東京の台所

<46>キャリアから卒業し、台所に再就職

  • 文・写真 大平一枝
  • 2013年12月25日

〈住人プロフィール〉
 主婦(女性)・51歳
 賃貸マンション・3LDK・東京メトロ 銀座線 表参道駅(港区)
 入居3年・築41年
 夫(大学教授・62歳 )、長男(15歳)、長女(15歳)の4人暮らし

    ◇

 結婚20年、アメリカ人の夫と15歳の双子の4人家族である。この間、アメリカに3回住んだ。日本に帰るたび家を探さねばならないのだが、現在の青山のマンションが気に入って、同じ建物の中で5回越している。

 「道路1本入ると静かで、マンションのみなさんともみんな顔なじみ。またよろしくね〜って気軽に言えるのでラクですね。それに青山って、奥に入ると意外に下町っぽくて、お年寄りもいるし、昔ながらの和菓子屋さんや小さなお花やさんが点在していて、散歩すると楽しいですよ。通りすがりの人との会話も多く、人と人が触れあいやすい町だと思います。青山に限らず東京全体にそういう雰囲気がありますね」

 法律家の夫とインターナショナルに通う子どもに囲まれた優雅なマダム、というイメージはない。ショートカットにぱりっと糊(のり)のきいたシャツで、颯爽(さっそう)としている。

 聞けば、2人の子が3歳のときから就職活動をした。ようやく1年後、独身時代のフィールドでもある外資系金融機関に再就職。しかし、慣れた頃、夫の仕事の都合でアメリカへ。泣く泣く退職し、1〜2年後に日本に戻ったら、また就職活動。その繰り返しである。

 「最初の3年間、家で子育てをして煮詰まっちゃったんですよね。社会に出たいという気持ちが強くありました。だから、台所はあまり長くいたくない場所。ここから早く脱出しなきゃって思っていました。実際、共働きになると、毎日慌ただしく、料理はとにかく手早く効率よく、ということばかり考えていました」

 しかし、こどもたちが15歳になった最近、ふと考えた。18歳でアメリカの大学に進むならば、一緒に暮らせるのはあと3年。残された歳月の短さに愕(がく)然とする。

 「気がつけば1日12時間働いていることもある。家族と過ごす時間を削って数字を追いかける仕事をこれ以上続けるのは、自分にとってよくないなって思ったんです。何が正解かはわからないけれど、子どもと過ごすことのできる残り少ない時間をゆっくり楽しもうと」

 そう考えて、先日、退職した。これまで仕事をやめるのは夫の都合に合わせてだったので、自分から望んで辞めたのは初めてである。

 まる1日、家で過ごすようになって、変化したことはたくさんある。まず、家族の会話が増えた。台所で料理をしていると、だれかが入れ代わり立ち代わり入ってきて、バーベキュー用に置いていたデッキチェアに座っては、何かしら喋(しゃべ)っていく。学校であったこと、出された課題、友だちのあれこれ……。この授業はこういう成績だったのね、と初めて知ったことも多い。広いリビングダイニングがあるのに、帰宅した夫も、彼女が皿を洗う横に座ってワインを飲んではおしゃべりするようになった。

 家事はいくらやっても終わりのないエンドレスな仕事であることにも気づいた。だが、やったらやっただけきれいになる。そして家族が喜ぶ。仕事とは違う種類のやりがいを知った。

 ところで、仕事をやめて最初にしたことは、器の整理だったそうだ。長年持っていながらあまり使わないものを一斉に処分した。かつて好きだった有田焼などの青い皿や柄物の器もすべて人にあげてしまった。その理由を、彼女は凜としたまなざしで、こう語った。

 「これから、この台所が私の仕事場になる。お母さんになるって決めたからです」

 自分の仕事場なのだから、整理整頓し、使いやすい空間にしようと思ったのだろう。

 「この家で、自分の部屋がないのは私だけなんです。だから台所は私の部屋でもあります。働いていたころは、とにかく早く家事を終えて1分でも早く立ち去りたい場所でしたが、今は一番長くいる場所。家族の会話も増えたし、これとこれを足すとどんな味になるかな、なんて独り言も増えたりして、とにかく楽しいんですよね。一番好きな場所になりました」

 51歳。彼女の新しい人生のステージが台所から始まっている。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。ライター。生活やライフスタイルををはじめ、人物ルポなども執筆。著書に『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『日曜日のアイデア帖〜ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)、『スピリッツ・オブ・ジャンク・スタイル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)ほか多数。共著に『母弁』(主婦と生活社)、『ジャンク・ウエア』(平凡社)など。 ホームぺージ「暮らしの柄」

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