東京の台所

<107>築80年の平屋で料理三昧、漬け物三昧

  • 文・写真 大平一枝
  • 2015年8月5日

〈住人プロフィール〉
イラストレーター(男性)・46歳
賃貸戸建て・3DK+土間、縁側・JR中央線 荻窪駅(杉並区)
築年数約80年・入居6年・事実婚パートナー(47歳、デザイナー)との2人暮らし

  ◇

 味見はしていないが、たぶん彼は料理が相当うまい。なにしろ、出てくる料理名とレシピが、聞いただけでまずいはずがなかろうというものばかりなのだ。朝食は、夏以外は蕎麦というほどの麺好きで、とりわけ麺への造詣が深い。

「ねぎ汁うどんはよく作ります。これでもかっていうくらいの大量のネギを炒めたところに、揚げ、えのき、かまぼこを投入し、だし汁を注ぎます。そのつゆに、冷たいうどんをつけて食べるのです」

 傍らの彼女からの追加情報は次の通り。
「彼の作るしそ汁うどんもおいしんですよ。大量のしそを摺って作るんです」
 つゆはみそ、しょうゆ、だし、すりごまで作る。しそ汁には、うどんより素麺のような細い麺が合うらしい。

 彼の料理好きは幼い頃からで、両親が共働きのため、自然に台所に立つようになった。父も料理が趣味で、休日ははりきる。

「じつはねぎ汁うどんは父がよく作ってくれたものです。こしょうがたっぷり入った野菜のスープを“今日は海賊スープだぞ”なんて言って。キャベツやいろんな野菜のごった煮なんです。卵が入っていておいしかったな」

 同じ美大出身で、学生時代のバイト仲間として知りあったふたりは、一緒に暮らして20年になる。朝食は彼、夕食は6対4で彼が作ることが多い。彼女も自営だったが、最近デザイナーとして会社で働き始めた。忙しい彼女に代わって、食材の買い出しはもっぱら彼の担当だ。

「午前中ひと仕事をして、昼ご飯を食べたらスクーターに乗って買い出しにいきます。高円寺で肉と米を、荻窪の八百屋では野菜を。地元の乾物屋では、かつお節の細削りや昆布のお得品が出るのでチェックします。牛乳は生協ですが、それ以外は個人商店で買いますね。荻窪はまだ個人でがんばっているお店が多いので」

 住まいは立地より広さを優先するので、古いことが多い。前の家も、湯沸かし器タイプの台所がついた古いマンションだった。今の平屋の家も湯沸かし器のうえ、風呂はバランス釜だ。連棟式の長屋タイプで、越してきたときはお隣さんと協力してネズミ対策をした。庭が広く、野菜を育てたいところだが、ネズミが来てしまうのでハーブだけにしている。越してきた翌年、井伏鱒二の『荻窪風土記』を読んでいたら、この家についての記述が出てきて驚いたという。元は医院だったらしい。たしかに居間は診療所のように広い。

 壁の珪藻土(けいそうど)は自分たちで塗った。彼女は言う。
 「梅干し、みそ、漬けものは、以前いたマンションで仕込んだものと、どこか味が違います。この家で漬けたもののほうがおいしい。とくにみそやぬか床はそうですね」
 昭和初期から生き延びた風通しのよいこの家には、日本の伝統的な発酵食品をおいしくする条件が潜在的に備わっているのだろう。

 古民家賃貸を大家の許可を得て改装して住むスタイルは、一部に人気がある。広くてリーズナブルなうえ、床や壁を変えられるという内装の自由度が大きいからだ。だが、ふたりは口をそろえる。

「都心部の古い家はねずみ対策も必要ですし、冬は寒く、また1年中湿気もすごい。住んで見て初めてわかる大変なこともたくさんあります」

 それでも玄関先のアジサイに足を止める町内の人との立ち話にほっとしたり、こういう時代にマンションにせず、古家を維持している大家さんには敬意を感じる。いいところと悪いところの両方を引き受けながら暮らしているのだ。

 「次はどこに住もうかな」と話す。そう遠くないうちに、風来坊のようにまた次の町の古い家で新しい暮らしを始めるかもしれない。彼らならどんなところに行っても、その空間と折り合いながら居心地良く暮らしそうだ。手作りの梅干し、みそ、ぬか床と一緒に。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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