東京の台所

<121>試行錯誤もまた楽し。新婚建築家夫婦のお勝手

  • 文・写真 大平一枝
  • 2016年6月22日

〈住人プロフィール〉
建築士・31歳(女性)
賃貸マンション・2DK・京王井の頭線 駒場東大前駅(渋谷区)
築年数50年・入居2年・夫(建築士・34歳)とふたり暮らし

    ◇

 今年結婚した。文字通りの新婚さんだ。ワイングラス、二人の靴でいっぱいになる小さな玄関、自分たちでデッキを敷いたベランダ、窓辺の小さな植栽。住まいの端々から、新婚ならではの初々しさが溢れ出ている。築50年、8階の窓の南から西へ吹き抜ける風の爽やかさが、住人の笑顔が醸し出すそれと重なった。

 ともに建築家として歩き出したばかりだ。結婚2年前から二人で暮らしているが、それまではそれぞれ設計事務所に勤め、実家から通っていたという。

「薄給でしたから」と彼女は笑う。

 今は個々に独立、仕事場(アトリエ)を借りている。いきおい、住まいに費用をかけられない。アトリエのある神宮前まで自転車で通えて、住宅環境のいいところということで、駒場に照準を絞り物件を探した。

 不動産屋への依頼のしかたがまた建築家夫婦らしい。

「東大の校庭沿いを中心に探してください」

 横が大学のグラウンドなら、高層階に住めば窓の抜けも良い。光も風も入る。夜は静かだ。そもそも日中はアトリエにいて不在なのでうるさくても支障はない。

 かくしてぴったりの住まいが見つかった。ただし古いし、間取りはいわゆるうなぎの寝床。台所から2間がひとつづきで、台所の給湯も湯沸し器だ。

「でも台所が程よい広さで、細長い窓があって明るいんです。水回りに窓があると本当に気持ちが良いんですよ」

 シンクの前に立つと、窓から校庭でサッカーをする学生が遠くに見えた。ああ、これはたしかに気持ちがいい。

 住人は、両親が共働きで、小学生の頃から台所に立っていたという料理好きである。ところが目下の悩みは、仕事が忙しくて思うように料理ができないことだ。

「食生活をきちんとしたい気持ちはあるのですが、日付が変わる頃まで仕事場にいると、帰りは疲れてつい外食で済ませたくなってしまいます。本当はご飯に味噌汁に納豆だけでも自分で作ったほうがいいんでしょうが」

 今は仕事に必死で、家庭を省みる余裕が無い。やりたいのにできていない自分が後ろめたいのだろう。自責の念の根底には、母の姿もある。
「母も働いていたのですが、料理に手抜きをしない人で、どんなに忙しくても外食に委ねなかった。下ごしらえをここまでしたからあとは焼いてね、とか揚げといてねと言って仕事に出かける人でした。子ども心に、手作りのものをちゃんと家で食べることの大事さと、働いていることを理由に出来ないんだなということを学びました」

 なのに、私は食事をないがしろにしがちな日々が続いていて……と、顔を曇らせる。フリーランスになりたてだったころの私にも経験がある。生活より仕事に集中しなければいけない時期というのがどうしてもある。軌道に乗ったら必ず生活を省みる余裕ができる。それまであまり自分を責めずに、納得いくまで仕事をやるだけやってもいいと思いますよ。私は少しばかり先輩風を吹かせてそう言うと、彼女は「そうでしょうか? いいんでしょうか、私こんなでも」と顔を上げ明るい表情になった。

 いいんです、彼だってわかってくれてますよ、きっと。ところで彼はどんな人なのですか? 料理は?

「結婚前は料理もしていたようですが、今はしませんね。彼いわく、やりたくないのではなくて、作ってもらったほうが俄然美味しいという気持ちかららしいです」

 あらら。同業者、同じ時期の独立で立場は一緒なのに?

「料理以外は彼は率先してやってくれるのです。家事分担すると、相手がしない時にストレスがたまるのであえて分担制にはしていません。気づいたほう、どちらかがやるというスタイルです」

 いじわるな私はもう一度念を押す。──でも、料理をしないんですよね?

 次の答えに、彼女が今がんばれる全てが集約されていた。

「ええ、でもご飯を幸せそうに食べるのがすごく上手い人なんです」

 私はもう一度、新婚家庭の初々しさをしみじみと心から羨ましいと思った。

つづきはこちら

東京の台所 取材協力者募集

[PR]

PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

&wの最新情報をチェック


&wの最新情報をチェック

Shopping