2度の研修と2年ほどの修行を終えてフランスから戻ったとき、足を向けたのは東京ではなく、沖縄だった。
2008年、小島圭史さん(43)は本島中部の読谷村で自然学校を経営する旧知の夫婦から、こどもたちの給食づくりをまかされることになる。それぞれの存在を認め合い、失敗することを大切にする。そんな方針を掲げる学校にかかわりながら、瓦屋根の一軒家を借り、夜に小さなレストランをはじめた。
せっかく沖縄にいるのだから、地元の食材を使おう。読谷村の野菜農家にはじまり、少しずつ生産者を訪ね歩くようになった。
北部・大宜味村の養豚農家は当時、絶滅寸前とされた純血アグー豚を育てていた。水無島の浜で育てられたトマトは、濃厚な「ものすごい味」がした。
忘れられないのが、無農薬で育てた薬草を食べさせてウサギを育てている80歳のおじい。あるとき、道路沿いに偶然、「食用兎」という手書きの黄色い看板を見つけ、おもわず車を止めて飛び込んだ。すると、
「これからは、兎がいけるんじゃないかって、ユンタク(おしゃべり)していたんです」
おだやかな声が返ってきた。
ウサギの糞はまた畑にまき、食物連鎖を「当たり前」のこととして実践していた。小島さんが通ううち、手に入りにくい内臓もそのまま渡してもらえるようになった。取引のある生産者は、野菜、肉、魚を合わせれば30軒を超えた。
「人間の都合ではなく、野菜や肉(動物)の都合にあわせて料理をしたい」
たとえば、去勢していないアグー豚を出荷しようとしても、睾丸が3個ある豚は規格外で出荷できないという。ならば、形が悪い野菜と同じで、そのまま使えばいい。ありのままを愛でる。ありのままの旨味を引き出す。それが料理人の力量ではないか、と思う。
レストランを開いて3年後の夏、家主の事情で退去を求められた。自分の料理がおぼろげながら見えてきはじめた矢先だった。店はなくても、自分の料理をあきらめたくない。そこで仕方なく編み出したのが「出張」というスタイルだった。
「東京やフランスの仕事を、沖縄の食材で表現しようとしても無理がある。東京やフランスと同じ料理をつくっても面白くない。たしかに、僕のフレンチはフレンチとは違うかもしれない。でも、沖縄をまるごと食べてもらう。それが、僕の料理。いや、食べてもらうのは、この土地そのものなのかもしれません」
自然のままの「いのち」を扱うだけに、土地と食とを切り離して考えることはできないという。沖縄をまるごと食べるためのガイド役。それが、遠回りした末にたどりついた小島さんの料理なのかもしれない。
朝7時、小島さんは車で30分ほどの魚市場へ向かう。さあ、きょうはなにが揚がっているか。海の声を聞くことから1日が始まる。(おわり)
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