東京の台所

<88>9年ぶりに「マイ牙城」にカムバック

  • 文・写真 大平一枝
  • 2015年1月7日

〈住人プロフィール〉
 大平一枝(女性)・50歳
 分譲マンション・4LDK・京王井の頭線 下北沢駅(世田谷区)
 入居1週間・築15年・夫(映画制作・50歳)、長男(19歳)、長女(15歳)の4人暮らし

 謹賀新年。
 昨年の初頭、本欄で手前味噌ながら自分の台所を扱った。人の台所に土足でどかどか踏み込むような取材をしているので、そういう自分はどうなんだという向きには応えねば、と思ったからだ。

 そのわずか1年1カ月後、人生最短のスパンで引っ越しを敢行。15年前に建てたコーポラティブハウスに戻ることとなった。

 そんなわけで思いがけないことだが、今年の初回も手前味噌パート2をお届けしたい。

 コーポラティブハウスとは、住人同士で協同組合を結成して土地を共同購入し、建設する集合住宅のこと。ドイツや北欧の集合住宅の約3割、ニューヨーク市の2割がこの形式といわれている。広告宣伝費や不動産業者のマージンをカットできるのでローコストに仕上がる。また、各住戸は自由に設計でき、住人同士も設計時から交流することで良質なコミュニティーを形成しやすい。

 6年して、仕事部屋兼用による手狭感と、階下の住人に小さな子ども2人の生活音で迷惑をかけたくなかったので、しばらく離れることにした。うかうかしていたら、その子どもたちもコーポラティブハウスに住まないまま巣立ちかねない年齢になってしまった。すると昨年の年の瀬に貸借人が退出することになった。そこで、急遽、9年ぶりに戻ることになったのだ。

 その家の台所は、2畳ほどでけっして広くはない。米や缶詰の置き場所がないので、玄関の収納庫に置いている。これまでの取材で、玄関は「風通しが良く、冷暗所でもあるので野菜や米を置いている」という人が何人かいた。家事動線に無理がなければ収納法は自分流で良いのだな、と学んだ。だから、玄関に缶ビールがあっても、快適ならそれでいい。

 この家を設計していた当時は0歳と4歳の子どもを抱えて、育児に仕事に猫の手も借りたいほど忙しく、12分で洗い上げるホシザキの業務用食洗機を、清水の舞台から飛び降りるようなつもりで購入した。初めてピカピカに洗い上がったグラスを取り上げたときの感動をしばらくぶりに味わった。

 自分の身長に合わせて設計したシンク台。自分で取り寄せたメキシカンタイルのつまみ。カウンター越しに見える家族がだらだらとくつろぐ風景。

 少ない予算の中で精一杯やりくりして設計してもらった世界にひとつの台所が、自分を待っていてくれたような気がした。ああこれ、この感じ。蛇口をひねりながら、野菜を刻みながら、体がこの台所仕様に戻っていくような不思議な感覚を味わう。

 9年の間に4軒を渡り歩いた。どれも悔いはないが、自分のために設計してもらった台所に立つと、格別の思いがこみ上げる。悪い旅ではなかったけれど、もういい加減、落ち着かねばなるまい。棚に扉をつけたり、ガスコンロを替えたり、小さなリフォームも試みた。いくらなんでも長く住まねば元が取れない。

 越してきた日、「手伝えることないですか」と近所の仕事仲間がエプロン持参でやってきた。2日目、片付けに疲れはてて入った居酒屋で、隣の一人客が「どうですか少し」と湯豆腐を勧めてくれた。3日目、「実家からのお裾分けだよ」とコーポラティブハウスの住人が新巻鮭の切り身を抱えてきた。近所の酒屋に息子と寄ったら、代替わりしたお嫁さんが「もしかして、あのときこのくらい小さかったぼっちゃん?」と手の平を腰あたりにかざした。そうそう、この人の近さは9年前のまま。

 そんなささやかな出来事にふれるたび、素直な気持ちで心の中でつぶやく。「ただいま」

 今年もご愛読のほど宜しくお願いいたします。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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