太陽のまちから

20歳の君へ 冒険と挑戦のススメ

  • 文 保坂展人
  • 2015年1月13日

写真:復興のために駆け回る中村健司さん(左)と一緒に 復興のために駆け回る中村健司さん(左)と一緒に

 世田谷でも1月12日に「新成人の集い」が行われました。世田谷区では約8千人近くが成人となりました。対象者が多いので、例年のように午前1回、午後2回と計3回に分けて式典や音楽・アトラクションを行いました。式典も簡素化され、挨拶ではできるだけ短く、またわかりやすく話すように心がけています。私はこんな話をしました。

<大人になるとはどういうことでしょうか。20歳となって法律的に「成人」と扱われます。大切な選挙権が与えられ、犯罪に手を染めれば、刑事責任も問われます。でも、それはあくまでも法律上、「20歳を超えた」ということだけで、それだけで大人になるわけではないと思います。

 私は20歳をすぎた頃、自分は文章を書くことを仕事にしていこうと考えました。学校で起きている「校内暴力」「いじめ」など、社会問題になっていた学校現場での出来事を子どもたちから話を聞き、子どもたちの読む雑誌にレポートを書いていくという仕事です。やがて、本を出すようになり、新聞や雑誌で発表したりテレビに出たりする機会も増えました。

 ひとりで始めた仕事も、2人、3人とスタッフが増え、20代の半ばには10人前後のオフィスをつくるようになります。芸能の雑誌でルポを書いていたこともあって、26歳で亡くなったロックシンガーの尾崎豊さんが青山学院高校在学中、最初にインタビューして、紹介しました。また、自分たちで主催した音楽コンテスト(オルタナティブ音楽祭)でブルーハーツというバンドを最優秀賞に選び、デビューを応援するということもしました。1980年代、皆さんが生まれる10年ぐらい前の話です。

 冒険といえば、30人ほどの若者たちが集まって、日比谷野外音楽堂でロックフェスをやった時のことを思い出します。6月の日曜日で、雨が降ったらすべてがオジャン。「失敗したらどうする」「赤字は数百万だぜ」 と心配する声もありましたが、「オレが責任を取る」と言って総責任者になり、3千人を集めて何とか成功させました。

 これまでに人に頼ったり、また注文したり、不満を持ったりしてきたのが、いつのまにか人の相談を聞いたり、期待されて頼まれたりする存在へと変わっていました。この頃、名実ともに「大人になった」のかもしれません。

 冒険と挑戦について、もうひとつだけ話をします。

 今から4年前の3月11日、東京も激しく揺れました。東日本大震災です。2万人を超える方が亡くなったり、行方不明となったりしました。続けて、東京電力・福島第1原発事故も起きました。多くの人が寒さに震えながら避難所で暮らす中で、世田谷から救援に向かった男性がいました。彼は32歳でした。

 彼は地元の船橋児童館を中心に、友だちや知人のつてで物資を集め、ワゴンに積んで一路、東北をめざします。ただ、どこに行っていいかわからず、仙台の宮城県庁に向かいました。被災状況などを聞いたうえで入ったのが東松島市でした。

 陸路で物資を積んで何度か往復するうちに、彼はあることを思いつきました。「陸路が途絶えて孤立しているところがあるから、空から運べないか」と考えたのです。自衛隊や海上保安庁、消防庁でも考えつかないことを彼が思いついたのは、16歳の頃に体験した阪神大震災でボランティアの経験をしたからでした。

 そして、「空からの物資輸送の支援ができないか」と連絡をとったのが、自家用ヘリコプター協会でした。ちょうど、協会でも被災地支援ができないかと相談していたところだったので、プロジェクトは動き始めました。宮城県にあるサーキット場を拠点に3機のヘリをローテーションで回しながら物資輸送を続けたといいます。

 さらに、彼は阿部秀保・東松島市長に会ったとき、「継続的にボランティアを受けいれる場所を確保させてほしい」と申し入れました。その結果、東松島市は32歳の若者と野蒜(のびる)小学校の利用協定を結びます。「野蒜小学校の校舎を使ってボランティアセンターをつくり、ボランティアを応援する役割をはたす」という内容でした。野蒜小学校は震災時、住民が体育館に避難していたところに津波がなだれ込んで、多くの方々が亡くなりました。そのため、学校を再開するのは難しい状況だったのです。

 それから、3年半が経過しました。彼は今も、東松島市の小学校に住み込んで頑張っています。そんな先輩の若者が世田谷にいることを紹介したいと思います。高い壁にたじろがす、無理かなと思っても挑戦していく勇気をもって、皆さんも今日から一歩を踏み出してほしいと思います>

 ここで紹介した「世田谷の若者」とは中村健司さん(36)です。東松島市に本拠を置く復興支援団体「プラスネオ」代表として活動しています。連絡を取ると、ちょうど阪神大震災から20年にあたる1月17日に地元・世田谷で講演会をするそうです。東日本大震災から4年、彼の奮戦記を私も聞きにいきたいと思います。

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PROFILE

保坂展人(ほさか・のぶと)

1955年、宮城県仙台市生まれ。世田谷区長。高校進学時の内申書をめぐり、16年間の「内申書裁判」をたたかう。教育ジャーナリストを経て、1996年より2009年まで衆議院議員を3期11年(03~05年除く)務める。2011年4月より現職。『闘う区長』(集英社新書)ほか著書多数。


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