太陽のまちから

「善意」を可視化する仕組み

  • 文 保坂展人
  • 2013年1月22日

写真:震災後、骨組みだけが残った南三陸町の防災庁舎震災後、骨組みだけが残った南三陸町の防災庁舎

 多くの人の記憶からこぼれ落ちてしまっているかもしれませんが、1月17日を忘れたくありません。18年前の1995年に阪神大震災が起きた日です。大都市を直撃した直下型地震の怖さを感じると共に、市民レベルのボランティアが本格的な役割をはたした時でもありました。

 ただ、2年前の3月11日の衝撃はいまも、まだ薄れてはいないようです。

 私が世田谷区長に就任したのは、震災から47日後。最初に手をつけたのが被災地支援でした。

 なかでも、本格的な直接支援を行うための調査班を派遣した結果、骨組みだけの防災庁舎が残った宮城県南三陸町で、大勢の人手を必要とする仕事があることがわかりました。ある職員の方が5年がかりで家屋調査を行い、実測した上で図面をつけた「課税元台帳」をいよいよ電子データ化するというときに、津波に襲われたというのです。その職員の方は亡くなり、データもすべて流されてしまいました。

 そこで、世田谷区では、この家屋調査のデータを復元する作業に取りかかることにしました。ただし、地元職員を煩わせることなく業務をやり遂げなければなりません。そこで、2010年夏から、20人1組の職員が6組、南三陸町の民宿に泊り込み、津波被害をまぬがれた家屋調査に取りかかったのです。そして9月までには、約8千軒の実測と台帳作成を終えることができました。

 これが縁で、いまでも南三陸町に5人の職員を長期派遣しています。土木や建築の技能職は、まさに復旧・復興の現場の最前線を駆け回っています。また、公共施設の再建のための計画を整えたり、観光振興のための企画、全国からの寄付の受付、追悼式典の準備など幅広く活躍しています。

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PROFILE

保坂展人(ほさか・のぶと)

1955年、宮城県仙台市生まれ。世田谷区長。高校進学時の内申書をめぐり、16年間の「内申書裁判」をたたかう。教育ジャーナリストを経て、1996年より2009年まで衆議院議員を3期11年(03〜05年除く)務める。2011年4月より現職。『闘う区長』(集英社新書)ほか著書多数。

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