東京の台所

番外編<2>朝ドラより波瀾万丈。人気料理家の情熱的半生 (中)

  • 文・写真 大平一枝
  • 2016年3月9日

〈住人プロフィール〉
柳瀬久美子さん 料理家、フードコーディネーター・52歳
テラスハウス・2SLDK・目黒区
築40年・入居12年

 柳瀬久美子さんが人気料理家になるまで。今回はその第2回である。高校を卒業し、日参してやっと菓子職人見習いとして入ることができたパティスリー。朝から晩まで働いた3年後、師匠に告白した言葉は驚くべきものだった。

(「」から続く)

    ◇

「アフター5のある仕事がしたい」

 パティスリーの師匠は、3年の修行を終えた柳瀬さんに、いよいよ職人として次のステップにふみ出す場を与えようとした矢先、彼女にこう言われて言葉をなくした。しばらくして一言。

「あ、そ、そうか。なんか困ったことがあったらいつでも来い」

 晴れて自由の身になった柳瀬さんは、毎日遊びまくった。買い物、カフェバー、旅行……。金が尽き、その生活に飽きたのは4カ月後のことだ。実家暮らしとはいえ、いつまでも遊んでいるわけにもいかない。気づいたら、一軒のイタリアンレストランの扉を開けていた。

「ティラミスのおいしい大好きな店だったんです。入れてくださいと直接頼みました。すると、ご主人が“やってみる?”って。お皿の上で絵を描くみたいな仕事やりたかったので、本当に楽しかったですね。料理もたくさん教えてもらいました」

 ところが店は1年で潰れてしまう。「人探しているみたいだけどう?」と別のイタリア料理店を紹介してくれたのは常連客だった。

 連れて行ってもらうと、これまたおいしい。ホールで働いた。

「アフター5? ああ、なかったですね。結局私にはお菓子と料理。美味しいものを作る現場にいたいんですよね」

 1年働き、23歳でフランスに渡った。フランスの料理学校で学びたいと思ったのだ。

「フランス語は全然話せませんでした。だからまず、トゥールの語学学校へ半年通いました。そこで借りていたアパートの大家さん、ムッシュ・バイイがマダム・イレーヌと一緒に小さなレストランをやっていました。お家賃を手渡しで払いに行くと、なにかしら食べさせてくれてね。ブルターニュ出身のご主人の作る名物の海の幸の盛り合わせやスープドポワソンなどが、おいしかった! 私のことも最初から娘みたいにかわいがってくれたのです」

 半年後、満を持してパリへ。アパートを探す間、ホテル代がかさむ。するとムッシュ・バイイがこう言った。

「娘がパリにいる。アパートが見つかるまで居候していなさい」

 6歳上の娘は、姉のように接してくれた。人と人との垣根がない、人情味あふれるバイイ一家に、柳瀬さんは身も心も支えられ、知り合いがひとりもいないフランスで、なんとか暮らしをしのいだのである。

 ようやく見つかったアパートの保証人もまた、バイイの娘が名乗りをあげてくれた。

 パリでは半年間、リッツ・エスコフィエ料理学校に通った。規定の単位を取得し、ディプロマの認定も受けた。だが、なにか物足りない。語学も料理も極めるまでに至っていない気持ちを抱えたまま、なすすべもなく帰国の準備をした。目的の卒業は果たしたのだから、これでいいんだと自分に言い聞かせながら、トゥールに向かった。世話になった恩人に、誰よりも先に料理学校の卒業を報告したかったのだ。

 柳瀬さんが話し出すと、イレーヌが最初は静かに、だが、徐々にエキセントリックに怒り出した。

「しゃべれもしない。フランス文化も知らない。クミコ、あなたそんな状態で日本に帰って、フランスにいたって言えるの?」

 以前から、言葉に関してはことあるごとに夫妻から厳しい忠告を受けていた。だが、これほどはっきり否定されたのは初めてだ。唇をかんでいると、イレーヌが言った。

「うちに帰っていらっしゃい。もう家賃はいらないから、そのお金で語学学校に通って、言葉を覚えなさい。そして私たちと一緒に過ごしながらフランスの食文化に触れなさい。うちの子なんだから、時々お店を手伝うのよ」

 自分のために、これほど真剣に叱り、ここまで親身になってくれる人はフランスにいない。たまたま家を借りただけの自分に、手をさしのべようとする大家夫妻の期待と叱咤に応えたいと、初めて本気で思った。

「目が醒めました。そこから私はもう一度語学学校へ入り直したのです。下校したら店の手伝い。イレーヌが厨房の片隅で、家族で食べるごはんを時々作ってくれるのですが、フレッシュな白インゲン豆を使った煮込みの味は忘れられません。ここで初めてマナー、TPOにあわせた言葉遣い、フランスの家庭料理や家庭のお菓子を学べました」

 渡仏2年。日本の雑誌や留学情報誌にはどこにも載っていないトゥールという田舎町の小さなレストランで、本当の柳瀬さんの料理家修行が始まったのである。

 今でも柳瀬さんは、大家夫妻のことを「私のフランスのお父さん、お母さんです」と語る。

 その、親同然に接してくれたあたたかな家を飛び出したのは、半年後のことだ。朝ドラの筋書きには登場しない展開に、思わずこちらも身を乗り出す。

「フランス人の医者の彼氏ができたんです。一緒に暮らしはじめたの。古いお城を持っているような大金持ちの息子で、ばあやもいるような人。とても優しくていい人だったんだけど、精神的に不安定で、自ら命を絶とうとするようなところもあって……。2年同棲しました」

 で、それからどうなりました?

「もうダメだ。お互いに自分の足で立つためにも、距離を置こう。労働許可証もない私が自分の足で立てる場所は自分の国である日本しかない。だから日本に帰ろうと思ったのです」

 そして本当に、何もかも捨て、スーツケースひとつで日本に帰ったのである。来たときになくて、帰るときに増えたものは、料理学校時代に買ったパウンド型とティーセット。そして彼から贈られて以来、ふたりの暮らしと共にいた猫のTAMA。

 猫をぎゅっと抱きしめた柳瀬さんは、涙に濡れたくしゃくしゃの顔で成田に降り立った。もうすぐ29歳だった。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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