日本語の歌詞はわかりやすいし、手っ取り早い。でも実は、洋楽的な音楽に日本語を乗せるのってすごく難しい。洋楽なら二つの音に「I'm gonna」とか入るけど、日本語だと「私は」の「わた」ぐらいで終わっちゃう。入れられる情報量が格段に少ないんだよね。難しいからこそ挑む意味があったし、やりがいがあったとも言えますね。

高橋幸宏と組む「ザ・ビートニクス」

――1981年には高橋幸宏さんと「ザ・ビートニクス」を結成します。幸宏さんとの出会い、ユニット結成の経緯は?

 幸宏は楽屋とかではよく見かけていましたが、話したことはなかった。ちゃんと話したのは80年になってから。幸宏のラジオ番組のゲストに呼んでもらったです。話してみたら冗談の波長がバッチリ合った。実はムーンライダーズのメンバーとも、ユニット「No Lie-Sense」を組んでるKERAともそう。冗談の波長が合う合わないって、相当重要なんだよね。

 ちょうどそのころ、ムーンライダーズがレコード会社との契約が切れて、空白の期間だった。幸宏も比較的自由な時期で、じゃあ何かやろう、と。ソロアルバムをイギリスで作って帰ってきた幸宏が「『ビートニク(Beatnik)がかっこいい』という人がイギリスに何人かいた」と言うので、その感じでいくことになった。

 本来のビートニクは50年代にアメリカで生まれたムーブメントだけど、どうも僕らの意識はヨーロッパ的なものに行っていた。フレンチ・ビートニクみたいな感じで黒いタートルを着て、曲にもコクトーやら何やら入れて、ごちゃごちゃのデタラメになった。あまり調べずに作ったから、理論上は間違いが多い。でも、80年代というのは、インテリジェンスのあるものを一般市民のところに下ろしてくることが流行したような感じがあったよね。ニューアカ(ニュー・アカデミズム。80年代に日本で起こった思想などの新しい潮流)とかもそう。そういう意味では、ジャン・コクトーという芸術家をずるっと引っ張り下ろしてみんなに知らしめた結成当時のザ・ビートニクスは、非常に80年代的だったんだと思う。

民主的なバンドが理想のスタイル

――バンド、ユニット、そして昨年末には24年ぶりの完全セルフプロデュースのソロアルバム「Records and Memories」をリリースするなど、様々な形態で活動しています。それぞれのスタンスや思いはあるのでしょうか?

 私が今までやってきたバンドは、どれもワンマンバンドではないのね。一人が詞や曲を作って、その人以外がバッキングする、ということは一切ない。みんなが曲を書き、コンペをしつつ民主的に全員の合意を得てやっている。それが私のバンドの理想のスタイル。はちみつぱいもムーンライダーズもそうだし、メンバーの年齢差が40歳もあるコントロバーシャル・スパークもそう。40も歳が違うと想像もつかないものが出てきたりするけど、「へぇ~」って思いながら、それもまた民主的に決めていく。時間がかかるし大変です。多数決っていうのは、ときに誤った方向に行くこともあるし。でも、バンドという形態で民主主義をやっていくというのがおもしろいんだよね。

 ユニットは、1対1だから意思疎通しやすいし時間がかからない。「それ、いいね」「それは違うんじゃない?」で済んじゃう。対してソロは、ジャッジするのが自分しかいないから、バンドとは別の意味で時間がかかる。アルバム「Records and Memories」も、プロデューサーがいなくて大変だった。なるべく別人になってもう一人の自分に問いかけ、「ここが良くないんじゃないか」と言い聞かせる。完璧なんてないし、そもそも完璧は目指していないんだけど、でも、やっぱり迷いは残るんだよね。

 満足したことは今まで一度もない。でも、だから次を作る。もっともっと作ることへの意欲を意識的に沸かせる。それって重要なことだと思うんだ。

ムーンライダーズ、5年ぶりに活動を再開

――ムーンライダーズは2011年、無期限で活動を休止しました。そして今年、「活動休止を休止」し再始動します。休止、活動を再開した理由は?

