東京の台所

<56>27歳、映画監督。勝負かける1DK

  • 文・写真 大平一枝
  • 2014年3月12日

〈住人プロフィール〉
 映画監督(男性)・27歳
 賃貸コーポ・1DK・東京メトロ丸ノ内線 新高円寺駅(杉並区)
 入居1年・築15年

 玄関のドアを開けると、まぶしい光が奥の部屋から差し込んできた。1階と聞いて暗いワンルームを想像していた私は、ほんの少し面食らった。

 1年前、映画監督になるため、勝負をかけて北九州から上京した。

「27歳で、人から比べたら遅い上京です。だから短期決戦、30歳までに決着をつけようとリミットを決めています」

 明るい部屋で、自分に言い聞かせるように彼は言った。追いつめられた悲壮感のようものはなく、ものごしがやわらかい。

 京都出身。映画監督を目指して地元の大学に進んだ。在学中は自主映画作りに明け暮れたが、本物の監督になるための術はわからぬまま、卒業後は映画製作の誘致と支援を業務とする北九州市のフィルムコミッションの仕事に就く。

「めしはうまいし、人があったかい。フィルムコミッションの仕事も、町の人みんなが協力的で、本当によくしてもらいました。でも、居心地がよくなればなるほど、焦る気持ちが強まっていったんです。自分はこのままここにいていいのかって」

 嘱託契約とはいえ、好きな映画に関する仕事で、生活も安定している。だが、3年前、長編娯楽映画を手伝ったときに実感した。

「フィルムコミッションの仕事は、ガチンコが鳴ったら、やることがないんです。僕は、ガチンコが鳴った先の仕事をしたい。監督をやりたいんだと再確認しました」

 契約更新をせず、バイトをしながら、再び自主映画を撮り始めた。その後、文化庁の新人監督を発掘するための委託事業「若手映画作家育成プロジェクト」に応募。参加した1年目、最終選考まで残ったのを機に上京した。2度目の挑戦で「育成作家」に選出され、予算を得て製作した短編映画『オシャレ番外地』が、先週、劇場で公開となった。

 ぶれずにきてよかったですね、というと、彼は首を振った。

「いいえ、毎日ぶれているし、毎日悩みの連続です。助監督を経て監督になった人の経験にはたちうちできません。それがない僕は、僕なりの方法で撮らねば。この仕事をやりたい、その気持ちだけが自分のよりどころです」

 大好きな酒は、飲みだすときりがなく、脚本が書けなくなってしまうので、ほとんど家では飲まない。コンビニの冷えた弁当や総菜は苦手で、毎日自炊をしている。最近よく作るのは、常夜鍋とペペロンチーノ。節約のためもあるし、こもりきりの生活の気分転換にもなっている。

 プロジェクトの中で映画は撮ったが、監督として独り立ちしていけるかどうかはこれからにかかっている。バイトをしたら、脚本作りに集中できないのでそれもしていない。だから、もっと安いアパートに越そうかとも本気で考えている。

 東京の暮らしはけっして甘くないが、ここでしかかけられない勝負もある。

「東京には監督志望の人が大勢います。自分はこれじゃだめだ、まだまだだと思わされる。九州にいたときにはなかった意識の持ち方、刺激があります」

 だから今が勝負なんです、と彼はもう1度言った。

 まだ、この部屋でごちそうと言えるものは作っていないらしい。プロジェクトの育成作家に選ばれたときも、自分へのご褒美(ほうび)はなかった。「選ばれたことが僕にとっては最大のごちそう。それにここからがスタートですから」

 台所の広さも、日当たりの良さも、今は眼中にないように見えた。そんなことよりももっと大事なことが目の前にあって、必死なのだ。けれども、安いからといって暗い部屋には越さない方がいい。風が抜けるこの明るい部屋が、今の彼には似合っていると私は思った。窓から差し込む陽の光が、彼の未来に託された希望と重なるからだろうか。

 この先どんな苦労があろうと、心が荒みそうなことがあろうとも、部屋に負けず、東京に負けないでいてほしい。そう願いたくなった。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。ライター。生活やライフスタイルををはじめ、人物ルポなども執筆。著書に『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)、『スピリッツ・オブ・ジャンク・スタイル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)ほか多数。共著に『母弁』(主婦と生活社)、『ジャンク・ウエア』(平凡社)など。 ホームぺージ「暮らしの柄」


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