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08月17日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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まちから【魚町 食のまちから】

(1)先進、昔アーケード今リノベ

写真:(上)魚町1丁目と2・3丁目をつなぐ屋根、(中)「ほたる祭」では、子どもたちがホタルを追いかけた=1955年、(下)旧小倉市の魚町商店街=1933年 拡大(上)魚町1丁目と2・3丁目をつなぐ屋根、(中)「ほたる祭」では、子どもたちがホタルを追いかけた=1955年、(下)旧小倉市の魚町商店街=1933年

写真: 拡大

写真:魚町銀天街に立つ藤井社長=金子淳撮影 拡大魚町銀天街に立つ藤井社長=金子淳撮影

 「まちへ行く」。北九州市小倉北区のJR小倉駅南側に広がる魚町(うおまち)に足を運ぶことを、小倉の人たちはこう表現してきた。

 北九州の商業の中心地。江戸時代に玄界灘でとれた魚が水揚げされ、商売が始まったのが地名の由来だ。小倉B級グルメの代名詞・焼きうどんの発祥の店などが並ぶ「鳥町食道街」や日本のスーパーの草分け・丸和小倉店もある。そして市民の台所・旦過市場が続く。

 「特別なものが食べられて、新しいものや珍しいものが手に入る。魚町はそんな憧れや豊かさの象徴なんです」。まちづくり団体「We Love 小倉協議会」の辻利之会長(61)は説明する。

 魚町の背骨とも言えるのが約150店が連なる商店街「魚町銀天街」。日本で初めて公道上にアーケードをつけた商店街でもある。

 1950年のある日。雨が降り出すと、傘をさした買い物客が近くの百貨店「井筒屋」に吸い込まれていった。「雨の降らん街をつくらんといかん」。商店主らが県や国にかけ合い、51年10月にアーケード街に生まれ変わった。

 銀天街は「銀の天井に輝く街」の意で、様々な催しが企画された。アーケードから垂らした布をスクリーンにした映画祭。ホタルを放して子どもに捕まえさせる「ほたる祭」……。「全国から視察が相次いだ」。老舗洋服店の5代目濱田浩三さん(76)は振り返る。

 63年には旧5市が合併して北九州市が誕生。にぎわいは増していった。

     ◇  □  ◇  □

 魚町銀天街は、国道199号を挟んで北側の魚町1丁目と南側の魚町2、3丁目に大別されてきた。長年の対立が影響している。

 40年ほど前のこと。銀天街の組合の役員がもめ、北側の商店主らが組合を脱退した。陰口をたたき合い、夏の小倉祇園で太鼓がすれ違ったことから殴り合いになることもあった。

 一方、市の人口は79年の106万9117人をピークに減少。「鉄冷え」やバブル崩壊後の不景気で、商店街の客足も少しずつ落ち込んでいった。

 事態が動くのは2000年代のこと。06年に3丁目の呉服店3代目瀬口裕章さん(58)が、08年に1丁目の雑貨店4代目戸田和雄さん(66)が、南北の組合理事長に就任。「弱い者同士がいがみあってどうするんか」。2人は境界線となっていた199号の上に屋根をかけ、物理的につながろうとした。

 反対意見やとがめる声もあったが、2人は互いの飲み会にも足を運んで根気強く説得。10年3月、屋根ができた。翌月には共通のポイントカードも作成。市によると、市中心部の通行量は11年の13万7731人で下げ止まり、14年は15万2035人にまで回復。「アーケードでつないでしまえば、けんかもできない。ようやく一体感ができてきた」。瀬口さんは言う。

     ◇  □  ◇  □

 魚町の活気づくりには、ビルを大規模に改装する「リノベーション」も一役買っている。

 3丁目にある築40年以上の「中屋ビル」。レトロさが残る建物内には、小分けされたブースごとに店が並ぶ。野菜をふんだんに使ったランチが食べられるカフェレストラン。雑貨店や若手アーティストのアトリエ。別のスペースでは定期的に料理教室が開かれ、夜にはアーケードに面した1階通路に出汁(だし)の香りが漂うおでん屋台が登場する。

 09年に洋品店が撤退後は空きビルだったが、11年からリノベが施された。建て直すのに比べて、圧倒的にコストが安い。「1棟丸々借りてくれるところはそうはないが、小分けにすればいろんな人が入ってくれる」。オーナーで魚町商店街振興組合理事長の梯(かけはし)輝元さん(55)は指摘する。

 市は11年、リノベによる中心市街地の再生策「小倉家守(やもり)構想」を打ち出した。第1弾の中屋ビルをきっかけに、他の空きビルのリノベも進む。市によると周辺の通行量は、リノベを始める前より約3千人増えた。今やリノベの先進地だ。

 「このまちは先輩が先進性を持って作り上げてきた。自分たちも努力して先進的であり続けたい」。梯さんはそう思っている。

 ■「ここに店を出したかった」 「宇佐餅」の藤井強作社長

 「いつか魚町に店を出したかった」。2013年から昨年にかけ、魚町銀天街に2店舗を開いた「宇佐餅」の藤井強作社長(40)は語る。ショッピングモールなどで筋骨隆々の男性が高速で餅をつき、その場で販売することで知られる。

 1977年に祖父と父が創業。北九州市八幡西区の黒崎商店街を拠点に店舗を広げた。藤井さんは米国の大学を卒業し、その後も住み続けていたが、27歳の時に父に呼び戻され、宇佐餅で働き始めた。

 「人通りが多い魚町に店を出したい」。いつも父は言っていた。その夢に一歩近づいたのは11年。魚町の中屋ビルで、手頃な家賃で決まった曜日なら可能と知って、すぐに出店。その2年後、近くの店舗が空き、常設店を開いた。その直前に父はがんで亡くなった。

 「北九州はやっぱり魚町だ」と思う。父の死後に魚町に2店目を開店。宇佐餅は市内を中心に9店舗あるが、魚町の2店舗の売り上げが抜きんでる。

 同時に、父と同じくらいの年齢のベテラン店主たちが多くいることも魚町の魅力だと感じている。「顔を合わせると何か声をかけてくれる。一つ屋根の下、家族のようなまちです」(山根久美子)

    ◇

 昔も今も北九州の商業の中心地であり続ける魚町を、4回にわたって取り上げます。

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