東京の台所

番外編<5>「禅とモダン」を融合した白い台所

  • 文・写真 大平一枝
  • 2014年10月29日

〈住人プロフィール〉
 主婦(フランス人・女性)・44歳
 戸建て・6LDK+3バスルーム サン・ジェルマン・アン・レー市
 入居6年・築94年
 夫(フランス人・48歳・会社役員)、次女(17歳)、長男(14歳)との4人暮らし

 アメリカの一軒家、タイのアパートメント、東京の庭付きマンションなど、夫の転勤による駐在生活が長かった。そして6年前、サン・ジェルマン・アン・レーに築88年の一軒家を買った。フランス人マダムの彼女は言う。

「帰国したとき、5人家族で70平米というパリの生活には戻れない、と思いました。家に求めるものは“自然”と“スペース”。子どもが生まれてから、そう考えるようになりました。だから緑が多いサン・ジェルマン・アン・レーにきたのです」

 夫はサーフィンをする。そんな夫妻に、東京の暮らしは息苦しくはなかったのだろうか。

「いいえ。家族全員、東京が大好きです。本当に住みやすかった」

 たとえば、パリにいたら海へ行くのに車で3時間かかるが、東京からは1時間半で千葉や神奈川の海に行ける。住んでいた麹町の近くには、靖国神社、新宿御苑、千鳥ケ淵などたくさんの緑があった。子どもたちが通っていた神楽坂の学校への通学路には桜並木が続いていて、なんて美しいんだろうと感激したという。

 意外な答えにこちらが驚く。

「原宿や渋谷など、ひとりで街に出ても、なんの危険もなく歩けるところが娘は大好きだと言っていました。長男は14歳ですが、いまだにひとりではパリまで行かせられませんから」

 日本の暮らしや精神性からも大きな影響を受けた。台所を大リフォームしたときのテーマは「モダンと禅」。キュイジニスト(キッチンを専門に手がける設計デザイナー)と一緒に、ものが外に出ないシンプルな空間を目指した。そのため、とりわけ収納にこだわった。

「器はもちろん、冷蔵庫もオーブンも壁面収納にしています。色味は白とステンレスのメタルカラーで統一。でもそれだけではモダンすぎるので、タイの若手アーティストの絵を飾って、空間を柔らかい印象に中和させました」

 広々とした芝の庭には石灯籠がある。引き出しや扉を開けると、日本の器や箸(はし)、急須、調理道具が次々と出てくる。フランスのお気に入りの調理道具を教えてくださいと頼むと、こんな答えが返ってきた。

「日本のものじゃだめかしら? だって日本のツールのほうがはるかに気が利いていますよ。便利で洒落(しゃれ)たものがたくさん売られている合羽橋が大好きでした」

 フランス製の水切りカゴは脚がついていて場所を取るけれども、無印良品のボウルやざるは重ねやすい。100円ショップの食器洗いスポンジも帰国するときに、何十個と買いだめたという。

「柔らかくて繊細で丈夫。グラス専用など、ああいう気の利いた製品はフランスにはないですね」

 広い家に芝生の庭。恵まれた暮らしだが、銀製やブランド物の食器、高級な家具には興味がない。5人家族にしては所有物が少なめだ。

「駐在生活が長かったからでしょうね。明日、引っ越ししなければ、という日々の連続だったので、なるべく持たないようにしているうちに、ものに固執しなくなりました。2年間開けないダンボールがあったら、迷わず人に差し上げたり処分したりします。屋根裏部屋にものを詰め込んだら忘れてしまうので、入れません」

 客用のダイニングルームには彼女の作った写真のコラージュが額装されている。リビングの壁には「YES」というアルファベットのオブジェをディスプレー。フランス人はまず「NO」と言うきらいがあるので、子どもたちには、まずYESから考えられる人になって欲しいと思って作ってもらったそうだ。

「日本の人は、とりあえずハイと言ってそれから考えますよね。私はポジティブでとてもいいと思います」

 では、あなたが今一番大切にしている「もの」は何ですか?

「所有物の中にはありません。駐在時代の各国の思い出、バカンスや旅行の思い出、家族とわいわい言いながら過ごした時間の思い出。すべて私の頭のなかにあるものばかりです」

 長女はいま、アメリカに留学している。末っ子が成人になるまであと6年。子育てが終盤に近づきつつある。それを彼女は「ロス」という言葉で表現した。子どもが巣立ったあと、しばらく子育てロスのような気持ちが続くだろう。それが今から少し不安であると。

「この家に一生住みたいとは思っていません。夫婦ふたりには広すぎる。それに、できれば働きたいと思っています。稼ぎたいというより、自分の働いたお金で夫にプレゼントをしたいの」

 終の棲家かと思っていた私は再び、驚いた。家もまた所有物のひとつでしかなく、頭のなかにある宝物とはあまり関わりがないのだろう。

 夫婦ふたりの生活になったら、彼女は、緑が見える窓があって、ものが必要最低限しかないようなシンプルな小さな家で夫と楽しく暮らしているんじゃないだろうか。禅とはなんたるか、私はよく知らないが、彼女が強くそれに心惹かれた理由がわかるような気がした。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。ライター。各紙誌でライフスタイルにまつわるコラム、人物ルポを執筆。著書に『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡 社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)、『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)、『昭和ことば辞典』(ポプラ社)『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、ほか多数。共著に『母弁』(主婦と生活社)、『ジャンク・ウエア』(平凡社)など。 ホームぺージ「暮らしの柄」 ■使用レンズ:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM


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