 ドラムのかしぶち(哲郎さん)の体調が悪くなったこともあったんだけど、11年がちょうど休憩の潮時だったと思う。そして今年、幸宏から「ワーハピ(高橋幸宏さんがキュレーターを務めるフェス「ワールド・ハピネス」)にムーンライダーズで出ない?」と打診され、じゃあ結成40周年だし今年いっぱいはやろうか、と。でもね、全国6カ所7公演のツアーはかなりハードだと思う。大丈夫かなぁ。死者が出ないようにしないと(笑)。

――今年は、はちみつぱい結成45周年の活動も展開しています。

 この歳になると、とりあえず周年記念はやっておいたほうがいいんじゃないの、っていうことでやってます。正直、50周年はちょっと想像がつかない。はちみつぱいの50周年は5年後、そのとき私はちょうど70歳。うーん……やっぱり想像つかないよ。

 今年は奇しくもはちみつぱいとムーンライダーズが同時並行で活動することになり、さらに、高校の仲間と同窓会バンドを組んで高校の創立記念イベントに出ることに。なんだか古いバンドばかりで、一番新しいコントロバーシャル・スパークが後ろに行っちゃってる。来年はちゃんとやろうと思っています。

――ずっと第一線で音楽活動をしてきて、変わらないこと、逆に変わったことはありますか?

 18歳の冬の日、あがたくんのコンサートを思い切って見に行ったときもそうだけど、「えいや!」と一歩を踏み出した瞬間は人生に何度かあって、それによっていろんなことが大きく変わってきた。新しい音楽のムーブメントに揉まれ、ニューウェーブが好きになったりとかね。変わらないのは、満足しないところ。いずれにしても、とにかくずっと動き続けてきた。立ち止まったことは一度もないよね。

――泳ぎ続けるマグロみたいですね。

 確かに(笑)。でも、そんなに仕事ばかりしているわけじゃない。忙しいのが好きっていう人間じゃないから。たくさん寝たり休んだりしてるよ。

――趣味の域を超えてサッカーを楽しんでいるとか。

 三つのチームに所属して、週1、2回は練習してます。メンバーは仕事も所属もまったく関係ない、だからおもしろい。この間も「鈴木さん、もしかしてテレビ出てなかった?」って聞かれ、「いや……どうだったかなぁ」(笑)。オーバー60のチームが一番厳しくて、ミスすると「バカヤロー!」とか怒鳴られる。65歳で、それも本業じゃないところで怒られるって相当ヘコむけど(笑)、貴重な経験ですよ。

――50周年は想像つかない、ということですが、1、2年後の計画は?

 いや、考えつかないな。何かおもしろいものを生み出す機会があれば生み出す。それだけ。先のことは考えないっていうのが長続きの秘訣(ひけつ)かもしれないね。

    ◇

鈴木慶一(すずき・けいいち)

 1951年、東京生まれ。72年「はちみつぱい」結成。75年、はちみつぱいを母体に、弟、鈴木博文らが加わり「ムーンライダーズ」を結成し、翌76年、アルバム「火の玉ボーイ」でデビュー。
 70年代半ばから、アイドルから演歌まで多数の楽曲を提供。また、「いまのキミはピカピカに光って」(コニカミノルタ/1980年)、「きいてアロエリーナ きいてマルゲリータ」(マンナンライフ/2001年)など、膨大なCM音楽を作曲している。任天堂のゲーム「Mother」(1989年)、「Mother2」(1994年)の音楽は、今もなお多くのファンをもつ。北野武監督映画「座頭市」(2003年)、「アウトレイジ」(2010年)などの音楽も担当。
 高橋幸宏と組む「ザ・ビートニクス」など、様々なアーティストとユニットを結成。2013年には、元カーネーションの矢部浩志らと「コントロバーシャル・スパーク」を結成した。
 2015年、24年ぶり完全ソロ名義のアルバム「Records and Memories」と、全キャリアを網羅した3枚組「謀らずも朝夕45年」をリリース。

【ライブ情報】
「Moonriders Outro Clubbing Tour」

10月6日(木)愛知県 ell.FITS ALL
10月9日(日)東京都 新宿LOFT
10月10日(月・祝)東京都 新宿LOFT
10月13日(木)大阪府 Music Club JANUS
10月15日(土)香川県 高松オリーブホール
11月9日(水)京都府 磔磔
11月11日(金)石川県 金沢市アートホール

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