東京の台所

<119>熊本へ移住。3年を経て再びの東京暮らしに

  • 文・写真 大平一枝
  • 2016年5月25日

〈住人プロフィール〉
主婦・44歳(女性)
賃貸マンション・3LDK+WC・中央線 西荻窪駅(杉並区)
築年数46年・入居1年・夫(45歳・自営業)、長女(14歳)、長男(10歳)、次女(7歳)との5人暮らし

    ◇

「子どもたちを連れて、東京から離れてくれないか」

 福島の原発事故の直後、夫はあらたまって切り出した。

 彼が放射能のことやチェルノブイリについて知識が深いのは知っていたが、すぐに引っ越すよう説得するとは思ってもいなかった。

「子どもの健康のために」という夫の真剣なまなざし。家族を愛しているからこその決意であると、言葉にしなくてもわかった。だが、おいそれと首を縦に振れない。

 子どもは2歳、5歳、9歳。仕事のある夫は東京と行き来するという。

「やっと一番下の子が来年幼稚園に入るのに、なぜ生活の基盤を変えなくちゃいけないの?と。全く知らない土地で、3人抱えて暮らすというのが想像できませんでした。うちは自営だからこそ迷うこともできます。でも、サラリーマンのご家庭はそう簡単にできることではないことでしょうから、ママ友にも安易に相談できませんでした」

 その年の8月、家族で2週間九州を旅行した。夫にとっては下調べだったが、子どもたちはたんなる楽しい家族旅行だと思っている。レンタカーで博多から南阿蘇村に入ったとき、彼女は視界いっぱいに広がる緑の大地とその向こうの山々に目を奪われた。

「なんて山が美しいんだろうと。川も水もきれいで、子どもたちは川遊びに興じました。どう、こんなところに住んたら素敵だと思う?と聞くと“住みたい!”と。私は自然の美しさに圧倒されてしまって。東京を出るなら、こういうところで東京と真逆の生活をしたいと本能的に思いました」

 最後に背中を押したのは、たったひとりだけ相談をしていた主婦友だちだった。

「とりあえず、行ってダメならもどってくればいいじゃん」

 あ、そっか。住人は肩の力が抜けるのを感じた。終の棲家とかたくなに決め込むこともない。一度しかない人生、もっと柔軟に考えてもいい。

 移住した先は南阿蘇村。梅雨はバケツをひっくりかえしたように雨が降り、夏はヒグラシの鳴き声で目が醒める。冬の阿蘇山は一面雪景色。厳しい寒さのなか、薪ストーブの炎を見て過ごす。

「四季ってこんなに移り変わりが派手だったかなって。蝉にも鳴く順番があるのを初めて知りました。蛍や月明かりの美しさも。毎日の風景がそれはそれはきれいでした。四季の思い出とともに子どもがいて、あれほど母子で密着した日々はありませんでしたね。全部、住まなければわからなかったことばかりです」

 意外なことだが、料理に時間をかけなくなった。

「素材がおいしいから、あまり凝ったことをしたくなくなるんです。旬のものは茹でるだけでもおいしいですから。でこぽんも苺も、安くて新鮮。食生活も本当にぜいたくでしたね」

 自分の米は自分で作りたいという人や、ものづくりに携わる人。移住してきた人も多く、東京にいたころとはまた異なる種類の友だちがたくさんできた。

 だが、その暮らしに3年で終止符を打つ。思春期の長女に、移住は荷が重すぎたからだ。クラスが一つで、保育園時代から顔ぶれが変わらない地域での友だち作りは、大人が想像する以上に気を使うものだ。

 杉並に戻って1年を経た今年4月。図書館へ行くため毎週末往復した阿蘇大橋が崩落する映像をテレビで見た。

「あの橋が壊れるなんて、この地震はただごとではないとすぐにわかりました」

 子どもたちと駆け回った美しい山里では今も、地震のため多くの人が眠れぬ夜を過ごしている。

「子どもたちもとてもショックを受けていました。私たちがあちらに越したときは、震災で移住してきたと言うと、地元の人には驚かれました。それほど地震というものが身近ではなかったんですね。それだけに、地元の人たちは今回の地震にどれほど驚き、辛く苦しい思いをされているか。考えるだけで胸が苦しくなります。だからできることは少しでもお役に立ちたいと思うのです」

 震災のために出荷できずに困っているアスパラ農家を支援するため、20キロ買い込み知人に売り歩いた。今も南阿蘇の友人と連絡を取り合い、できることを探っている。

 どんな理由であれ、どれほどの期間であれ、南阿蘇で過ごした時間は住人一家にとって宝物であることは間違いない。彼女は、撮りためた阿蘇の写真を何枚も何枚も見せてくれた。山も川も畑の庭も。どの場面にも、のびのびと楽しそうな3人の子どもたちがいた。

 阿蘇は第二の故郷なのだな、と思った。

 人生の選択に〇×はない。自分の価値観でそのときよかれと思った道を選ぶ。他人がとやかく言うことでもない。阿蘇で暮らした日々が宝物のように輝いていたとアルバムから伝わってきた。数え切れ得ぬほど夫婦で家族の未来を話し合った、その時間もかけがえがない。

 明るく日が差し込むビルの4階の台所で、今日も彼女は家族のご飯を作っている。窓から見えるビル越しの空は、阿蘇のそれよりはきっと小さい。だが、夕食時は家族5人わいわい賑やか。そういう今日という日にもまた、〇も×もない。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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