「競走馬」のような建築家 隈研吾(2)

  • 2013年3月28日
隈研吾さん(撮影 渡辺誠)

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 4月によみがえる東京・東銀座の歌舞伎座を設計した建築家の隈研吾さん(58)。「負ける建築」を自称する、その建築観について、世界第一線で活躍する隈さんが本音を語った。2回にわけてお届けするインタビューの2回目。

  ◇

――「強くてエラそうな建築」に惹かれない、という感性はどこから来ていたのでしょう。

隈 僕が育った家に起因していると思います。横浜の郊外にあった家は、戦前の木造家屋で、土壁にすきま風が通る窓、というような家でした。周囲には蛍光灯とアルミサッシの家がどんどん増えている時期だったのに、ウチは白熱灯で、もの淋しい感じがするわけです。しかも僕は父親が45歳の時の子どもだったので、授業参観なんかで友人のお父さんと較べると、おじいさんくらいに見える。家も父親もエイジングしていて、どうしてウチだけこうなんだろう、と。

――やさしいお父さんだったんですか。

隈 いや、それが正反対で、明治生まれの父権的な人でした(笑)。根拠なくエラそうで、家族や子どもに対して高圧的な態度でしか接することができないんです。僕はものすごく抑圧を受けましたね。たとえば大学生になって車の免許を取りたいという時でも、頭ごなしに「とんでもない!」。父を説得するには論拠が必要で、「遊びではなく、学業に支障が出るゆえ、取らねばならない」といったレポートを書かねばなりませんでした。

――建築のプレゼンテーションに似ていますね。

隈 そうなんです。だから、そのことは後ですごく役立った(笑)。後年、父は「自分の子どもにどう接していいかわからなかった」と言っていました。不器用で不自由な人だったんです。

――お父さんからの抑圧は、ご自分の建築観にも結びついていますか。

隈 エラそうな人が嫌だ、という思いは、まさしくそうですよね。エラそうということは、自分を変えられないこと。そうはなるまいと、努力したことは確かです。建築に引き付けて言うと、その土地の文脈とまったく違う、鉄とコンクリートのお化けのような建築だけはつくりたくないと思いました。
僕の場合で言えば、バブルが弾けた後、東京での仕事が一切なくなった90年代に、地方でさまざまな建築を手がけたことが、大きな財産になっています。日本の地方が持つ豊かな風土を感じながら、丘の中に埋める展望台(亀老山展望台・愛媛県今治市)や、切妻の大屋根に木材を使った美術館(那珂川町馬頭広重美術館・栃木県)などを設計しました。どの建築でも、その土地が発する「声」を、注意深く聞くようにして、建築が風土に上手に「負ける」ことを意識しました。

――その前、バブルの最中に東京で設計した自動車メーカーのショールームは、過剰な装飾で、世の中から大ブーイングを浴びました。

隈 あれは、バブルに浮かれた時代と、モダニズムやポストモダニズムに染まる建築界を思いっきりパロディにしたものだったんです。でも、僕の意図はまったくといっていいほど伝わりませんでした。若かったから、自分の思い込みが、そのまま世間に通用すると誤解したんでしょう。でも、その大きな挫折のおかげで、地方の現場に行くことができました。僕にとってとても大事な体験でした。

――2000年代に入ってから、隈さんは東京の大型プロジェクトに復帰し、かつ、中国、ヨーロッパ、アメリカと、世界中に活躍の場を広げます。

隈 それは世界の枠組みが、前世紀の工業化社会から、21世紀のグローバリズムへと転換したからです。工業化社会の中で、建築家がちやほやされる時代は完全に終わり、今はグローバルな金融資本が、投資へのリターンを生み出してくれる建築を求めています。

だから、表面のイメージとは違って、建築家は今、クライアントを獲得するために、日々、世界の果てまで出かけていくタフな職業になっています。いってみれば、毎週、レースに駆り出される競走馬のようなものですよ。設計コンペで競わされて、仕事が決まったら、今度は次々とわきあがる課題の解決策を一所懸命に考え出さなければならない。

――その中で建築家が生き残っていくには、どうすればいいのでしょうか。

隈 つまらない自己主張を超えることですよね。実際、世界中のクライアントから、あり得ない変更をしょっちゅう要求されています。その時は「ええっ?」と思うんだけど、すぐに「あ、自分もこの案に全然満足してないな」と、マインドを変えて、相手を受け入れるんです。否定されたことをチャンスととらえれば、建築はもっと面白くなる。振り返ると、建築家として独立してからの30年間、そういうことの繰り返しでしたし、今も毎日、マインドセットを積み重ねています。だいたい、どんな無茶苦茶なことをいうクライアントでも、「親父よりはマシだな」って思うんです。その意味で、自分の原点があることは、ありがたいですね。今では父親に感謝しています(笑)。(おわり=聞き手・清野由美)

〈インタビュー(1)はこちら〉

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 くま・けんご 建築家
 1954年、神奈川県横浜市生まれ。75年、東京大学大学院建築学科修了。コロンビア大学客員研究員、慶應義塾大学教授を経て、2009年より東京大学教授。
 主な作品は「水/ガラス」(静岡県)、「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」(宮城県)、「石の美術館」(栃木県)、「梼原町役場」(高知県)、「ONE表参道」「サントリー美術館」「根津美術館」(東京都)、「アオーレ長岡」(新潟県)、「竹の家」(中国・北京市郊外)、「三里屯ビレッジ」「三里屯SOHO」(北京)、「ブザンソン芸術文化センター」(フランス)など国内外に多数。
 著書に『10宅論』(ちくま文庫)、『負ける建築』『自然な建築』『小さな建築』(岩波書店)、『日本人はどう住まうべきか?』(日経BP社・養老孟司との共著)など多数。
最新刊『建築家、走る』(新潮社)では、疾走する建築家として世界のパラダイム転換を解き明かしつつ、隈ならではの文明論、建築論を縦横に語っている。


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