東京の台所

番外編<2>築110年の元医院1階に巨大キッチン

  • 文・写真 大平一枝
  • 2014年10月8日

〈住人プロフィール〉
 主婦(日本人・女性)・45歳
 戸建て・5LDK+K+浴室2 サン・ジェルマン・アン・レー市
 入居7年・築約115年
 夫(フランス人・48歳・会社員)、長男(17歳)、次男(16歳)、三男(13歳)との5人暮らし

 煉瓦(れんが)造りの壁が印象的な築110余年の大邸宅。手に入れたときは住宅として使われていたが、元は医院だった。かつての待合室と思われる1階の広く日当たりの良いスペースを、まるごと台所に改装した。

 初めて訪れるフランス人はみな一様にこう言うらしい。

「なんでキッチンがここなの?」

 歯に衣着せぬ人は、さらにたたみかけてくる。

「あなたの家、サロンないの?」

 フランスの古い邸宅では、キッチンは玄関脇や北側といった、日当たりの悪い奥まったところにあることが多い。若い世代や住宅密集地のパリではそうでもなくなってきたが、台所はずっと日陰の存在だった。

 そのため、リビングに面したオープンキッチンなどには、「スーパーの買い物袋を下げてリビングを通るの?」と抵抗感を持つ人がいるという。年配の世代には、日本のお勝手口のように裏から出入りするバックヤード的な場所という意識をもっている人が少なくない、と聞いていた。

 ところが、彼女の家を見て度肝を抜かれた。なんと1階のフロアのほぼすべてがキッチンのようなもので、20人は座れそうなダイニングテーブルの真ん中にコンロがあるのだ。

「前の家のキッチンは小さくて、サロンから離れていたのです。お客様が来ても自分だけ孤立してしまうのが嫌でした」

 日の当たる一番いい場所は、フランス人なら、みんながくつろぐサロン、日本でいえばリビングのような部屋にする。でも、彼女は違った。

「私は料理をしながら子どもの宿題も見たいし、お客様とも家族とも語り合い、くつろげる場所にしたかった。幸い、夫も賛成してくれて、キュイジニストに相談しながら楽しくリフォームすることができました」

 キュイジニストとは、キッチンだけを専門に設計施工するデザイナーのこと。鉄と木という二つの素材のコーディネートをテーマに、いわゆるオープンキッチンにした。流し台は石で作るなど、全体に和と洋がいりまじった独特のシックな空間に仕上がっている。

 このスタイルだと、パンやスープも焼きたてをすぐ楽しめる。

「フランスには、天ぷらやお寿司みたいに、作りたてをすぐ食べるという文化がないので、最初はびっくりされるけれど、そのうち、お客様も慣れてきます」

 インタビューを受けながら彼女は立ったまま、パンを丸めている。

「ごめんなさい、こんな格好で。今日のおやつと明日の朝食用なんです。ちょっと焼いてしまおうと思って」

 フランス窓と言われる観音開きの扉から午前の太陽がさしこむ。明るく清々しいこの場所で、いつも彼女はこうして何かしら手を動かし、火を使い、おいしいものをこしらえているのだろう。

 子ども時代をベルギーで過ごしたこともある彼女は、フランス人の夫とは東京で出会った。彼は在日フランス系コンサルタント会社に10年勤め、その間に3人の子を授かり、14年前、家族でフランスに帰国。しばらく町なかに住んだが、緑の多い今の場所に家を買った。

 フランスの小中学校では、共働きでない家庭の子どもは給食がない。昼食のためにいったん家に食べに帰る。小学校までは、学校までの朝夕だけでなく、昼食のための送迎もあるので、専業主婦は想像以上に忙しい。

 そのキッチンで、かつては和菓子作りに熱中した。

「この街には和菓子屋さんが1軒もありませんから。どうしても小豆が食べたくなって作ってみたら、すごくおいしくかったんです。和菓子の本を見ると、あら、どら焼きも自分で作れるんだわ、羊羹(ようかん)も桜餅もって。自分で作れば甘さも加減できますし、子どもたちも喜んでくれて。もう、ありとあらゆる和菓子を作りましたね」

 そのうち、自分でおこした天然酵母でパンを作るようになり、梅干し、納豆、甘酒にもトライ。今、いちばん興味があるのは日本の発酵調味料とのこと。米麹(こうじ)からみりん風の調味料を作っているところなのだと、大事そうに瓶をとりだして見せてくれた。

 みりん粕を肉に漬けて焼いたり、日本の食材は最後の最後まで利用できるところが奥深く、研究のしがいがあるらしい。そんな自分に自分がいちばん驚いているのです、と彼女は笑った。

「日本にいた頃はフランスのものが欲しくて食べていたのに、フランスにいると和食が欲しくなる。皮肉なものですね。ずっと日本にいたら、小豆もみりんも絶対作っていなかった。買ってすませていたでしょう」

 仕事をしていないと、ともすると洗濯や掃除に追われて1日が終わってしまいがちだ。でも、それではつまらないと彼女は言う。

「料理も発酵食品作りも楽しみのひとつ。楽しみは自分で創造していかないと、と思っています」

 ひととおり日本のものを作ってきたが、これから挑戦したいことは無尽蔵にある。

「いつかね、庭に実のなる柚の木を植えたいんです。それで柚胡椒(ゆずこしょう)を作ってみたいの!」

 育てるところから? 私の声が大きなキッチンに響きわたった。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。ライター。各紙誌でライフスタイルにまつわるコラム、人物ルポを執筆。著書に『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡 社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)、『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)、『昭和ことば辞典』(ポプラ社)『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、ほか多数。共著に『母弁』(主婦と生活社)、『ジャンク・ウエア』(平凡社)など。 ホームぺージ「暮らしの柄」 ■使用レンズ:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM


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