米国の女優アンジェリーナ・ジョリーさんが、遺伝性のがんになる可能性を理由に、まだ発症していない乳房と卵巣・卵管を切除したことが大きな話題となりました。乳がんにかかると、「この病気は子どもに遺伝するのでは」と心配してしまっても不思議ではありません。この病気にかかわるたくさんの患者と向きあってきた聖路加国際病院の山内英子・ブレストセンター長に、遺伝性の乳がん・卵巣がんとはどんな病気か、どんな対処法があるのかについて聞きました。

(聞き手=田村建二・アピタル編集長、画像はいずれも山内さん提供)

山内英子さんインタビュー(上)

日本人で乳がんにかかる人は、年間約8万人と言われています。このうち、「家族性の乳がん」と考えられる人が8千人から1万6千人くらいいるとされます。家族性というのは、祖母や母親、きょうだいといった家系内に乳がんや卵巣がんを発症された方が複数いる場合をさします。「乳がんの家族歴がある」などと表現しますが、こうした人は乳がん患者全体の1~2割です。その中で、原因となる遺伝子がはっきり分かっているのは、乳がん全体の5%程度です。

よく「私のうちはがん家系だから…」ということがありますよね。同じ家系内で同じがんにかかった場合、遺伝的な要因と環境要因のいずれか、あるいはその両方がかかわっていることが考えられます。

親御さんががんを発症して、自身も同じがんにかかってしまった場合、「遺伝のせいなんじゃないか」と受け止めてしまうことが多いと思います。ただ、同じ家庭で長く一緒に過ごしていたとすれば、お2人ともたばこの煙に長い間さらされていたのかも知れないし、ほかの何らかの共通する発がん物質に接していたのかも知れません。この場合、環境による影響が大きいといえます。

乳がんを発症する原因は必ずしもはっきりしてはいませんが、初産年齢が高い、アルコールをとりすぎている、肥満しているといった要因が発症リスクを高めると考えられています。

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家族歴のある乳がんにはこうした要因だけではなく、乳がんになりやすくなる何らかの遺伝的な特徴を親から受け継いでいる場合があることがわかってきました。このうち、代表的なものが「BRCA1」「BRCA2」というものです。いずれも、だれもが持っている遺伝子の名前です。

遺伝子は、体をつくったり、機能させたりするのに必要な設計図のようなもので、DNAという4種類の文字のかたまりとして細胞に収められています。文字の並びかたはみな大部分は同じですが、ところどころに個人ごとの違いがあり、その違いは親から子へと受け継がれていきます。このことを一般に遺伝と呼んでいます。

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文字の並びかたが違っていても、たいていの場合は健康に問題はありませんが、体の働きにかかわる遺伝子の文字の違いが、病気の原因となることがあります。これを「病的変異」といいます。

BRCA1と2は、ほかの遺伝子に傷ができたときに修復する働きがあると考えられています。ところが、中にはこの遺伝子のDNAの文字が、生まれつき違っている人がいます。この違いによって、BRCAが本来の機能を果たすことができず、乳がんや卵巣がんの原因になってしまうのです。

この遺伝子の変異は乳がんだけでなく、卵巣がんの発症にもかかわっています。このため、この遺伝子変異を原因とする乳がんと卵巣がんを「遺伝性乳がん・卵巣がん症候群(HBOC)」と呼んでいます。HBOCを発症する患者さんは、国内で年間2400~4000人ほどと推定されています。乳がん患者全体の3~5%にあたります。

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このように、乳がんの一部は遺伝することがありますが、すべてではありません。ご自身が乳がんを発症されたとしても、ただちにお子さんに遺伝するといったわけではないことを、まずは知っていただければと思います。

HBOCの患者さんには、ふつうの乳がん患者さんとは違った特徴があります。たとえば、40歳未満という比較的若い年齢で発症し、両方の乳房にがんを発症したり、片方の乳房に複数回がんを発症したりするケースが多くなります。また、乳がんと卵巣がんの両方にかかったり、乳がんなどだけでなく膵臓(すいぞう)がんを発症したりすることもあります。

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女性だけでなく、男性でも乳がんを発症することがあります。この場合、BRCA1ないし2の遺伝子変異を受け継いでいることが原因である可能性があります。また男性の場合、この遺伝子変異が前立腺がんの原因になることもあります。一般的な前立腺がんと比べて発症する年齢が早く、がんの進行も速いといわれています。

BRCA1またはBRCA2のいずれかに変異があることによって、乳がんや卵巣がんにかかるリスクはどれくらい高くなるのでしょうか。

これは米国でのデータですが、ふつうの女性が乳がんを発症する確率は、50歳までで2%、70歳までで7%といわれています。これが、いずれかのBRCA遺伝子に変異があると50歳までで33~50%、70歳までで56~87%になると報告されています。卵巣がんに関しては、ふつうの女性で70歳までに発症する確率が2%未満なのに対し、BRCA遺伝子に変異があると27~44%になるとされています。

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病的な変異がBRCA1とBRCA2のどちらにあるかによって、がんの起こり方にも違いがあります。たとえば、変異があるのがBRCA1の方だと、BRCA2に変異がある場合に比べ、卵巣がんを発症する確率がより高くなるとされます。一方、男性の乳がんのほとんどはBRCA2遺伝子の変異が関係しているといわれています。

遺伝性の乳がん・卵巣がんというと、この遺伝子変異は必ずお子さんに伝わってしまうと思われがちですが、必ずしもそうではありません。変異が伝わる確率は、男性か女性かにかかわらず、お子さんお一人あたり50%です。

みなさんはそれぞれ、父方と母方から遺伝子を1セットずつ受け継いでいます。お子さんにはご自身に2セットある遺伝子のうち、いずれか1セットずつが伝わるのです。この病気の場合、HBOCの患者さんは2セットのうち片方のBRCA遺伝子に変異を持っています。変異のない方の遺伝子セットが伝われば、その子は病気を受け継ぎません。

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病的変異のある遺伝子を引き継ぐと、がんを発症する可能性が高くなります。この病気の子どもへの伝わり方を「常染色体優性遺伝」といいます。ただ、変異を受け継いだからといって、必ず病気を起こすと決まったわけではありません。また、HBOCは、遺伝子変異があることをあらかじめ知ることによって、がんを発症する可能性を減らす対策をとることが可能になってきています。

なお、BRCA1とBRCA2以外にも、遺伝性の乳がんなどにかかわる遺伝子変異は報告されています。ただ、頻度がそれほど高くないといった理由で、BRCAのように診療の場で調べられている遺伝子は多くありません。

次回は、遺伝子変異があったとして、がん発症の発症リスクを減らすためにどんな方法があるのかについて、ご紹介したいと思います。

<アピタル:インタビュー・アピタルがんインタビュー> http://www.asahi.com/apital/channel/interview/

田村建二

田村建二(たむら・けんじ) 朝日新聞編集委員

1993年朝日新聞入社。福井支局、京都支局、東京本社科学部、大阪本社科学医療部次長、アピタル編集長などを経て、2016年5月から編集委員。