東京の台所

<110>心をつなぐ90分の食卓

  • 文・写真 大平一枝
  • 2015年9月16日

〈住人プロフィール〉
県嘱託職員 (女性)・43歳
戸建て(2世帯住宅)・4DK(本人)+4DK(親世帯)・東京メトロ丸ノ内線 新高円寺駅(杉並区)
築年数13年・入居13年・夫(39歳、会社員)、長女(15歳)との3人暮らし

    ◇

 住人はワインを必ず1杯は毎晩飲む。焼酎も好きだ。しかし、趣味の剣道で知り合った4歳下の夫は下戸である。そのうえ彼は複合競技のデュアスロンやマラソンをやっていて、体調管理のため1日1食、夕食しか食べないという。その1食も栄養に配慮し、糖質や脂質の多い食品は避け、低カロリー高蛋白な食品を摂るように心がけている。彼が考案した夕食のメニューは、毎日次のとおり決まっている。

 器いっぱいのキャベツの千切り→ところてん(冬は刺身こんにゃく)→野菜たっぷりのお一人様鍋→本日のメイン料理(肉と魚)→プレーンヨーグルト→デザート(ジェラートなど)。

 帰宅後の21時頃から1時間半かけてこのメニューを平らげる。順番は崩さない。

 妻は中学生の娘と19時半ころ夕食を済ませる。ここではグラタンやハンバーグなど、二人が好きなものを食べ、ワインも飲む。

 つまり、言葉を選ばず率直にいわせてもらえば、夫の食生活は、私の聞く限りかなり特殊で、ひどく面倒くさそうだ。

「彼一人分の食事の用意とか大変じゃないですか?」

と、思わずぶしつけに問いかけた。

 彼女はのんびりした表情で答える。

「もう数年このリズムなので。彼は1日1食になって病気もしなくなったし、肝臓の数値なども適正に戻ってものすごく健康になったんですよ。だからいいかな~って」

 彼が食べている間、彼女は向かいに座ってノンアルコールビールを飲み、今日あったことを話す。それが楽しいと言う。

「新婚時代からそうなんです。夕食の時、私はずっとしゃべりっぱなし。彼は聞き役であいづちうったり、質問したり。これも私たちのリズムになっていますね」

 彼女も仕事を持っている。だがかつて、結婚直後は専業主婦をしていた。そのころ夕食のおしゃべりタイムに彼と交わした言葉を鮮明に覚えている。

「今日、きみは何をしていたの?」

「一歩も家を出なかったよ」

「ぼくは、きみは家にいるより、外にいていろんな人と話したほうがきみらしくて元気な気がするよ」

 彼女ははっとした。結婚で、彼の住む杉並に初めて越してきて、知り合いが1人もいなかった。ひたすら家で手芸や洋裁をして、気がつけば1日家族以外誰とも話をしていない日が続いていた。そんな妻のことを、彼は彼なりに心配していたのだ。

「独身時代は出版社の営業にいました。たしかに私は誰かと話すのが好きだったと、彼の言葉を聞いて思いだしたのです。それをきっかけにスターバックスコーヒーでバイトを始めました。コーヒーも好きだし、楽しかったですね。働けてうれしいという実感がありました」

 その後、妊娠を機にバイトは辞めたが、出産後は出版社のパートを皮切りに仕事を再開した。現在は転職してフルタイムで働く県職員である。職場では、仲間と地酒を楽しんだり、屋形船などの大宴会も開かれるらしい。

「そういう話を夕食の時に彼に話すと、彼もうんそれでそれで?なんて楽しそうで。彼が自分の世界で一生懸命やっている間、私も自分の世界でがんばりたい。自分で楽しむ世界を持っていないと、相手も聞いていてもつまらないんじゃないかなあって思うんですよネ」

 お互いに今日どんなことがあったか話すこの1時間半は「なくてはならない時間」と言い切る。そしてこんな言葉も。

「夜遅く帰ってくる旦那さんにご飯を作って自分は先に寝ちゃうとか、テレビを見るという奥さんもいるってよく言いますよね。うちはそれをやっちゃうと、夫婦でなくなる気がするんです。うちの夕食時間は、夫婦の絆になっているので」

 絆という言葉の、一点の曇もない清々しさを久しぶりに思い出した。お酒を飲まないとか、食事が1食だとか、献立が決まっているだとか、そんなのは瑣末(さまつ)で無用な心配なのだ。このふたりは互いを想い合っている。夫婦はそれで十分。それさえあればいいのだ、きっと。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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