東京の台所

特別編<3> 土鍋でごはんを炊くおいしさと楽しさ

  • 連載100回記念対談 平松洋子×大平一枝
  • 2015年4月28日

撮影 石野明子

  • 撮影 石野明子

  • 平松洋子さん

  • 大平一枝さん

 &wの人気連載「東京の台所」が100回を数え、同名の単行本も出版された。これを記念して、筆者の大平一枝さんが、世界各地の食文化を取材するなど「食」をめぐる著書も多いエッセイストの平松洋子さんを迎え、「台所と暮らし」をテーマに対談した。その内容を再構成して5回にわけてお届けする3回目です。(構成 古川雅子)
>>2回目はこちら

    ◇

平松洋子 よその台所って、並んでいる器にもつい目がいっちゃいますね。この写真の土鍋は?

大平一枝 伊賀焼の土鍋ですね。民芸の器は、出西焼、小鹿田焼……と、多彩でしたね。あと、器好きに共通のキーワードみたいになっていたのが、沖縄の読谷焼。イケアの食器ぐらいの率で、読谷焼の器に出会いました(笑)。

平松 こうした民芸の器は雑貨屋さんですごく売られるようになりましたよね。沖縄とか伊賀とか遠方に行って手に入れるわけじゃなくて、すでに東京の雑貨感覚に近いのかもしれません。

大平 そうですね。とりわけ読谷山焼は、沖縄の北窯という所でしか作ってないけれども、そこは観光ルートになっていて、現地の共同販売センターで買えるし、リーズナブル。東京の雑貨屋さんで扱っているお店も増えましたね。

「奥の院」がない都会ならではの暮らしのひと工夫

平松 「東京の台所」の興味深さは、スペースが限られているので、そこに立つだけでざっと、その人の生活全部が見えるというところだと思います。ぎゅっと凝縮したその人の暮らしの全体像を俯瞰できる。

大平 確かにそういう側面はありますね。

平松 台所という場所が持つ「凝縮感」は、東京という一つの地域性だと思います。

大平 そうですね。私、長野県のおばあちゃん家を渡り歩いて、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』という本を作ったんですよ。だいたいの家には台所の奥にストックルームがあるんだけど、最初はおばあちゃんたち、「奥の院」は見せてくれないんです。もう取材も済ませた最後の頃になって、「あ、そういえば」と言ってやっと見せてくれる。そこはもう宝の宝庫で、秘蔵の漬けものだとか、その人の大好物がいっぱいあって、「先に言ってくれればいいのに!」と思うことが何度もありました。それに比べて、東京だと、どうしたって、ひとところで生活全部が見えちゃいますから。

平松 そうですね。それに、東京の台所って外の環境とひとつながりにするために意識的な工夫が要りますよね。お天気をみて、「あ、切干大根、とりこまなくちゃ」みたいな、暮らしの感覚を採り入れていくための。

大平 地方なら、暮らしの中に季節がある。でも、そういうことへの飢餓感は、東京にいる人のほうが強い気がするんですよ。地方の取材にいくと、若い人は、「ぬか漬けとか、臭くてやめてほしい」なんて言ったりします。そこにいるから気が付かない価値、みたいな。だけど、東京では、たとえ狭くて日当たりが悪い環境であっても、何とか工夫して、手間をかけたものを食べようとしていて。

平松 塩レモンだとか梅干などを、せっせと手仕事してつくる。季節感や自然を暮らしに引き寄せたい、自分の手を使いたいという欲求は、東京という土地だからこそ、より一層求められるのだと思いますね。

人が生きる原点としての台所道具への回帰

大平 「東京の台所」の取材で訪れた方たちの中には、100円ショップで買った器を使っている人もたくさんいました。でも、それと同じぐらいの比率で、民芸の焼き物を愛用している人たちがいて。それはもしかしたら、人の手仕事の痕跡とか、大地のようなおおらかさとかを求めているのかもしれません。読谷山焼の器は私も持っていますが、太陽のように明るくのびやかで、土のにおい、近くにあればほっとするとか、そういう感覚ありますよね。大量生産、大量消費とは真逆の、この一つしかない価値みたいな。割れてもいいから、こういう大らかな器を使いたいという人は増えてはいるんだなと感じました。

平松 バブルの時代とはまた違った価値観ですね。

大平 平松さんは、長年の取材を通じて、そういう時代の流れはお感じになりますか?

