東京の台所

<82>心臓病から3年、いまや料理の連載まで

  • 文・写真 大平一枝
  • 2014年9月24日

〈住人プロフィール〉
 会社員(男性)・38歳
 賃貸マンション・3LDK・JR総武本線 両国駅(墨田区)
 入居2年・築30年・妻(38歳、ライター)との2人暮らし

「35歳で心臓病を患い、手術後は血液をさらさらにするためにタマネギをたくさん食べるようになりました。どうやったらたくさん食べられるか工夫していくうちに料理にはまって、人生が変わりました」

 応募のメールにそう書かれていた。アパレルブランドのプレス担当、多忙そうな男性である。

 私の偏った取材経験から言うと、家庭人である男性が料理にはまった場合、味は玄人はだしになるが、テーブルコーディネートや器、盛りつけまで興味が広がる人は少ない。

 ところが、彼は違った。スマホの写真を見せてもらったら、小鹿田焼きの飛びかんな模様の大皿にパスタを上品に盛りつけたり、白い丼に白湯クッパを注いで緑の豆苗をうずたかくトッピングしたり。

 器と料理の色味、盛り方のバランス、メニューの組み合わせ、すべてがおしゃれなビストロのよう。絵になっているのだ。

「野菜も切り方ひとつで味が変わると気づきました。いろんな料理本を見て、味だけでなく盛りつけも研究して。見た目やレイアウトも大事だなってすごく思いますね」

 彼がこんなにはまるとは思わなかった、と妻は言う。タマネギをいろんな料理法で飽きずにたくさん食べたい。そんな必要に迫られてのことだったから、驚きも理解できる。

 まずは包丁の持ち方、そして切り方をユーチューブで調べるところから始めたらしい。

「病気をする前は趣味でDJをやっていて、外で遊ぶことが多かったのです。家でできる趣味を持ってみたいなあと思っていたときに料理に目覚めたので、のめりこむ速度が早かったかもしれませんね」

 今では、夜10時過ぎに仕事から疲れて帰宅しても、必ず夕食を自分で作る。外食でおいしいものと出会ったら、どう作っているか舌と頭で想像して、家に戻って再現する。会社やプライベートでも、料理を話題にすることで今までとは違う付き合いが広まった。とにかくいいことだらけなのである。

 きわめつけはSNSだ。記録代わりに料理の写真をアップしていたら、知らない人から感想や反響がたくさん届いた。その縁で、メンズファッション誌で料理の連載をすることにもなった。

「2年前まで、想像もしていなかった毎日です。今は仕事の展示会で、100人分の料理を作ってほしいと呼ばれることも。料理をするようになって、不思議と仕事のほうもスムーズにまわせるようになりました」

 料理は先を読み、段取りを考える作業でもある。いかに効率よく、ベストの結果を得られるか。常にそう考える癖が仕事にも生かされているのだろう。

 ファッションの仕事と料理は、共通性と非共通性がそれぞれにあると彼は言う。

「料理にはおいしくかつ美しく見せる基本のルールがあるんですよね。それはファッションと似ています。真反対なのは料理をおいしく仕上げるには必ず根拠があるということ。火加減、切り方、素材、タイミングなど、すごく科学的です。ところがファッションは感覚にたよるもの。そこが大きく違いますね」

 感覚ではなく、しっかり研究して毎回安定したおいしい味に仕上げる。そこがいかにも男性の料理だなあと、ずぼらな私は思った。感覚に頼っているから、私はいまだに失敗するのだな。

 イタリアン、フレンチ、和食、創作料理。ひととおり食べたいものは作れるようになった。次に挑戦したいのは、意外にも「ナポリタンと煮魚」とのこと。素朴な答えにむしろ、極めた末の原点回帰のような心境を感じる。

 料理で人生が変わったと書いたが、住むところも変わった。世田谷の住宅地から、市場が近くて新鮮な食材が手に入る両国へ引っ越した。

「スーパーで並んでいる食材が全然、世田谷と違いますよ。もうあっちには戻れないな。飲み屋も楽しい。東京でも西と東で食文化がまったく違いますね」

 この人と料理の化学反応はまだまだ多様に広がりそうだ。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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