東京の台所

<8>母と娘 かりそめの町、かりそめの台所

  • 文・写真 大平一枝
  • 2013年3月6日
  

〈住人プロフィール〉
主婦、65歳。
マンション・3LDK 東急田園都市線 用賀駅(世田谷区)
入居3年・築年数4年・夫(コンサルタント)、娘(会社員)の3人暮らし

    ◇

 いつまで待っても結婚せず、仕事に熱中している娘のために4年前、東京にマンションを買った。夫はコンサルティングの仕事で、東京出張も多い。その宿泊用でもある。

 その日は、たまたま夫婦で遊びに来ていた。

「私なんて東京に遊びに行くのは年に数度。本当にたまたま。そのうちの1回だったんです」

 奥さんは淡々と語る。

 2011年3月11日。津波で甚大な被害を受けた福島県相馬市に、自宅はある。その一軒家は半壊、床が20センチ傾いた。「ジャッキで上げてもいいが、無事に住めるようになるか保証できない」と業者に言われた。

 遊びのついでにちょっと泊まるつもりの娘の部屋である日突然、始まった3人暮らしも2年になろうとしている。いつ終わるかわからない、つかの間の親子の生活を、彼女は穏やかな表情でこう語る。

「予想もしていなかった19年ぶりの3人暮らしでね。喧嘩したり、あーだこーだ言いながら、けっこう楽しんでます。相馬の友達と旅行もしました。……この近所の友達? それはいないけれど、地元の友達としょっちゅう連絡とってるから」

 多忙で不摂生をしていた娘は、家族と暮らして生活が規則正しく、母の手料理でぐんと健康になった。もともと高血圧だった夫のために野菜8割、魚2割、塩分控えめの食生活を心がげてきた。焼き鳥屋に行っても「お塩を控えめにおねがいします」。玄米酢やみりんで味つけをし、砂糖や塩は極力使わない。料理上手で研究熱心な彼女のおかげで、夫は7キロ減量できたという。

 当初、娘の部屋には1人分の器や調理道具しかなかった。ふたりで最低限のものを揃えていった。

「ここは一時しのぎの『仮の家』。でも、やかんだけはたっぷり入るものがほしくて、合羽橋まで娘と買いに行きました。器や料理道具にはついこだわってしまい、デザインに妥協できないので1日中探し回りました。お買い物は楽しいから疲れないんですけどね」

 石川生まれなので、相馬の自宅には九谷焼が揃っている。一時帰宅したとき、夫は台所から「これだけは持っていこう」と、正月用の九谷焼のおちょこを五つ手に抱えた。正月になると御神酒に供えていた、キジの絵柄のめでたい酒器である。せめて正月だけはいつもの酒器で、いつものように祝いたい。そう思ったのだろう。

 いつ相馬に帰るか。まだ踏ん切りがついていない。家を直すのか。建て替えるのか。残りの人生のために、少なくない費用をかけて一からやり直すのか。

 しかし、答の見えないかりそめの3人暮らしから、不意にひとり抜けることになった。娘が結婚して夫の仕事の関係でペルーに行くというのだ。

 初めて娘が恋人を連れてくる日。彼女は夫と一緒に玉川高島屋に行って蓋付きの湯飲み茶碗を買い求めた。大好きな九谷焼である。家族になるかもしれない娘の大切なお客様に、いい茶碗を出したかった。器道楽の彼女のこと、相馬にならいくらでも上等なお客様用がある。でもここにはない。なぜなら、かりそめの台所だから。

 だから、一客だけ買った。

 売り場で横にいた夫は「1回きりなのに、なんでこんなに高いものを?」と思ったらしい。

 ひとり娘は素敵な青年と来月、ペルーに渡る。

「淋しくなるでしょうねえ」

 初めて彼女が弱音らしいことをつぶやいた。

 福島の人は初対面の人に軽々しく弱音など吐かない。だが一客の茶器から、母が娘にしてやりたかったあんなこと、もたせてやりたかったこんなものがあふれるほど伝わってきた。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。ライター。生活やライフスタイルををはじめ、人物ルポなども執筆。著書に『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『日曜日のアイデア帖〜ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)、『スピリッツ・オブ・ジャンク・スタイル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)ほか多数。共著に『母弁』(主婦と生活社)、『ジャンク・ウエア』(平凡社)など。 ホームぺージ「暮らしの柄」

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