平松 そうですね。私自身、土鍋でご飯を炊くようになりました。「もう炊飯器は使わないな」と思ったのが最初です。別に私、炊飯器を否定しているわけじゃないんですよ。電子レンジを使うのを辞めたのも、電子レンジを否定したわけじゃない。子どもが大きくなってきて、電子レンジに助けてもらう生活が一段落してきたときに、「この大きな箱はもういらないかもしれない」と。そのスペースを何か別のことに生かそうと考えたんです。

 ただ、「電子レンジ、捨てるよっ」というのが私の本の帯にキャッチフレーズみたいに載ったこともあり、そのイメージが強いみたいで、取材の度に、「平松さんの家には、電子レンジがないんですよね」と、必ず言われるようになって(笑)。

大平 「断捨離」ブームよりずっと前のことですね。

平松 はい。皆さんある種、時代に共通した流れみたいなものがあるから関心を持たれるのかなと、その時思いましたね。台所のあり方やモノを所有することの価値観の変化とか、そういうことが変わりつつある節目の時期だと実感しました。

大平 それって、過熱水蒸気で調理するとかいう高級電子レンジが出る……。

平松 もう、全然前のことです。土鍋でご飯を炊くということに目覚めたのも、炊飯器で炊くより早いし、火を自分で扱うというおもしろさがあった。それで、おいしいご飯を「自分で」炊くということに、むくむくと力こぶが(笑)。

大平 ボタンひとつ押すのではなくて、手間をかける楽しさですね。

平松 はい。そうすると、面白いのは、取材でお目にかかる方とかが、すごく恥ずかしそうに、「いやあ、私は、炊飯器でご飯を炊いてるんですよ」っておっしゃるようになって。

大平 悪いことしているみたいに(笑)。

平松 私としてはただ、おもしろいから、おいしいからとか、短時間であっという間だしね、みたいな流れでした。こうした体験も、先ほど出てきた、東京の台所の片隅にある読谷焼のお話につながるんですけれど、やっぱり時代の潮流を感じますね。

大平 五感を使って暮らす楽しさを取り戻す、という具合に。電気を節約するとか、物を持たないとか、主義とかでもない。みんな楽しいから、そういう暮らしがより心地いいからやっていると。土鍋で炊くごはんなんて、本当においしいですものね。

平松 みんなが「土鍋のごはん、いいね」と言ってくれることの背景には、その楽しいという価値に加えて、本来、人が暮らす能力を取り戻すという意味合いも含まれているかもしれないと思うようになりました。東日本大震災の時に印象的だったのは、ボランティアで現地にいらした方々にお話を聞くと、ポータブルのガスコンロに自分で点火するのが恐いという方たちが多くてびっくりした、と。つまり、機械でご飯を炊くということが、「ご飯を炊く」という行為と等価になりすぎていると。たとえば山登りをする方たちは、最小限の道具と食糧、衣類で自分の生命を維持するスキルを磨いています。この視点を、生活にもっと取り入れたい。

大平 煮るも焼くも道具を使いこなす人間の知恵。そういう感覚って、山登りの人にすごくありますよね。食事の煮炊きも、珈琲を沸かすお湯も、山登りに持って行く最小限の道具ですませてしまうような。

平松 生きていく過程でのサバイバルも含めて、生活者としての自分の生命維持の技術を持ちたいですね。台所道具というのは、実はそういう手段でもあるというところが、震災のエピソードから強く感じられました。

(次回は5月1日に掲載します)

    ◇

平松洋子(ひらまつ・ようこ)
1958年、岡山県倉敷市生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業。アジアを中心として世界各地を取材し、食文化と暮らしをテーマに執筆活動を行う。2006年『買えない味』でドゥマゴ文学賞受賞。12年『野蛮な読書』で第28回講談社エッセイ賞受賞。近著に『今日はぶどうパン』(プレジデント社)、『いま教わりたい和食 銀座「馳走そっ啄」の仕事』(新潮社)など。最新刊に『洋子さんの本棚』(小川洋子との共著・集英社)。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。ホームぺージ「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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