東京の台所

<131>食への興味と街の距離感

  • 文・写真 大平一枝
  • 2016年11月9日

〈住人プロフィール〉
会社員・39歳
賃貸アパート・1DK・東京メトロ千代田線 代々木公園駅(渋谷区)
築年数約20年・入居4年・ひとり暮らし

    ◇

 玄関扉を開けると目にいっぱいの緑が飛び込んできた。大小の鉢植えが棚に並び、天井からも吊り下がっている。窓のない台所にまで、リビングから明るい緑の光がさしこみ、気持ちが晴れやかになる。台所には、かごやイッタラ、アラビアのマグ、調味料などが所狭しと。

 料理やガーデニングが好きな人かと思いきや、住人は意外なことを言う。

「ほんの数カ月前まで、食も緑もあまり興味がなかったんです。部屋はがらんとしていて、食器も鍋もまにあわせを並べるだけ。住まいは、寝に帰るだけの休憩所みたいなものでした。いつかは食生活を見直さなければと思いつつ、忙しさにかまけて適当な食生活を送っている状態でした」

 数カ月前にいったい何が?

「体調を崩したんです。腸の調子がどうにも悪くなって病院に行ったら、クーラーや冷たい飲み物のとりすぎによる内臓の冷えだと。もともと病気になったこともないし、冷え性でもない。便秘やお腹の張りが、冷えからくるなんて想像もしていなくて、本当に驚きました」

 そこで初めて生活を省みた。思い当たることが次々出てきた。勤務先のデザイン会社から、忙しいときは終電で帰宅。ときには夜中2時にタクシーで帰ることもある。自分のキャパを超えると、ストレスで胃がキリキリと痛む。夕食をとらず、家でビールを飲んで寝る。

 それでもがんばれたのは、それぞれの立場でベストを尽くすスタッフと一緒に仕事をするのが楽しかったからだ。上司やクライアントからの信頼も励みになった。妥協するのが嫌いで、どんな状況でも一定のクオリティーを出すというのが信条だ。それは今でも変わらない。だが、体調を崩し、料理や健康のことを見直して気づいた。

「それって、生活をきちんとしてもできることですよね」

 かくして彼女は初めて料理を始めた。体を温める食材を選び、野菜をメインに、肉や魚のタンパク質、納豆などの発酵食品、大豆を意識して取り入れる。お茶は、高知の伝統的な発酵茶の碁石茶を愛飲。朝食も繊維やビタミンがたっぷりのグラノーラなど、しっかりとる。

 生活時間も変えた。なるべく会社から早く帰るようにして、夕食を作る。寝るときは腹巻きをして、睡眠時間もたっぷり確保。結果、便通も肌荒れもみるみる改善されていった。

「それまで食材に関して、美容の効能くらいしか意識したことがなかったのですが、健康との関係を調べるようになって初めて、いかに自分は偏ったものしか食べていなかったか、好き嫌いが多かったかを実感しました」

 自分で食べるものを自分で作るようになって現れた変化はほかにもある。

「福島から18歳で上京して以来ずーっと私、東京は仮住まいという感覚しかなかったのです。家に帰ってビールを飲んで寝て、朝が来たら仕事に行く。そういう生活だと、街にも愛着がないんですね。どこに越しても誰といてもどこか孤独で、ふわふわと浮遊や放浪をしている気分。私の居場所じゃないってどこかで思っていました。でも、食事をきちんと作るようになって、やっと東京に居場所ができた気持ちになれたのです」

 仕事の帰り道や休日に、近所で食材を買う。家にいる時間が長くなるので、インテリアにも興味が湧く。花や鉢植えを買ってみる。思いのほか日当たりの良いリビングで緑がぐんぐん生長し、育てるのが楽しくなる。花が枯れたらドライフラワーにして吊るす。殺風景だった部屋に、あたたかな色みが足されてゆく。せっかく作ったのだから、美味しく見えるように器にもこってみる。

 暮らしが整っていくと、今まで見えなかった風景や心地よさが見えてくる。休憩所だった住まいが、自分の居場所になると、新たな楽しみも増えてゆく。

「間に合わせの器しか使ってなかったのが、好きな焼き物の作家ができて、一つひとつ買い足していったり、ワークショップで自分も絵付けをしたり。新しく買った器を眺めながらしみじみ、あ~幸せだなと。ささやかだけど、そういう時間をもてることに喜びを感じます」

 毎日台所に立っていたら、きれいで素敵な空間を維持し続けるのは難しい。彼女は本欄応募の動機をこう語る。

「料理ってもっとごちゃごちゃした日常のことだし、暮らしってもっとリアルで、ときに手抜きがあり雑で、ふつうのものだと思うんです。でも普通の台所に普通の人なりのドラマがあるとしたら、私の台所から何が見えてくるだろう?と見る角度を変えて確かめたかったのです。自分は普通に暮らせているのかなって」

 その“普通”にたどり着くまでに少々遠回りをした彼女の目下の目標は、料理上手な年上の仕事仲間が集まるホームパーティーに手作りの何かを持ち寄ることである。

「いつも呼んでもらうのですが、私だけ毎回、買って終わりのスイーツ担当。お姉さまたちはみな凝った手料理を持ち寄って、それはそれはおいしくて。次回の持ち寄りパーティーには、是非手作りを持っていって、先輩がたをびっくりさせたいんです」

 台所の端っこで、最近買ったストウブの鍋が、その日の出番を待っている。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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