後は焼くだけ。おいしそうに醗酵したパン生地たち
ケシの実がまぶしてある丸いパンは「チェダークリームチーズ」(300円)、細長いパンは「スパイシーベーコン」(250円)
「抹茶と大納言のミニ食パン」(250円)はさわやかな緑に大納言が彩りを添えて
右上の丸いパンは「ライチョコいちぢく」(280円)
店頭のショーケースに出来たてのパンが並ぶ
後は焼くだけ。おいしそうに醗酵したパン生地たち葉山町木古庭(きこば)を目指し、左右に山が連なる県道27号線を東にひた走る。「木の古い庭」という漢字が表す通り、このエリアは緑したたる風景が続く内陸の土地。横須賀市との境にあり、葉山が喚起する「海」のイメージとは、また違った顔を見せる一帯だ。
その木古庭の丘を登った先に、知る人ぞ知る人気のパン屋さん「Tette.」がある。
パン屋さんといっても、ここはオーナーの「noriさん」こと、行正のりえさん(39)一家が暮らす一軒家。周囲は自然の中に家や畑、資材置き場が点在するのどかな場所で、町中の商店街とは趣がまったく異なる。
行正さんはそんな自宅の一角に設えた工房でパンを焼き、毎週金曜日に、その軒先でお店を開く。わかりにくい立地にもかかわらず、開店時間の前からご近所の常連や、うわさを聞きつけたお客さんが並び、午後の早い段階で売り切れてしまうことも少なくない。
金曜日の翌日は、森山神社で開かれる「土曜朝市」に出店する。自家製天然酵母を使って焼いたカンパーニュ、ベーグル、フォカッチャ、ドーナツに、キッシュや焼き菓子などなど、Tette.の名物を目指すお客さんが、ここでも行列を作る。
家庭を守る主婦で、小6と中3、2人の娘をもつお母さん。だったら趣味の延長で優雅にやっているんだろう……などと思ったら大間違い。noriさんの話を聞くと、毎回20種類ほど、のべ200個に上るパンを売るのがいかに大変なことかがわかる。
「とにかく毎週、木、金、土は怒涛の日々。木曜日は朝からパンを作りはじめて、金曜のオープンまでは、ほぼ徹夜です。仮眠のときは、1、2時間で起きられるようにタイマーを握りしめて寝ているんですよ」
Tette.の原点は、定番のひとつになっているオートミールのクッキー「ざくざく」にある。高校時代に雑誌で見たレシピをもとに、当時はめずらしかったこのクッキーを焼いて学校に持っていったら、「おいしい!」と、友人たちが喜んでくれた。自分で作ったお菓子が人を笑顔にする。そのことが、たまらなくうれしかった。
パン作りの奥深さに目覚めたのは、長女の誕生がきっかけ。パンで作った離乳食をおいしそうに食べる娘を見て、むくむくと探究心が湧き上がり、自家製天然酵母と国産小麦を使ったパン作りに行き着いた。
そのころ、神奈川県三浦市にある有機栽培の農園にひんぱんに通っていた。親しくなったオーナーから「この野菜、持っていく?」と声をかけられ、お返しに自作のパンやクッキーを持参する。その「物々交換」の中から、週末、木箱2箱分のパンとクッキーを農園に卸す仕事がはじまった。
ある日、路上で偶然再会した高校時代の友人が、行正さんのパン作りにさらなる展開をもたらす。友人のご主人が三浦市に開くことになったパン屋さんの、オープニング・スタッフとして働かないかと誘われたのだ。最初はレジ係ということだったが、パン工房でも求人があると聞き、「だったら製造に入りたい」と手を挙げた。
次に、そのパン屋さんで一緒に働いていたスタッフの女性が、三浦のまちおこしイベント「チャレンジショップ」にカフェを出店することになった。「じゃあ、私、パンで出てもいい?」と、彼女とのコラボレーションが即決。そのときに付けたユニット名が「Tette.」だ。
「どういう意味なんですか? と、今もよく聞かれるのですが、歩いているときにふと出てきた響きなんです。ゆっくりしテッテ、のんびりしテッテ、という気持ちと、『手』のぬくもり。その両方をかけた名前なんですね」
noriさんはパンへの探究と一緒に、「Tette.」に込めた心を、そこから大切に育てていく。(後編に続きます)

ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)など。「『葉山から、はじまる。』取材者だより」はこちらから。
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