東京の台所

<47>台所の風来坊 8軒目は狭いけど…

  • 文・写真 大平一枝
  • 2014年1月8日

〈住人プロフィール〉
 大平一枝(女性)・49歳
 賃貸戸建て・4LDK+2S・京王井の頭線 下北沢駅(世田谷区)
 入居2年・築38年
 夫(映画製作・49歳 )、長男(18歳)、長女(14歳)の4人暮らし

    ◇

 初対面の人の台所に土足で踏み込むようにして、ぱしゃぱしゃとシャッターを切る。得意料理は? 週に何度自炊をしますか? ぶしつけに質問を浴びせる。そういう取材を1年間してきて、たまたま自分が引っ越すことになったとき、担当編集者にこう言われた。

「新年の初回は、ご自分の家を書いてみては?」

 人の厚意に甘えるだけ甘え、プライベート空間を取材してきた私に、いやだ、と言う権利があるはずがない。ならば、この家を記念に撮っておこうと思い立った。

 そんなわけで、手前みそで大変恐縮ですが、今年の1回目は、先月まで住んでいた拙宅の台所を。とはいっても、引っ越し好きの私はこの家に2年半しか住んでいない。大家さんは設計士である。自ら設計した自邸を、定期借家で貸しに出していた。

 けっして広くはないが、ステップフロアにして、デッドスペースになりそうなところに収納を細かく作るなど、細部の造作工事が印象的である。

 住みながら、とりわけ便利だなと実感したのは台所だ。油が飛びそうなレンジ周りは、吸湿性のあるレンガの壁に。汚れも目立たず、匂いもこもりにくい。シンクの正面に出窓があり、そこにはテラコッタが敷かれている。料理の最中に、熱い鍋をちょっと置きたいとき、鍋敷きいらずで、じつに重宝なのである。

 床は、台所スペースだけ、コルクになっている。物を落としても割れにくいし、水もさっと拭ける。なにより、立ち仕事をしていても、足が冷えにくい。ちゃんと、台所用床暖房もあったのだが、貧乏性の私はほとんど使わなかった。コルクで十分なのだ。

 築年数も古いのに、当時としては珍しい引き出し式の収納で、指ひとつですーっと開く。重い鍋もかがまずに取り出せる。住宅設計は、台所への要望がダントツに多いと聞くが、大家さんの設計士も、仕事でたくさんリクエストを聞いてきたのだろうなあと想像できた。台所のあちこちに、主婦の「ここにこれが欲しい」がさりげなくちりばめられているからだ。

 ダブルシンクの他に、ペット洗いシンクもあり、その横には洗濯スペースが。料理をしながら洗濯もできる家事動線までよく考えられている。

 ならば、なぜ引っ越したのかということになる。家賃を節約したいとか、住宅密集地で地下の窓を開けると隣のおじさんの足が見えたとか、いろいろあるのだが、今となっては何が一番の要因かよくわからない。

 毎晩、知らない家の間取り図をつまみに酒を飲むのが楽しみな私は、ついつい物件探しに夢中になり、気がついたら、下北沢よりずいぶんと安い郊外の家を契約していた。家賃がぐんと下がったのに部屋はひとつ増え、おまけに資料であふれかえっていた仕事部屋は14畳になった。

 空が抜けていて、ああ、朝はこんなに明るいものなのかと、新しい発見を今は楽しんでいる。前の家は、寝室が地下にあり、昼夜の別もわからなかった。

 ただ、台所だけが異常に狭い。会社の給湯室のようなものだ。小さなシンクがひとつ。ガスコンロは2口の据え置き型を自分で買ってこなければならない。ホームセンターのコンロ売り場で、「こんなの買うの、新婚以来だな」と、夫は笑った。

 おそらく、台所は前の家の4分の1。狭いところから広いところに行くのは容易だが、その逆はけっこうきつい。食器棚はリビングに置いている。

 しかし、狭いおかげでゴミが目に付くようになり、ふたりともまめに台所掃除をするようになった。料理をしながら洗っていかないと、調理スペースがなくなる。つねに皿を洗い、シンクの中をきれいな状態に保つようになった。恥ずかしい話だが、前のダブルシンクはちょっとやそっと皿をためても困らないので、もっと横着だった。

「なんかこの台所、狭いけど使いやすいな。料理が早くできる」

 そう、あるとき夫が言った。狭いからあまり動かなくても手が届き、たしかにぱぱっと作れる感がある。私たちのような夫婦には、このくらいの台所が合っていたのかもなあと思う。

 間違いなく、前の家の台所は生涯で最高の広さと設備だった。もうあんな台所は持てないだろう。中学生、高校生の子どもがいる我が家にあのサイズはありがたかったが、これから子どもが独り立ちし、年老いていく夫婦には贅沢(ぜいたく)すぎる。

 暮らしのサイズに合わせて家を住み替えるという選択には、経費もかかる、あまりお勧めできるものでもないが、引っ越した数だけ思い出があり、物語がある。私は、あれこれ工夫をして、自分色に空間を染め変えていく過程が好きなのかもしれない。

 きのうは狭い台所を駆使して8人の宴会の料理を作った。洗い物は、子どもたちが手伝うようになった。そのうち足腰が弱くなって、本当に台所に立てなくなる日がくるだろう。それまでに私は幾つの台所を渡り歩くのだろうか。どこか風来坊のような気分で、今日も鼻歌まじりに、レシピ無視の適当なご飯を作っている。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。ライター。生活やライフスタイルををはじめ、人物ルポなども執筆。著書に『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『日曜日のアイデア帖〜ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)、『スピリッツ・オブ・ジャンク・スタイル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)ほか多数。共著に『母弁』(主婦と生活社)、『ジャンク・ウエア』(平凡社)など。 ホームぺージ「暮らしの柄」

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