東京の台所

<126>不器用さんの料理の目覚めと、率直な悩み

  • 文・写真 大平一枝
  • 2016年8月31日

〈住人プロフィール〉
主婦・31歳
アパート・1K+ロフト・東京メトロ丸ノ内線・新中野駅(杉並区)
築年数4年・入居1年・夫(サッカーコーチ・35歳)とふたり暮らし

    ◇

 28歳まで茨城の実家暮らしだった。事務職正社員、派遣社員を経て昨年結婚。今はハローワークに通い、求職中の身である。料理、食卓周りの雑貨、農業など食に類する仕事をしたいと思っているが、なかなか思う職が見つからないという。ハローワークであっせんされた社会人向けの料理学校にも通った。

「もともと手先が器用でないし、盛り付けも下手。料理もいまいちおいしく作れないんです。ほら、味見して、あ、これが足りないってぱぱっと何かを足してすごくおいしく仕上げられる人っているでしょう。ああいうふうに全然なれない」

と、住人は屈託なく笑った。

 ではなぜ食の道を、と尋ねると意外な答えが返ってきた。僭越(せんえつ)だが記す。

「『東京の台所』がきっかけなんです。たまたまこの連載を見つけて第1回から一気に読んでしまいました。それまでは料理には無頓着でした。トマトが体にいいと聞けばそればかり食べ、アボカドがいいといえば毎日それ。疲れたら外食もするし、買って帰ることも多かったですね」

 インテリアのサイトでも、有名人の台所でもない。普通の人の普通の台所に見入った。どんな人にもそれぞれの物語があり、学生のひとり暮らしや片付けが苦手そうな人の台所も載っている。そこがいいと彼女は言う。「私にもできそうだなあって」。

 掲載のフンドーキンの白だしや、沖縄の器やせいろを買い求め、徐々に台所に立つ時間が増えていった。

「丁寧に暮らすというほど大げさなものではないけれど、それぞれの人に好きな器やこだわりの調味料がある。食事を変えて人生が変わった人もいて、自分でも3食ちゃんと作るようになったら風邪をひきにくくなって、ああ、食って大事だな、健康の基本だなって気づかされました」

 思考の習慣も変わった。

「美味しいものは外にしかないって思ってたんです。でも今は、まずは家でどうやったら作れるかなって考えます」

 不器用なのでなかなか上達しないという彼女は、目下の悩みを率直に語る。

「料理番組は、必ず広いキッチンで撮っていますよね。でもうちはこんな狭いところで、料理中のちょっとした置き場所さえなくて、番組のように時間通り手際よくできません。また、料理サイトではよく簡単・時短料理って紹介しているけれど、私は基本を知らないので、なんの手間や調味料を省いたのかがわからないんです」

 いま、もっとも参考にしているのは料理用のアプリだ。もむ、水にさらす、だしをとるといった初心者向けの短い動画を参考にしている。

 聞きながら、こちらのほうが恥ずかしくなった。知ったようなつもりでいるが、私だってどこまで正しい料理の知識を持っているだろう。彼女の謙虚さがまぶしい。

 毎食後、「ごちそうさま。ありがとう」と必ず言う夫の存在が、彼女の作り甲斐を支えている。

「料理をちゃんとするようになって、1日を大事に生きようって思うようになりました。1月2日、今年も1日1日を大事にするぞって誓いを立てて、意を決してこのコラムに応募したんです。取材の連絡が来て、もう一度あの時の新たな気持ちを思い出しました。ありがとうございました」。

 連載126回。あなたのような読者の存在が私の書き甲斐を支えている、こちらこそ御礼をと、心のなかで頭を下げた。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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